第96話 晴れ、ときどき楯

 それは女性の声だった。


 そう。

 確かにさっき軽~い感じで「存続でいいんじゃない?」というような声を発したのは、あの観覧席の一番上に座っている黒いコートのようなものを羽織った女性だ。

 けど…。


 あれは一体誰なんだ…?


「だっ…誰です!?どこにいるんですか!?一体誰の許しを得て、存続などと発言したんですかねぇ!?出てきなさい!!」


 チンケな自尊心を傷つけられたのか、はたまた頭の中の青写真にケチを付けられたことに憤慨したのか、お顔真っ赤の激おこぷんぷん丸で、キョロキョロと辺りを見回す学校長。


「ふぅ~…ふぅ~…、うぬ…?」


 だがその折、ギョロギョロと泳がせていた視線を観覧席に向けた学校長は一転、何故か突然時が止まったかのように、その動きを静止させた。


「…あ…あわ…あわわわわ…。き…貴様は……まさか…」


 カッと目を見開き、小刻みにガタガタと震え出した学校長。

 どしたんだろう。

 あの人に借金でもしてんのかな?


 スッ…。


「あれれ?アルベール君…。今私のことって言ったかい…?おかしいなぁ…、私の聞き間違いかな…?」


「「「…えっ…!!?」」」


 俺を含めたその場の全員が、驚愕に目を見開いた。

 なぜなら観覧席の、それも最上段にいたはずのくだんの女性が、一瞬のうちに学校長の背後に立ち、さらには、白くて細長い、白魚のようなという些か古めかしく感じる表現がピッタリの指を、校長の首筋に這わせていたからだ。

 不気味に輝く、研ぎ澄まされた深紅の爪を添えて。


 俺は反射的に観覧席を確認したが…当然さっきの女性の姿はない…。

 そ…そりゃそうだ。

 だって今、んだから…。


(んなバカな…!?…今の今まで、観覧席の上にいるのを見ていたのに…!?


「ひいぃ…!?り…りりり…理事長!!い…いいいいい言ってません、言ってません!!この私が理事長に向かって貴様なんて言葉、口が裂けても言いません!!あなた様のことは…、そっ…そうです!私はと申し上げたんですぅ!!どうぞお許しを…!」


 時々トントンとリズム良く動く、首筋に優しく添えられた指を青い顔で見つめながら、些か無理筋な言い訳をする学校長。

 ところで今、理事長…、理事長って言った?

 理事長ってえと、学校長より立場上の人?

 …筋モンの借金取りじゃなかったんだな。


「…そっかぁ。成程なるほど。やはり私の聞き間違いだったんだね。これは申し訳ないことをした、許してくれ、アルベール君」


 学校長の首筋からゆっくりとその手を離す。

 その瞬間学校長は、息も絶え絶えに膝から崩れ落ちると、そのまま四つん這いの姿勢でうつむいてしまった。


 学校長のあの焦りよう…。

 成程…、やっぱり理事長という肩書は伊達じゃないってことか…。

 俺はそんな風に考えながら女性を見ていると、ふと目が合った。


「やあ」


 ぐしゃ。


「うぐえっ…!?」


 にこりと笑った女性は、黒いコートを翻すと、俺の方へと歩み寄ってくる。

 路傍の雑草のごとく踏みつけにされた学校長は、背中を押さえながらもがいている。


 俺はあらためて女性の姿を観察した。


 見た目は年齢は20歳ぐらいの若い女性。

 美しく整った顔立ちと、その美麗な容姿を一層際立たせるように伸びた、長く黒い髪。

 そしてスラリとした長身の身体に、これも同じく真っ黒のロングコートを羽織っている。

 何より印象的だったのは、真っ赤な唇と爪、そして吸い込まれそうに感じる程の、真紅の瞳だ。


「ふふふ…どうしたのかな、レインフォード君。そんなに見つめられると、お姉さん照れてしまうじゃあないか」


「えっ!?…ああ、いや、すみません。じっと人様を観察してしまうのは僕の悪い癖でして…って、あれ、僕名乗りましたっけ…?」


「うふふふ…」


 カツ…カツ…カツ…。


 理事長と呼ばれた女性は、人差し指を真っ赤な唇に当てて妖艶な笑みを浮かべながら、そのままゆっくりと俺の横を通り過ぎ、地面に座り込んだままのパトリシア先生の前に立った。


「やあ、久方ぶりだねパトリシア君。ご機嫌はいかがかな?レジャーシートも敷かず、こんな闘技場のど真ん中でピクニックかい?あははは、相変わらず前衛的な趣味だね。…おやおや?お洒落なガラスを目に掛けているね。それも新しい魔道具かな?」


「お…お久し振りなのです理事長…。わ…私の方はご覧のとおりなのです…。あまり晴れやかな気持ちとは言えないかも…なのです…」


「ふむ。そうか、それは残念」


 女性は眉を上げて首を傾げながら、肩をすくめる。


「お…お帰りなさいませ、理事長…。わ…私は…」


 パトリシア先生の近くで佇立していたサイモン教授は、重苦しい口調で口を開いたのだが。


 ぽん、ぽん。


 理事長と呼ばれたその女性は、何も言わずにサイモン教授の肩に手を置くと、にこやかに笑いながらその場でくるりと振り返った。

 もちろん、テティス先生やクララ先生へのウィンクも忘れていない。


「さてさて、関係者諸君。ぽっと出で飛び入り参加の私だけれども、概ね今の状況は把握しているつもりだ。その上でまずは結論から言おう」


 全員の視線が集まる。

 さっきまでこの世全ての嫌味ったらしさを集約したかのような態度だった学校長ですら、、沈黙してしまっている。


「魔道具科は存続だ、当然だけどね」


 う…。

 うう…。


「…うおおおお!!やったぜぇ!!」


 思わずエドガーとハイタッチをしたり、クロウと握手を交わした俺。

 最初は悪態ついていたクリントンが、小さくガッツポーズを取っている姿に少し胸が熱くなる。


「やったね、パトリシア先生!」


 俺は座り込んだままのパトリシア先生の横にしゃがみ込んだのだが…。


「…レイン君…。私…私…。うぅっ…うう…うわ~ん!」


 堰を切ったように、パトリシア先生の目から溢れ出した涙、涙、そして涙。

 再び地面に突っ伏して泣き出してしまった。

 ついつい俺も目頭が熱くなるが、ちょっと気恥ずかしいので、目から水が出てるのはバレないように…と。


「お…お待ちください、理事長!私めはまだ魔道具科の存続を承認した訳では…」


 背中を押さえながらようやく立ち上がった学校長。

 険しい表情で理事長と呼ばれた女性の決定に食い下がろうとするが…。


「いやいや、アルベール君。君の意見は聞いていない、…というよりも、聞いてあげることができないんだよ。どうも私が留守にしていた数年の間に学科規則が一部改正されていてね…?どうやら学科の存続や廃止に関して意見が拮抗した場合、何故かその場の最上位者に決定権が付与される仕組みになっているんだよ、困ったものだ。一体誰なのかなぁ、こんなを作ったのは。ねぇアルベール君、君何か心当たりとか無い?」


「…うっ!?…い…いやぁ、どうなのでしょう…?と…当方ではちょっとわかりかねると言いますか…何と言いますか…」


 ポケットからハンカチを取り出すと、次々に顔から流れる汗を拭う学校長。

 しかし学校長の発汗量は、既にハンカチの水分吸収量をゆうに超え、もはや濡れタオルと表現しても過言ではない程の代物になっていた。

 あれが全て学校長から染み出した水分で構成されているのかと思うと…おえ。


 対する女性の表情は、一見するとものすごくにこやかだが、その目は明らかに笑っていない。

 俺の経験から端的に言うと、

 …怖えぇ…。

 めちゃ怖えぇ…!


 女性は首を横に振りながら、両手を身体の横に添えて手の平を上に向けつつ、話を続ける。


「そもそも、当世の世情や流行り廃りを考えれば、その年々による各学科の人数の増減は当然予想されることだ。だからこそ私は、各学科の休講・休眠に関する時限的措置を定めていたのだけれど、間違っても廃止なんてモノは規定していなかったはずなんだけどなぁ。ねえアルベール君、これに関しても君、心当たりはないかな?」


「…うぅ…。うぐぐぐぐ…、そ…それは…それは…」


 真下を向いたまま言葉に窮する学校長。

 見ればガクガクと震えているじゃあないか。


「うふふふ。まあいいさ、アルベール君。それらについてはまた、追々聞くとしよう。この場の後始末は私に任せて、君は通常業務に戻っていいよ?」


「しょ…承知いたしました!」


 学校長は返事をするやいなや、取り巻きの先生たちとともに、脱兎の如く大闘技場を後にする。

 ちっ…、もうちょっと追い込んでほしかったとこだけどな。


「あっ、それとさ!私が留守にしていた間の学校規則の改定を含めた学内の変化について、新旧対照表込みで、羊皮紙報告書800枚程度でいいからまとめておいてよ!!」


 ぷっ!

 学校長のやつ、「ひえぇ!?」なんて叫びながら盛大にこけてら。

 ざまあみやがれってんだ。


「さて…」


 女性は黒いコートを翻すと、こちらの方へ向き直る。


「ふふふ…、大変だったね、パトリシア君。だが私はこっそり見ていたぞ?君のゴーレム、素晴らしかったじゃあないか」


「あっ…ありがとうございます…理事長。…グスン…、でもこれは私一人の力では実現できなかったことなのです。そこのレイン君をはじめ、ここにいる魔道具科の生徒たちみんなの力なのです」


 泣き止んだパトリシア先生はゆっくりと立ち上がると、笑顔で服の裾についた砂を落としている。


「成程なるほど。なかなかどうして素晴らしいじゃあないか、魔道具科の面々は。エドガー君やクリントン君、クロウ君、そしてレインフォード君。君たちがいなければ、パトリシア君はさらに追い詰められていたことだろうね。何より選んだ題材がいい。ふっ…まさかゴーレムの再現とは恐れ入ったよ。私ですら長い人生の中、ダンジョン以外でゴーレムを見たのは数える程度だけどね。いずれもあそこまでスムーズな動きはしていなかったと記憶しているよ?…まあ、出力の調整には、まだ些か再検討の余地がありそうだけれどね…」


 成程、生徒の名前は既にリサーチ済み、と。

 …それよりもこの人、今しれっとヤバイこと言わなかった?

 ゴーレムって、とっくの昔に失われた技術じゃあなかったっけ?

 私の長い人生の中でって、それどういう意味…?

 はっ!エルやリアなんかのエルフの例もあるし、…もしやこの理事長さん、見た目とは裏腹に、実年齢はバ…


 ジロリ!


(ひぇっ!?)


「…うふふふふふふふ…?…いい女に秘密は付き物だとは思はないかな?…まあ、私のことはまた追々わかるとして、…私の名はカーミラ。この王都魔法学校で理事長という役職を務めさせてもらっている。今はそれだけ知ってもらえれば十分さ」


 カーミラ理事長の射抜くような視線&殺気に、ジェットコースターとかに乗ったときの、大事な部分がスゥッと縮み上がるような恐怖を感じた俺。


(ふぃ~…、やっぱ地雷ってのは、そこかしこに散らばってるもんだぜ…、くわばらくわばら…)


「では私は先に戻るとするよ。サイモン君、君は後で私の執務室へ来てくれないかな、聞きたいことが多くてね。…あぁ、知ってのとおり、日中の日差しは苦手だから、執務時間終了後に来てくれるとありがたい。よろしく頼むよ」


「…承知いたしました、理事長」


 サイモン教授が恭しく頭を下げると、カーミラ理事長は再びコートを翻し、颯爽と歩き去る。

 だが少し歩いた所で急に足を止めた理事長。

 ふと何かに気が付いたように空を見上げると、悪戯っぽく笑いながら、何やらボソボソとつぶやいた。


(…?何してんだ?あのバ…おっと!理事長さんは)


「あぁっと…、レインフォード君」


「はっ…はいっ!?」


 ちょいちょいと俺を指さすカーミラ理事長。

 不意に名前を呼ばれた俺は、驚いてちょっと声がうわずってしまった。


「エドガー君たちもよかったが、今日の一番の功労者は間違いなく君だ。パトリシア君の、いや、魔道具科のサポート、心から感謝する。これからもよろしく頼むよ」


 そう言ってわざわざ俺に向かって頭を下げたカーミラ理事長。


 おお…偉い人なのに人格者!

 こんな子供(中身はおっさんだけど)に頭を下げてくれるなんて…。

 さすがは年の功!…なーんちゃって!

 にゃはははは!


「いえいえ。僕の方こそ微力ながらお役に立てて光栄です。まだまだ若輩の身なれど、今後ともご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」


「ふっ…いい子だ。だが君は、少々思ったことが顔に出やすい性質たちのようだね。それはいただけない。ゆめ、憶えておくといいよ。では私はこれで失礼する」


「…?…は、はぁ…」


 そう言って今度こそ大闘技場から去っていったカーミラ理事長。

 なんだなんだ、思わせぶりなこと言っちゃって。


「ははは!聞いたかい、クリントン君!この僕が思ったことが顔に出やすいタイプだってさぁ?笑っちゃうよねぇ?みんなもそう思うわない?はははは!」


 俺は思わず近くにいたクリントンの背中をバンバン叩く。


「「「…は…ははは…」」」


 うんうん。

 みんなも俺に同意してくれてるようで、よかったよかっ…ん?


 …るるる……


 ん?

 何の音だ?


 …ひゅるるるる…


 あれ?

 何でみんな走って俺から離れるんだ?

 こりゃ一体何の音…?

 え?上?


 ひゅるるるるるるる!!

 ごちーーーーん!!


「ぎゃん!!?」


 突然頭のてっぺんから爪先までを、物凄い衝撃が駆け抜けた。

 目から火花が出るとは、まさにこのような状況を言うのか。


(いっでえええ!!?…何か落ちてきた…のか?)


 ふと俺の視界に、大きな四角い長方形の物体が目に入る。


「…あ…あれは…。クリントンの…重装騎士が…持ってた…大楯…か?」


 エドガーの竜騎士にぶっ飛ばされる前に…すっぽ抜けてた…のか…?


 思考を手放す直前。

 薄れゆく意識の中、どうやら眠りに落ちる前にほんの少し、俺の可愛い脳みそちゃんが働いてくれたようだ。


(…やられた…こりゃあの理事長の仕業だ…。さっきチラッと上向いた時…何か変な魔法を使って俺を狙いやがったな…。ちぃっ…あんの年齢詐称疑惑理事長め…。…はぁ…まあいいや…。とりあえず魔道具科も大丈夫そうだし…今日は疲れた…。後のことは、また起きて…から……考え……)


 ドサッ…。


 ※※


 倒れたレインを見下ろすパトリシア先生以下、魔道具科の仲間たち。


「ね…眠っとるな…」


 怪訝な顔で見下ろすクリントン。


「…よ…よく寝てるですね…」


「あんなもんが頭に当たれば、普通死ぬような気がせんでもないが…」


 エドガーはレインの頭をツンツンしてみるが、若干たんこぶができているだけで、特に怪我はしていない様子に安堵する。


「…スヤスヤ…。うひひひ…。も…もうそれ以上は入りません…、あとの金貨は食べますから…むしゃむしゃ…うまうま…。スースー…」


「い…一体どんな夢を見とるんだコイツは…」


「ふっ…。清濁含め、レインのは今に始まったことではないだろう?さぁ、彼を寮室まで運ぼう、そこでしばらく寝かせておけば問題あるまい」


「…ん?おい…、な…何故そこで私を見る?まさか私にレインフォードを抱えて運べと言うのか!?」


「いやぁ、クリントン。君は寮室が隣だし、レインとも仲がいいので適任かと思ってね。私の細腕には少々荷が勝ちそうだ」


「…誰が仲良しだ!?わ…私は受けたい講義をキャンセルさせられ、無理矢理ここに連れてこられているんだからな!?ま…まあ仕方ないから運んでやるが…。だがあのゴーレムたちはどうするんだ?今は動きを停止させているようだが」


「心配ない。俺は午後からはフリーでね。従者のルナレイアや用務員のキャロラインさんとでも一緒に、責任をもって処理しておくよ。任せておいてくれ」


 そう言ってクロウは小さく笑う。


「んじゃ頼むとするか。俺は午後から別の講義を受けなきゃならんしな」


 エドガーは、笑顔でクリントンとクロウを交互に見る。


「あっ、ねえねえみんな!私が残っているゴーレムをいじって、レイン君を搬送するように調整するのです!任せてほしいのです!!エッヘン」


「「「やめてください」」」


「な…何故なのです!?も…もう調整ミスはしないのです…って、おーい、みんな!先生を置いてどこに行くのですか!?まっ…待ちなさーいなのです!」


 大闘技場に響くパトリシア先生の甲高い声。

 心地よい風とともに、夏の到来を予感させるような晴天は、どこまでもどこまでも、青く突き抜けていた。

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