第89話 俺の魔道具科は無くならない

「せ…世界…ですか?」


「そうです、クロウ君!世界なのです!今私は生まれて初めて、本当の世界の形を見ているような心持ちなのです!!…今までぼんやりとしか見えなかった目の前の光景が、こんなにも…こんなにもはっきりと鮮明に…!!レイン君、これは…これは一体、どんな魔道具なのです?」


 ポタッ。


「…あれ…?」


 笑顔で俺の方へ向き直ったパトリシア先生。

 だがその目から零れ落ちたのは、一筋の涙。


 ポタッ…。

 ポタポタポタポタッ…。


「あ…あれれ…?おかしいのです…。なんではっきり見えていた世界が、またもや見えなくなるのです…?なんでこんなにも…ヒック…ヒック…涙が…止まらないのですかねぇ…?」


 次から次へ止めどなく流れ始めた涙は、パトリシア先生の頬を余す所なく濡らしてゆく。


「先生…ハンカチどうぞ」


「あ…ありがとう…なのです…」


 眼鏡1つでここまで喜んでもらえるとは、製作者冥利に尽きるってもんだ。

 たしかに若干ポンコツくさいが、根は真面目そうな先生だ、これまで目が悪くて苦労してきたことや上手くいかなかったことが山程あったんだろう。

 …とは言え、思い切り鼻までかんでいいとは言ってないがな。


 前世において、遠近ともどもの視力の補助や眩しい太陽光からの眼球の保護、果てはファッションを彩るアイテムに至るまで、ごく当たり前に広く普及していた眼鏡。

 だが俺が転生したこの世界においては、全くと言っていい程、眼鏡のことは誰も知らなかった。


 そこで俺は、ワッツと協力して眼鏡の試作品を幾つか作り、領内のあまり目が良くないと思われる領民に与えてみた。

 するとその反響は驚くべきもので、眼鏡を掛けた誰もが「まるで世界が変わったようだ!」「レイン様ありがとう!」等と言ってくれたのだ。


 もちろんこれも既にユリのお墨付きで、然るべき時に一気に売り出す予定なのだが、そこはそれ。

 今はまだその時ではない。

 それよりも、だ。


(もしかしたら先生は目が悪いのかも…と思ったが、どうやら当たりだったみたいだな。色んな失敗も、その大半が近視による弊害だったのではなかろうか)


「ところで先生、目が痛かったりはしませんか?これは人によって適合する度合いが違いますので、目に大きく負担が掛かっているようなら、後日にはなりますが調整もできますので」


「…だ…大丈夫です、ありがとうなのです…ぐすん。それは全然いいのですが…それよりもレイン君。このメガネという魔道具、一体どういう構造なのです?これ程世界を美しく色鮮やかに彩る魔道具には、さぞやとんでもない仕掛けが…」


 再び鼻をかむと、先生は涙を拭いながら眼鏡を掛けたり外したり。

 まるで何か新しいおもちゃを与えられた子供のように、色々な角度からそれを確認する。

 そんな先生の姿が少し微笑ましい。


「いえ先生。仕掛けなんてありませんし、そもそも魔道具ですらないんですよ、それ。一般的なガラスにちょっと特殊な加工を加えればいいだけなので、仕組みさえ分かれば誰でも作れるんです」


「まっ…まさか…それは本当なのです!?…こ…このような素晴らしい物が魔道具ですらない!!?…だとしたら、わ…私が今まで作ってきた物なんて、ガラクタ以下…いや、むしろゴミではないですか…」


 パトリシア先生は眼鏡を外すと、そのまま手にした眼鏡に視線を落とし、うつむいてしまった。


 ふふふ、先生。

 論点はそこじゃあないんです。

 俺は先生が作っていた魔道具にこそ、光明を見出しているのだから。


「それこそまさか、ですよ先生!」


 俺は両手を大きく広げながら、にっこり笑ってパトリシア先生を見た。

 先生はそんな俺の様子に、まだ少し湿っぽい頬のまま、キョトンとした表情を浮かべる。


「先生、そもそもですね、僕が今まで見てきた魔道具という物は、どれもすごく単純な構造で。例えば箱の中に水の魔石を設置してそこに魔力を流し込むと水が出るとか、小さな火の魔石を設置して同じ原理で鍋に湯を沸かすなどです。でもですね…」


 カラ…。


 俺は先程爆発した結界発生装置を拾い上げた。

 さらに、同じく炸裂して暗い紫色になってしまった魔法陣の方を見る。


「先生、僕は魔法陣のことは詳しくわからないんですが…。もしかすると先生が用いている魔法陣、これは一定の法則に従って図形を描くことにより、んじゃあありませんか?…まるでその場で魔法使いが魔法を行使するかのごとく…ね?そう思わないかい、クロウ」


 ぽーん。

 パシッ!


 俺はクロウに結界発生装置を投げると、クロウはそれを右手で受け止めた。

 そのまま側面に開けられた穴を不思議そうに覗き込む。


(お…おお…?…ちっ、爆発は…しないか(笑))


「…す…鋭いのです…。…ええ、そのとおりなのです、レイン君」


 先生は再び眼鏡を掛け直した。

 細い人差し指で、クイッと眼鏡の中心部を押さえる姿は、もはや眼鏡初心者とは思えない程堂に入っている。


「…実は私は数年前、ひょんなことから、偶然古代の魔道具について詳細に記された魔導書を手に入れました。もともと魔道具が大好きだった私はそれを読み漁って研究していくうち、現在多くの場所で使われている魔道具は、実はその性能やコストをはじめ、あらゆる面において古代の魔道具には遠く及ばないことを知ったのです」


 カツ…カツ…。


 パトリシア先生は、ゆっくりと歩を進めて窓際に立つと、何か昔を思い出すかのように空を見上げた。


(やっぱり…)


「そして、どうやらそれらの古き魔道具は、魔力を効率よく循環させる魔法陣を元にして、複雑怪奇な指令を実行していたようなのです」


 目を閉じて先生の話に聞き入っていた俺は、ふと片目で先生を見ながらつぶやく。


「成程。…失われた魔道具、つまり“古代アーティファクト”ってやつですね?」


「こっ…古代アーティファクトだと!!?」


 ガタン!!

 カラン…コロンコロン…。


 突然クロウが身を乗り出して声を上げた。

 思わず手に持っていた結界発生装置を落としたことにも気が付かない様子で。

 俺とパトリシア先生は驚いてクロウの方を見る。


「あ…。す…すまない…。俺は…その…め…珍しい物に目が無くってね…。つ…つい取り乱してしまったよ…あははは。気にしないでくれ!」


 クロウはハッとすると、すぐに服装を整え、頭をかきながら照れ隠しのように笑った。


「お…おう?そっか…?」


 ど…どしたんだコイツ?

 クロウがあんな必死な顔するなんて珍しい。

 ま、そういうこともあるか…?

 俺だって旨い話が転がってりゃあ、目を$マークにして食い付いちゃうもんな。

 まあこの世界では金貨マークだが。


 少し話が逸れたが。

 ——————古代アーティファクト。

 それは、現代の魔導技術ではどう転んでも再現不可能な程の高い性能を誇る魔道具のことを表す…らしい。

 たしか(最近あまり話題に上らない)マッチョ父の書斎でシルヴィアとシロの喧嘩を仲裁している時、怒ったシルヴィアがミニブレスを吐いて部屋をとっ散らかした…というより、天井を吹き飛ばした際、棚から俺の頭に落ちてきた本に書かれていたのを、チラッと読んだような気がする。


 古い遺跡や深いダンジョンの奥などで極稀に発掘されるそれら古代アーティファクトは、現代であれば、通常数十人の魔法使いを動員して行使する大規模結界魔法を、それ単体で容易に行うことを可能としたり、さらに言い伝えなどでは、遥か彼方の標的に正確無比な魔法攻撃を発射するなんていう恐ろしい物まで存在していたらしい。


 またそのような規格外な性能でなくとも、保存状態にもよるが、古代アーティファクトというだけで最低でも白金貨10枚(日本円にして10億円)以上で取引されるということなんだそうだ。


 値段からしてもそうだが、そんな仰々しい代物が俺たち一般ピーポーの手に回ってくるなんてことは万に一つもあり得ない。

 大体は修理することすらままならず、コレクション品としてどっかの大貴族が買い占めるか、国宝として各国の宝物庫に死蔵されてしまう辺りがオチなのだろう。

 だが…。


 俺は右手の人差し指を立てながら、にやりと笑ってパトリシア先生の方へにじり寄ってゆく。


「にっしっしっしっしっ…パトリシア先生?形はどうあれ、魔法陣を用いて魔道具を的確に作動させることができれば、これはもはや古代アーティファクトと同等…。いや、知恵を絞ればむしろそれ以上の物ができあがるかも知れません。…となればこれは、十二分に世間様もびっくり、話の長い校長もぎゃふんっ!の超ウルトラスーパー大発見なのでは?」


 …先生が評価されれば、当然魔道具科は存続。

 いや、それだけじゃあない。

 これを機にパトリシア先生が有名になり、そんでもってユリとパトリシア先生に専属契約なり何なりを交わさせ、量産させた魔道具をガンガン売れば…。

 ひゃっはー!!

 また俺の輝かしい未来に一歩近づくぜ!!

 も一回、ひゃっはー!!


「うひ…うひひひ…じゅるり…」


 おっと、クロウ君、俺の顔は気持ち悪かったかい?

 けど今更クロウにドン引かれようが気味悪がられようが、どうでもいいぜ。

 前進あるのみなのさ!


「…ってあれ…?先生は?」


 俺が金貨の海に妄想ダイブしていた際、いつの間にか先生は、部屋の中心に描かれた、枯れた魔法陣の元で這いつくばっていた。

 よく見ると、紫色のインクのような物が付着した筆を走らせながら何やら作業に没頭している。

 しっかりと、俺が渡した眼鏡を掛けて。


「見える…ばっちりんこで見えるのです!ここをこうして…、この線をこう繋いで…こうやって付けて…。で…できた!ついに…ついに完成したのです!」


「おお!もしや上手く魔法陣を書き換えることができたんですか!?」


「エッヘン!そうなのです!今まで魔法陣の細部が良く見えず、私の頭の中ではできあがっていても、どうしても魔力循環に齟齬が出てしまっていたのです。だけどこのメガネのお陰で、今までできなかったような緻密な作業が楽にできるようになったのです!…なったのです…が…」


 なんだ?

 どした?

 なんでそこでしぼんじゃうんだ?


「…実は、もう実験用の魔石がないのです…」


「んん?…魔石…ですか?」


「魔法陣に魔力を注ぎ込むため、私はこれまで多くの魔石を使い潰してしまったのです…。実はこの魔法陣に用いた魔石は、私の最後の虎の子、光属性の強力な魔石だったのですよ。…ほぼ1年分のお給料に相当する額をちょっとずつ貯金してなんとか購入したものだったのですが…。あ、もうお給料の心配しなくてもいいですね…。貰えなくなっちゃうし…ははは…」


 カチャ。


 ガラガラガラガラ…!

 カランコロンカラン…。


 トコトコと歩いて行ったパトリシア先生が戸棚を開けると、そこから転がり出てきたのは魔石&魔石。

 おそらくこれまでの実験で使い潰されたのであろう多くの魔石は、そのどれもが輝きを失い、黒く変色してしまっていた。


 俺は足元に転がってきた、そんな魔石の1つを拾い上げる。


(ふっ…。みんなにはゴミに見えるかも知れない魔石だけど…。俺にはこれが、沈没船から引き揚げられたザックザックの財宝に見えるぜ!!)


 ——キィ————…ン…!!


「ええ!!?…ま…まま…魔石が…!?魔力を使い果たしてしまったはずの魔石が…。…か…輝いているのです…!?」


「ま…まさかレイン!!?…君は…!?君は…魔石を…再生できると…いうのか…?そ…そんなバカな…!」


 目ん玉が零れ落ちてしまいそうな程に目を大きく見開き、俺の顔と俺の右手の中で輝く魔石とを交互に凝視するパトリシア先生とクロウ。


 あ、そういやエドガーに無闇に魔石再生リサイクルを他人に見せるなと注意されていたっけか…。

 けどまあ、パトリシア先生は先生だし、クロウは仲のいいクラスメイトだし、構いやしないだろう。

 …クロウの尋常じゃない驚き方には若干違和感を覚えるが…。


「まあ、ちょっとした特技みたいなもんさ。一応内緒でお願いね?」


「と…特技とか、そういうレベルの話なのか…?」


 俺は野球少年のように、手の中の魔石をぽんぽんと軽く上下させながら、今度は暗い紫色に変色した魔法陣の方へと歩み寄る。

 そしてそこでスッとしゃがみ込むと、魔法陣の端に手を添えてみる。


(おお…成程なるほど…。ふふ、面白い感覚だなこれ。ただの図形なのに、何故かまるで空っぽのでっかい魔石を前にしているように感じるぜ…。確か実験には光属性の魔石を使ったって言ってたかな)


 俺は身体の中で光属性の魔力を急速に練り込み、それを右手に集中させた。

 そして————————。


「レ…レイン君?その魔法陣はちょっと特殊なのものなのです。それは私が“魔力の循環”というただ一点にのみ特化した指令を与えたものなのですが…。ただ起動させるためには、多くの魔石が必要で…」


 スゾゾゾゾゾゾ…。


 ビカッ!!


「はっ…!?はわわわわわ…!?」


「ぐくっ…!?」


 地面に描かれた暗い魔法陣。

 俺がそこへ光属性魔力を思い切り流し込むやいなや、魔法陣は一気に輝きを取り戻した。

 同時に、一瞬爆風のような衝撃波が同心円上に巻き起こり、驚いたパトリシア先生やクロウは吹き飛ばされまいと身構える。

 さらに魔法陣から迸る輝きは、とどまるところを知らず、教場の天井や床、柱の1本に至るまで余す所なく、尽くを金色に染め上げてゆく。


「は…ははは…。…レインフォード・プラウドロード…。き…君という奴は…」


 クロウが額に汗をにじませながら、苦笑いを浮かべている。

 にしししし…、イケメンでもそんな顔するのね。


「パトリシア先生、これを元に、みんなをアッと驚かせる魔道具モノを作りましょう?魔道具科先生の家、俺たちがいる限り誰にも壊させやしませんよ…?」


 …魔法陣から放たれる光。

 その金色の輝きは激しくもあり、しかし一方で、とても優しく、そして温かなものでもあった。

 そしてそれは輝きを失うどころか、より一層強く…って…おい、ちょっと!?


 眩しい、眩しいんですけどぉ!?

 ちょっ…うまく締められないじゃんか!

 せっ…先生!?

 この光、どうやって止めるんですかぁ!?

 目が…目がぁぁぁ…!!?

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