第74話 絶望するパンドラ その四



「すぐにフレデリックさんと穂村先生に来てもらおう」

「うん……」


 しかし、その必要はなかった。

 前庭を通りぬけ、古式ゆかしい日本家屋に入ると、二人はそこにいたからだ。


「……なんで、お二人がいるんですか? 今から晩飯なんですが」


 ハッハッハッと穂村は高らかに笑う。ガリガリにやせているくせに、つねに元気がありあまっている。


「そう言うと思って、今日は寿司を持ってきた。気がきくだろう?」

「……はい」


 回転寿司のテイクアウトだが、今から龍郎が夕食を作ることを思えば助かる。


「私は清美さんに呼ばれたんだ」と、神父は告げた。

 銀髪ぎんぱつ碧眼へきがんで、あいかわらずハンサムだ。龍郎と青蘭の見張りを今でも続けているのだろう。


「まあ、いいですよ。ちょうどお二人に話があったし」


 神父が笑った。

「めずらしいな。君のほうから話したいとは」


 龍郎は二人に事情を説明した。

 黙って聞いていた神父は頭をひねる。


「星流に隠し子? それはないな。星流は生粋のゲイだよ。精神的に愛せるかどうかはともかく、女性に子どもを生ませることは不可能だ」

「でも、じっさいに青蘭が……」

「青蘭の母のカレンさんは処女受胎だと、星流が言っていたことがある」


 処女受胎……人間業ではムリな話だが、アンドロマリウスの実験の結果だから、人工授精ということだろうか。


 すると、沈思黙考していた穂村が口をひらいた。


「実験室の卵だな。青蘭に兄弟がいるとすれば、それ以外には考えられない」


 ふだんはどこかズレているが、やはり宇宙のすべての智を知りつくした魔王と呼ばれるだけのことはある。

 穂村が真剣な表情で言う。

 龍郎はこのさいだから聞いてみた。


「穂村先生。以前、実験について質問したときは、アンドロマリウスの真意はわからないという答えだった。でも、実験はあなたが主導で行なっていたんでしょう? じっさいには、どんなことをしてたんですか?」


「くわしく説明したところで遺伝子工学に明るくない君たちじゃ、概要もわからんだろう。端的に言えば、アンドロマリウスの細胞内の染色体をゲノム編集し、天使の遺伝子を造りあげた。その染色体をカレンの卵細胞に埋めこみ、彼女に人工授精したんだ。つまりだな。青蘭の肉体を構成するのは、カレンの卵細胞から得た人間のタンパク質。だが、その遺伝子情報は天使。アスモデウスのものだ。アンドロマリウスが守っていたアスモデウスの体から細胞を採取し、ゲノムを解析した。ただし、アスモデウスの細胞じたいは、ノーデンスのかけた呪法によって仮死状態にあったため、ちょくせつ実験に使用することはできなかった。特殊な魔法が科学の力をはねつけたわけだ。だからこそ、アンドロマリウスの細胞が必要だった」


 ちっとも端的ではないが、そのくらいの説明なら、龍郎にも理解できた。


「カレンさんを殺して魂をとりだす、とかはしなかったんですね? たしか以前、アンドロマリウスが、カレンさんはアスモデウスの生まれ変わりだと言ってました。それって、青蘭と同じ魂の持ちぬしだったってことでしょ?」


 穂村は嬉しげに目を輝かせる。

 きっと、学術的な話ができれば、どんな内容でもいいのだ。


「そう。カレンは青蘭の母でもあるが、魂は同一。青蘭の前世とも言える。子宮内に青蘭を着床してからは、カレンは一日の多くの時間を寝てすごすようになった。すなわち、青蘭の体とカレンの体を、一つの魂で交互に動かしていた。青蘭が成長し、活動時間が長くなればなるほど、カレンの起床時間は減った。あの火事で亡くなる直前には、カレンとしての肉体は、ほとんど、ぬけがらだった。サナギが幼体の殻をぬぎすてるように、カレンの肉体をすて、青蘭として変態をとげた」


「肉体から肉体へ魂を移動させることなんてできるんですか?」

「それはアスモデウスの恣意しい性だな。もともと天使だったアスモデウスにとっては、純然たる人であるカレンの肉体より、より天使に近い肉体を持つ青蘭のほうが、自分の居場所として心地よかった、ということだろう」

「なるほど」


 穂村は続ける。

 この調子なら頼まなくても、朝までしゃべっているに違いない。


「だからこそ、やっと安住できる肉体を得たと喜んだのに、その体が著しく損なわれたとき、アスモデウスの心は壊れた。人間の体はそれほど、もと天使のアスモデウスにとっては、つねに失望のもとでしかなかった」


「天使の外見はたしかに、ひじょうに美しいですね。でも、人間とそれほど大差はありませんが」

「龍郎くん。君だってトラックにひかれて死んだあと、次に生まれ変わってみたら、自分の体が豆腐でできていたと仮定してみたまえ。失望するだろう?」

「豆腐はイヤですね。すぐ崩れる」

「天使から見た人間はそういうものなんだよ。もろくて崩れやすい、寿命も短い、できそこないの体なんだ」


 そういえば、青蘭は華奢なわりに力が強いし、怪我もしにくい。細胞単位でふつうの人間より頑強な造りなのかもしれない。


 穂村はうなずく。

「豆腐人形として彼女は何億年もさまよっていたんだ。ようやく天使にふさわしい肉体に戻れたときには狂喜しただろうね。造作も以前の自身に似ていた。それをふたたび失ったとき、正気でいられなくても、しかたあるまい?」


 さっきから、まわりがやけに静かだと思えば、青蘭も神父も、はたで見てわかるほどに深く思索にふけっている。


 青蘭は自分自身のことだ。

 前世のことや、現世の肉体の組成を話題にされれば、とうぜん、気になる。


 しかし、神父はなんだと言うのだろうか?

 疑問に感じはしたが、龍郎は話を続けた。さきが聞きたい。


「青蘭のなかにある快楽の玉は、アスモデウスの心臓だと、アンドロマリウスが言っていました。アスモデウスに仮死の魔法がかけられていたのに、よく使えましたね?」

「それは簡単だった。むしろ、仮死だったからこそだ。アスモデウスの肉体から切除したとたん、心臓は自然に結晶化した。恐ろしいほど魅惑的な真紅の玉だった」

「それを青蘭のなかに外科手術で埋めたんですね?」

「いや。青蘭が誕生したとき、玉が輝いて、これまた勝手に吸われていった。アスモデウスの意思が働いたとしか思えない」


 龍郎は以前、魔界へ行ったときに見た幻影を思いだした。幻影と言うより、それは過去の時間にいるアスモデウスと、現在にいる龍郎の時間が一瞬、つながったのだ。

 あのとき、アスモデウスは恋人の天使を亡くして悲嘆に暮れていた。だが、龍郎のなかにある苦痛の玉を見て、希望をみいだした。

 まだ、つがいになることができる——と。


 アンドロマリウスの計略に見えて、じつはそこにアスモデウスの思惑がひそんでいたとしても不思議じゃない。まんまと乗せられたのは、アンドロマリウスのほうなのではないか。


 とつぜん、コホンと穂村がせきばらいした。

「ああ、ところで、本題からそれたようだね」


 龍郎が黙りこんだので、聞き手がいなくなってしまったせいだ。穂村はつねに話を聞いてもらえる相手に飢えている。


「すみません。そうでしたね。それで、青蘭に兄と呼べる存在がいるんですか?」


 これが肝要だ。

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