第75話 首つり峠 その三



 急いで、家のなかへ入ると、龍郎たちは二階の美輝のもとへ急いだ。


「美輝。入るよ」


 鹿原が声をかけ、扉をあける。

 すると、そこに霊がいた。

 女の子らしいピンクや白の調度品の数々。ぬいぐるみやオモチャ。ハンガーラックには小学校の制服がかけられ、学習机に赤いランドセルが置かれていた。

 そんな可愛らしい室内には、あまりにも不似合いな男の霊がいるのだ。


 首つり自殺をしたというから、そのせいだろう。首が異様に長く伸び、舌を胸までダラリとたらしている。白目をむき、つるされているように空中に浮いて、フラフラと揺れていた。

 これを一般人が見たら、たしかに神経症にもなるだろう。


 チラリと龍郎は鹿原をかえりみた。が、鹿原は兄の霊にはまったく気づいているようすがない。見えていないのだ。


(ふうん? いつも見えるわけじゃないんだな。ということは?)


 美輝は小学三、四年生くらいだろうか。テレビで見る子役に似た可愛い少女だが、顔色がよくない。

 霊障だろうか?

 しかし、今日は平日だ。学校のはずなのに休んでいるわけだから、霊障だとしたら、そうとうに重いということになる。


 でも、なんというか、見た感じ、ふつうの霊だ。霊にふつうも異常もないかもしれないが、ただそこにいるだけで、とくに悪意を感じられない。見ためがグロテスクだから、見えることじたいで病む人はいるだろうが。


「えっと、美輝ちゃんだよね? 今日は休校なの?」


 美輝はシャイなようで、ほんのり赤くなりうつむいた。黙って首をふる。

 すると、鹿原が代弁した。


「美輝は持病がありまして、今は休学しているんです」

「ああ。失礼しました。じゃあ、美輝ちゃん。最近、このお部屋で変わったことない?」


 これにも首をふる。


「伯父さんのこと覚えてるかな? お父さんのお兄さん」


 うなずいたが、とくに霊のほうを見るでもない。美輝にも見えていないようだ。ただ、霊が美輝に憑いているのはわかった。この子のことが気にかかっているのではないかと思う。


「鹿原さん。お兄さんのお名前はなんですか?」

あきらです。じつは美輝の名前は兄の字をもらったんですよ。兄夫婦には子どもができなくて、どうしてもと頼まれたので」

「そうなんですね」

「兄は美輝のことを自分の子どものように可愛がってくれました」


 話していると、青蘭が業を煮やしたようだ。ポケットからロザリオをとりだす。


「そんなことより、やっちゃえばいいよ。今すぐ浄化しよ?」


 龍郎はあわてる。

「ああ、待って。待って。なんか気になるんだよ。輝さんの霊は何かを伝えたくて出てると思うんだ。それを解決してあげたほうがいいのかなって」

「ええ……?」


 たしかに浄化しようと思えば、この場でできる。でも、ふだん取り憑いているのは美輝のほうなのに、弟の夢枕に立つのには理由があるはずだ。


「鹿原さん。下で話を聞かせてもらっていいですか?」

「はあ」

「じゃあね、美輝ちゃん」


 残念そうにこっちをながめる美輝を残して、龍郎たちは階下におりた。


「すいません。台所のことは勝手がわからなくて。お茶も出せませんが」

「かまいませんよ」


 そう言われて、プラモデルのたくさん飾られた家族の居間に通された。

 輝の霊はついてこない。やはり、美輝のもとを離れないのだ。

 龍郎はそのことを鹿原に説明した。


「お兄さんが鹿原さんの夢に出てくるのは、あなたに伝えたいことがあるからです。たぶん、そのことに美輝さんが関係しているでしょう」

「美輝が……ですか」


 鹿原はなんとなく合点が行ったようすだ。


「お兄さんは美輝さんを可愛がっていたんですよね? 何か美輝さんのことで懸念けねんするようなことがありますか?」


 学校でイジメられているのだろうかと考えたが、違っていた。もっと深刻な事態だ。


「……じつは、美輝は数年以内に心臓移植をしないと生きていけないんです。先天的な心臓病で。そのためにはアメリカに渡って向こうでドナーを待つしか方法がありません。日本では子どものドナーは皆無に等しいですから」

「まあ、そうでしょうね。子どもが亡くなることじたい少ない上に、幼くして亡くなったわが子の臓器を提供したがる親御さんは、さらに少ないでしょうから」


 とつぜん愛するわが子が亡くなったのに、悲嘆に暮れている最中、その体にメスを入れることを決断できる両親はあまりいないだろう。

 それに交通事故で亡くなると、臓器が破損している可能性もある。


 鹿原は深々とため息をついた。


「ただ、アメリカで手術してもらうためには、桁外れの金が必要なんです。最低でも一億。娘一人で行かせるわけにもいかないですから、家内がつきそうとして、向こうでの生活費やリハビリのことなども考えると。向こうは医療保険の制度が違いますからね」

「なるほど……」


 いつもの青蘭なら「一億くらいボクがやるよ。だから、兄貴の霊は今すぐ祓う」と言えるのだが、今はそれができない。得意技を封じられて、悔しそうな目をしている。


「じゃあ、お兄さんは美輝さんの将来を気にしているんですね」

「たぶん、そうなんでしょう。どんなに働いてもそれだけの額は稼げないので。ホームページで寄付を募ったり、家内はパートをかけもちし、私も通常の仕事のほか、趣味でしていたプラモデルをネット販売しています。けっこういい値にはなりますが、それでも目標額があまりにも高くて……」


 もしかして、鹿原がやつれているのは、兄の霊による霊障というより、過労ではなかろうか。きっと寝るまも惜しんで金の工面をしているのだ。


(一億かぁ。一般家庭じゃ、なかなか手に入らない額だよな)


 だが、これでなんとなくわかった。


「お兄さんの霊が、ただ美輝さんの身の上を案じているだけなら、あなたに伝言しようと思わないんじゃないでしょうか。今このときに伝えたいことがあるとしたら、美輝さんの手術費用のことだと考えられます。もしかしたら、お兄さんはあなたか美輝さんに遺産を遺しているのでは?」


 鹿原は首をふった。

「そんなことはまったく聞いていません。こんなに早く死ぬとは思っていなかったので、生命保険も葬式代にしかならなかったと義姉が言っていましたので。預金は多少あったかもしれませんが、それは義姉のものですし」


 龍郎は鹿原の口調からピンときた。

 鹿原は義理の姉を嫌っているようだ。


「お姉さんに生命保険のことをたずねたってことですね。つまり、娘さんのために、お金を貸してほしいと、お義姉さんに頼んだんじゃないですか?」


 鹿原は苦々しい顔でうなずく。


「ええ。まあ。こっちは必死ですから、友人や親戚筋、あらゆる人を頼りました。義姉はもともと兄が美輝を可愛がることが気に食わないようでしたしね。冷たいもんです」


 ほんとは弟に遺産を渡してほしいという遺言でもあったのではないだろうか?

 義姉がそれをにぎりつぶしているのかもしれない。


「次はお義姉さんに会いましょう」

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