第24話 元淡白女子がおかしくなる
家の中はただただ綺麗だった。生活感が全くないわけではないが、隙が見当たらないような綺麗な家。
ぱたぱたとした足音が聞こえて、玄関からすぐの白い扉が開く。私たちの姿を見て嬉しそうな顔をしたのは。
「波留にも友達が………!!」
「友人ぐらいできるだろ」
真子様その人だった。何も違和感がなく、普通に『波留君のお母さん』という感じがするので逆に感慨深い。
「私嬉しいわ。なんか泣けてきちゃう」
ふわふわと優しそうな、その年齢に見合わない綺麗な笑みで真子様は言った。いつもはテレビの向こう側にいる有名人が目の前にいるというのは不思議ではあるけれど、波留君のお母さんなんだと思えばあまり緊張はない。
真子様が本当に涙目になっているのを見て、波留君は呆れの視線を向けていた。少し憮然とした感情をのぞかせているのは、波留君も思春期の子供だということだろう。
「お邪魔します」
美波ちゃんが頭を下げたのを見て、あたしと光瑠ちゃんが慌てて頭を下げる。唯一常識人だと言ってもいい明人君はきちんと礼儀を示していたけれど。
「時間が許す限りに好きに過ごしてね。じゃあ私は奥の部屋にいるから、何か困ったら呼んで」
最後まで完璧な表情を崩さなかった真子様は、柔らかな笑みを湛えたままリビングらしき場所の奥へと消えていった。
その姿を見送った波留君が「……普段はもっとダメ人間だけどな」とぼそっと呟いたから、思わず吹き出してしまった。
「とりあえず俺に部屋に来てもらって」
小綺麗な玄関で靴を脱ぎ、みんなが並べた隣に並べて、階段を上がっていくのを追いかける。整理整頓がしっかりとされていて、だらしない場所が本当に見受けられない。
二階に上がった波留君が早々に開けた扉に入る。
「………あんま綺麗じゃないけど」
「いや、綺麗だと思うよ?」
自信なさげに言った波留君の言葉に、明人君が突っ込みを入れる。物の量は確かに少なくないものの、それはこの家の中にしてはという条件が付いている状態でなので、普通の男子の部屋に比べたら綺麗だと思う。
あたしは男子の部屋に入ったことなどないから分からないが、妹が言うには汚いことが多いらしいから。
もう一度部屋を見渡す。
ライトノベルから始まり、何でも入っていそうな大きな本棚に、ところどころに楽器などが置いてある。バレー用品もおいてあって、ユニフォームがハンガーで掛けられている。そしてその後ろに──………
「マイク………?」
「ああ、それ。今日用事があるっていうのはこれが原因」
あたしの疑問に答えるように、ユニフォームの裏側にあったマイクを引っ張り出してきてくれた。歌い手さんとかがよく使っているような、結構ちゃんとしていそうなそれ。
そして、そこに引っ掛けられている見なれた仮面。春乃夜さんが撮影の時に使っている、少し武骨な、上半分だけの。
「あ、あの、可能性の話なんだけど、とんでもない話していい?」
「……どうぞ」
「………春乃夜さんって知ってる?」
「知ってるも何も俺だし」
…………やばい、死にそう。
頭が真っ白になるというのはこういうことを言うのだろう。まず現状何が起きているのかを把握することから始めなくてはいけないのだが、頭の中がごちゃ混ぜになって何も考えられていない。
落ち着こう。深呼吸をしよう。
何とか現実が飲み込めるまでこの間五秒。私の不思議な静寂に波留君は無言を貫き、光瑠ちゃんの注意はもうほかに移っている。
何を話せばいいのか分からなくて、とりあえずいつも聞いてますとだけ、そこまで重度のファンじゃないことをアピールしなくては───……
「…………愛してます」
失敗した。
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その後何とか落ち着きを取り戻した。
「………涼香が聞いてくれてるなんて思ってもなかった」
目の前にはあたしが懇願したことで渋々仮面をつけてくれた波留君がいる。私の名前を呼んでくれている。
だめだ落ち着けてない。
「声、違うじゃん」
「変えてる」
会話能力が格段に落ちているような気がするのは間違いじゃないだろう。でもそんなあたしに引っ張られて波留君まで会話レベルが下がっているのはなぜだろうか。
春乃夜さんが普通に話しているところを聞いたことがないけれど、歌っている声は今の波留君の声とは違う。もう少し低くて主張が強い声で歌っているような気がしていたのだ。が、歌っているから少し声が変わっていただけのようだ。
「……あたし、ずっと聞いてたんです」
「敬語」
「すいません今ちょっと敬語外すの無理です。登録者四桁の時期から聞いてて、ほんとに好きなんです。ファンです」
「………ありがとう」
「正面から言われると照れる」などと少し視線を逸らす波留君が尊すぎて辛い。口元に手を添えて少しでも顔を隠そうとしているのが見ていて胸が苦しくなる。
だって春乃夜さんはあたしがずっと追いかけてきた人で、ずっとあこがれていた人だ。それが実は波留君で、あたしが好きな人で。
「珍しく涼香さんが錯乱してますね」
「すいませんちょっとあの、はい、すいません」
「日本語可笑しいし、私にも敬語使ってるのなんなんですか。面白すぎますよ」
いつもよりも格段に楽しそうな美波ちゃんは、その錯乱した私を見てくすくすと笑っていた。きっと彼女はことの重大さが分かっていない。
今現在登録者が六十万人に届きそうだという話題の歌い手なのに。一番再生されている曲では一千万を超えているものもあって、アップされた曲はたいてい百万再生されるというすさまじさ。
特に何が素晴らしいって、歌っているときの映像がかっこよけしからん。少し首元が開いていて鎖骨が見える時なんて昇天しそうになるほど。暗めで顔は良く見えないようにはなっているものの、シルエットからあふれ出てくるイケメン感。そして実際目の前にしてみればこのイケメン。
そして声が、低くて力強い。
頭を撫でられに来たのに鈍器で殴られるみたいな、そんな感覚。途中に『がなり』などは入れられているのに聞きずらさというのは欠片もなく、軽率にメスになれる。
「はいはい、涼香さんトリップしないでくださいねー」
美波ちゃんにたしなめられるけど、むり。
目の前に春乃夜さんがいる事実を噛み締めながら、幸せ過ぎる現在に胸が弾むのを感じた。
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