第56話 魔界行 その六



「天使が囚われている? それは、いつからですか?」

「さあな。少なくとも、わしがここにおるより長いあいだだ」


 行ってみたい。

 たとえ、それがアスモデウスではなかったとしても、天使ならば、アスモデウスが堕天したときの事情をより詳しく知っているかもしれない。


「その場所はどこですか?」

「そこまでは知らん。もっとも深い奥だという話だ。それより、もうよかろう。わしをここから出してくれぬか」


 たしかに、そうだ。

 さっきから思わず質問攻めにしていた。

 とは言え、どうやって、この岩の牢屋から囚人を出せばいいのだろうか?


「鍵……ってわけでもなさそうですね。そもそも扉がない」

「柱を破壊してくれればいいのだ」

「ああ、そういう……」


 一番、単純明快な解決法だった。

 だが、そう言われても戸惑う。

 牢の出入り口をふさぐ岩の柱は一本の直径が二十センチはある。根元の太いところなら五十センチ近く。素手で人間に壊せるような代物じゃない。空手の達人ならできるのかもしれないが、残念ながら龍郎は空手の達人ではない。


 困って柱を見つめていると、老人は愚弄ぐろうするように龍郎をながめた。相手は神様だからしかたないが、人間にすぎない龍郎を内心、対等には思っていないのだ。


「右手を出すがよい。そなたなら素手で壊せるとも」

「…………」


 ほんとかなと思ったが、右手には苦痛の玉が埋まっている。その意味での“右手”ということであれば、案外、行けるかもしれない。


 龍郎は青蘭を左腕にかかえなおすと、右手をひろげて、牢屋をふさぐ岩の柱に押しあてた。

 驚いたとこにバシンッとものすごい音がして、岩柱が数本くずれる。


(あれ? ほんとにできたぞ)


 丸くあいた穴から、老人が腰をかがめてくぐりぬけてきた。それを見て初めて、たしかに人ではないことを龍郎は実感した。

 老人の風貌が西洋人のそれだとは思っていた。しかし、目の前に立つと身長が三メートル強もある。巨人だ。さっきのヘカトンケイルほどバカデカくはないが、人間としては規格外に大きい。一メートル八十の龍郎でさえ、老人とならぶと大人と子どもほども差があった。


(そう言えば、天使もデカかったな。智天使だったころのアスモデウスも、三メートルはあった)


 ホモ・サピエンスの前の人類であるネアンデルタール人も巨人だったらしい。成人は二メートルていどの背丈だったようだ。大地の神や旧支配者が獣とまじわり人類の祖となったとも言われる。その名残りなのかもしれない。

 老人を見ていると、あるいはそんなこともあるかと思わせる。


「あなたはここに何年くらい閉じこめられていたのですか?」


 たずねると老人は肩をすくめた。


「そんなこと、覚えていられると思うか? あの大戦が何億年前のことなのか知っておるか?」

「いえ」


 地球の年齢は四十六億歳だ。

 大戦がどの時点で起こったのかわからないが悠久の時が流れたのだろうという想像はついた。


 なんだかとても不思議な気分だ。

 これまで、悪魔だ、魔王だと認識して接した人以外の存在はある。悪い魔性として見ていたわけだ。

 が、今となりにいる老人は、まがりなりにも神なのだ。神様とふつうに話せるとは思わなかった。


「どうやったら、あなたの力をとりもどせるんですか? とりもどせないと、ここから出られないですよね?」

「この獄舎のどこかに、囚人の魔力を封じるための魔道具があるのだという。それを破壊せねばならんな」

「わかりました。どんな形のものかわかりますか?」

「形はわからんが、ひとめ見ればわかる」

「そうですか」


 しかたあるまい。

 どうせ、あてもないし、しばらく洞窟のなかを探索してみよう。


 ため息をつく龍郎に、老人はまたもや問題発言をする。


「その者、魂がぬかれておるな」

「えッ?」


 龍郎は老人の目線を追った。

 信じたくないが、まちがいなく、老人は青蘭を凝視している。


 なんとなく、ふつうじゃないとは感じていた。大きなケガをしているふうではない。呼吸も脈拍も、ゆっくりとではあるが安定しているし、人工呼吸をしたとき、水を吐くこともなかった。身体的な問題で覚醒しないわけではないのかもしれないと。

 ただ、それを認めたくなかっただけだ。


「青蘭……」


 いつものように、さらわれてこそいなかった。

 でも、なかみがカラッポになっていたなんて。


(どこにいったんだよ。おまえの魂?)


 魂と肉体が分離された青蘭。

 それは、まるで、アスモデウスの受けた罰そのもののようだ。

 まさか、このまま二度と還ってこない、なんてことはないだろうか?


 たしかに青蘭は美しい。

 でも、愛する人が魂のない体だけの存在になってしまうことが、こんなにもツラく、胸をえぐるのだと龍郎は痛感した。愛しているのは美しい外見ではなく、その魂なのだと。

 どんな手段を使ってでも、智天使としてのアスモデウスを蘇らせたいと願うアンドロマリウスの気持ちが切実に理解できる。


(青蘭。笑ってくれ。おれの声に応えてくれ。魂のないおまえなんて、さみしすぎるよ)


 しみじみと青蘭のおもてを見つめていると、老人は言った。


「この者、人にして人ではないな?」


 そう。今の肉体は人間だが、存在は天使。天使は大地の神から作られたらしい。つまり内なる神に等しい。


「わかりますか?」

「わかるとも。おそらく、この者の持つ力にタルタロスの封印の力が反応したのだろう」

「ということは、あなたの力を封印しているに、青蘭の魂は吸いよせられてしまった、と?」

「さよう」


 それなら、ついでだ。

 ついさっき、龍郎の優先順位は青蘭の魂を解放することにシフトチェンジしたが、その青蘭の魂を呼びもどす労力で、老人の力もとりもどせる。一石二鳥だ。

 それに、青蘭の魂のある場所なら、あるいは龍郎にはわかるかもしれない。快楽の玉と苦痛の玉の共鳴する感覚で。


 とにかく、やみくもに歩きだす。

 地の底の青白い洞窟で魂のない青蘭をかかえていると、まるで死体を抱いているような気分になる。


 ふいに周囲がさわがしくなった。


「出してくれぇー! ここから出してくれ」

「出せー! 出せー!」

「ゲゲゲギギグゥーッ」

「ひひひ、人……ひ、ひと、食う……」

「頼む。出してくれぇ。せめて殺してくれぇ。もうイヤだぁ! 耐えられないんだ。頼む!」


 牢屋にはほかにも大勢の囚人がいたのだ。

 いっせいに騒ぎだしたので、龍郎はあせった。

 このままでは、牢番のヘカトンケイルを呼びよせてしまう。

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