第60話 無限階段 その二



 無限に続く階段。

 上の階がどこまであるのか、果てがあるのかもわからない。


 その階段を無我夢中でのぼっていく。


 背後の闇のなかから、ハアハアと獣の息づかいが聞こえた。ガラン、ガラン、ジャラジャラと、ケルベロスが足かせをひきずる音もする。


「くそッ。あきらめないヤツだな」

「……たつろ、さん。ボクもう……走れな……」


 青蘭は足がもつれて、今にも倒れそうだ。龍郎だって息は切れていた。ここはもう戦うしかない。


「かまれると体が腐るとか、そんなヤツじゃないといいけど」

「…………」


 青蘭はなぜか黙りこんだ。

 単に呼吸が苦しかっただけかもしれないが。


 いつものように青蘭をうしろにかばい、龍郎は剣をかまえる。

 足場は悪いし、せまいし、走りっぱなしで疲労もしている。敵の動きについていけるか心配だが、青蘭だけは守らなければならない。


 来た。

 さっきの狼だ。

 龍郎たちを見て、グルルとうなる。


 今の状態で長期戦は難しい。

 それなら先手必勝だ。


 龍郎は大上段で剣をふりかぶり、いっきに間合いをつめる。階段だから上部から攻撃できるのは有利だ。薬丸自顕流の威力が増す。


 だが、ようすがおかしい。

 狼はいぶかしむように、こっちを見たまま身動きしない。

 龍郎の剣が頭上にまで迫ると、狼は姿勢を低くし、伏せのポーズをとった。犬が飼いぬしにやるやつだ。


「……待って。龍郎さん。その狼、なんだか、なつかしい匂いがする」


 青蘭が言うので、龍郎は剣をさげた。


「なつかしい?」

「うん。知ってる……ような気がする」


 青蘭は子どものころから霊的なものが見えたようだ。それに成長してからは、ずっと悪魔退治をしてきた。悪魔にがいても不思議はない。


 まるで龍郎たちの会話を理解したように、狼は頭をさげたまま近づいてきて、青蘭の指さきをなめた。

 いやに、なついている。

 まあ、これなら噛みつかれる心配はない。


「襲ってくることはないんだね?」

「うん。たぶん」

「じゃあ、少し休もうか。青蘭も疲れたろ?」

「うん」


 狼に追われて、だいぶ走ったから、ヘトヘトだ。

 また階段にならんで腰かける。

 狼も青蘭の足元によりそうように座りこんだ。


「龍郎さん。眠くなってきちゃった」

「いいよ。おれが見張ってるから」


 青蘭は龍郎のひざまくらで目をとじる。

 二人いっしょに寝てしまうには危険な場所だ。何が起こるかわからない。

 この狼だって、まだ完全に信用できるという保証もない。

 龍郎は青蘭の髪をなでながら、警戒を続けていた。そのうち、青蘭は気持ちよさそうに静かな寝息を立てる。

 龍郎は上着をぬいで、下着姿の青蘭の肩にかけてやった。


 そのまま、どのくらいの時間がすぎただろうか。

 いつのまにか、龍郎はうたたねしてしまっていたようだ。

 グルルとうなり声を聞いて、ハッと目覚める。龍郎たちが寝入ってしまったのを見て、狼が本性を現したのだと思った。


 が、あわててうかがうと、狼はまだ伏せの状態で、階段の下方を見ている。

 龍郎たちに対してではない。何か別のものの気配を感じとったようだ。


 龍郎も目をこらして、薄暗がりをながめた。とくに変わったことはない。さっきと同じ闇のなかへと、カーブを描きながら階段が消えていく。


 が、そのときだ。

 安心しかけた龍郎の耳が、かすかな物音を聞きとった。

 カリカリと石の床を小さな虫が這うような……。


 何かいる。

 あの光る虫だろうか?

 でも、あの虫は体長一センチほどだ。それに、あんな音を立てるような足がない。いわゆるイモムシ形なのだ。


(何か……いる?)


 龍郎はじっと闇に目をこらした。

 あの光る虫のように害のない生き物かもしれない。それならいいのだが。


 見つめていると、カーブのさきから這いだしてくるものがあった。

 やはり、虫だ。足がある。クモのようなものだろう。かなり大きいが、危険なものじゃない。


 ほっとして、龍郎は吐息をついた。

 神経が過敏になっている。

 油断のならない場所だからしかたないが、この無限階段からぬけだすのに、あとどのくらいの時間がかかるのかわからないのだ。少しは休んだほうがいいのかもしれない。


 龍郎は目をとじた。

 きっと、異変があれば、また狼が知らせてくれるだろう。狼が龍郎たちに害をなそうとしているのなら、さっきのあいだにできたはずだ。それをしなかったのは、する気がないからだと考えた。


 だが、今回は眠ることはできなかった。

 龍郎が目をとじるかどうかに、狼がうなった。さっきより大きな声で。


 かんべんしてくれ。

 ちょっとは眠らせてくれよと言おうとして、龍郎は息を呑んだ。


 虫なんかじゃない。

 階段の下から這いあがってくるのは、人間だ。いや、正確には人間の腕だけが見えている。さきほど虫だと思ったのは、指の部分だった。


 ギョッとする龍郎の前で、それはさらに頭、肩、背中——と現れてくる。

 生きている人間でないことは、すぐにわかった。死体だ。腐乱している。指さきは骨が見え、皮膚も青白い。ところどころ赤く鬱血うっけつしている。


 一体ではない。

 死体が次々に階下からやってくる。

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