第69話 猟犬 その六



 木造の粗末な小屋のなかは土間だ。

 まるで豚小屋である。


「そう言えば、刑務所のことを豚小屋って言いますよね。やっぱり、似てるからなんですかね?」

「本柳くん。いいねぇ。ウィットがある」


 何が楽しいのか、穂村は大笑いしている。


 格子のハマった小さな窓から男の顔がのぞいた。さっき龍郎たちをここにぶちこんだ男だ。たぶん、この村の警官なのだろう。日本的に言えば交番勤務の巡査と言ったところか。背が低いので、窓からのぞくのがしんどそうだ。ジャワ語で何か言ったが、きっと静かにしろという意味だ。


「見張りがいるのか。困ったな。マルコシアスを呼んだら、おれたち、いよいよ悪魔だと言われますよね?」

「私はかまわんよ」

「そりゃまあ、先生はほんとに悪魔だから」

「今日の君は機知に富んでるねぇ」


 穂村はまた大笑いした。抱腹絶倒だ。

 悪魔の笑いのツボがわからない。


「穂村先生。それより、ラマディンはディンダを殺したかもしれない相手を女だったと言っていましたよね。さっきのマデさんがそうなんじゃないですか? おれたちがジャマだから拘束しようとしたと考えられませんか?」


「その可能性はなきにしもあらずだな。小さな村のなかで医師の役割もしている占い師だ。夜中に話しかけてきても、女性が恐れることはないだろう」


 龍郎はうなった。

 マデがマイノグーラだとしたら、まんまとハメられたわけだ。


「とにかく、ここを出ましょう。見張りはずっとここをのぞいてるわけじゃない」

「うむ」

「ところで、マルコシアスを呼ぶには、どうしたらいいんですか?」

「テレパシーだな」

「ムチャ言わないでください。おれにできるのは悪魔祓いだけです」


 穂村が残念そうな顔をする。

 いや、そんなことあたりまえの人間にできるわけないだろうと言いたいところを、龍郎はこらえた。言ってもムダだろうから……。


「……マルコシアスを呼べなかったら、もしかして、おれたちピンチなんじゃないですか? ここから出られない?」

「うーん。そういうことになる……のかな」

「…………」


 全知全能に等しい、あらゆる叡智えいちに精通した魔王であるはずなのに、なにゆえ、こんなにもポンコツなのであろうか。いわゆる学者バカというやつか。


 しかたないので、龍郎は気をまぎらわすために推理した。


「あとは握手で確認していないのは、ディンダさんの叔母さんのチョコルダさんだけですね。でも、正確に言えば、叔母さんはディンダさんの家の前にいたわけじゃない。家のなかだ。容疑者候補から外してもいいと思います。となると、やっぱり怪しいのはマデさんだ。マイノグーラが化身してるのは、マデさんに間違いないですよ」


 何度か村人たちの話し声が外から聞こえた。それを聞いた穂村が意訳してくれる。


「どうやら、村から外に出られないことをみんな不思議がっているようだな。デンパサールの警察も到着できないし、異常な事態だと村人は不安がっている」

「説明したらわかってもらえますかねぇ?」

「我々のせいにされるのがオチじゃないか?」


 時間がもどかしくすぎていくばかりだ。早くなんとかしたいが、鍵のかかった小屋からの脱出方法を見つけだせないまま、日が暮れた。

 昼飯もぬきなので、ひどく空腹になってくる。


「まだ見張りいますよね?」

「いるな。二人いる」

「じゃあ、夕食をもらえるよう交渉してみてくださいよ。水はミネラルウォーターがいいんですが」

「そうだな。食わないと戦えんからなぁ」


 そのあと三十分くらいかけて、穂村が警官をくどきおとした。ようやく、ナシゴレンが二皿運ばれてくる。それにペットボトルの水が一本。すばやく皿と水が置かれて、すぐにまた鍵がかけられた。逃げだすスキはない。


 床にすわったまま、質素な夕食を胃にかきこんでいると……。


「……あれ?」


 なんだか遠くのほうがさわがしい。

 村の祭りだろうかと思うようなにぎやかさだ。


「先生。マイノグーラがまた暴れだしたんじゃ?」

「うん。そうかもしれんな。いや、だが、それにしても大勢がさわいでいるようだな」


 あの犬の遠吠えが村のあちこちで響く。しかし、それ以上に人の声が激しい。悲鳴だ。陽気な祭りのにぎわいなどではなかった。何人もの人たちが絶えずあげる助けを求める声のようだ。


 小屋の外で見張りの警官が何やら話しこんでいる。


「あの騒ぎはなんだ? ちょっと見てくる、と言っているな」

「マイノグーラだ。たとえ拳銃を持っていても一般人じゃ太刀打ちできない」


 だが、ひきとめる前に警官の一人は走っていってしまった。数分待っても帰ってこない。もう一人の警官がソワソワする。


「穂村先生。今夜は昨日より妙な気配ですね」

「うん。これはちょっとマズイかもしれんぞ。門がひらいてしまったのかもな」

「門?」

「マイノグーラが言ってたんだろ? 門がひらくと」


 そうだった。下品なワードだと思ってしまったが、もしかしたら重要なことだったのかもしれない。


「穂村先生。警官に釈放してもらえるよう、話しあいでなんとかなりませんか?」

「ムリだと思うがねぇ。まあ、やってみるか」


 穂村が窓に近づき、くるりと背を向けたときだ。

 ふいに龍郎は鋭利なナイフで脳髄をつき刺されたような感覚を味わった。苦痛すらともなうほどの異常な気配を。


(どこだ?)


 視線を小屋のなかにすばやく流したとき、に気づいた。

 部屋の壁と壁が直角にぶつかるところ。

 天井の下あたりから、がめくれあがっている……。

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