オマケ

ガマちゃんの帰還?



 龍郎と青蘭がフランスへ旅立っていった。サポートだか監視だかで、フレデリック神父もいなくなったので、清美はM市の家に一人、留守番だ。


「あーあ。ガマちゃん、死んじゃったな」


 留守番のあいだはヒマなので、一日中、縁側でひなたぼっこしながら趣味の読書をしたり、お菓子を作ってティータイムを楽しんだり、お気に入りの動画を編集したりしていたが、それでもまだ時間がありあまっている。ちなみに動画はこっそり撮りためた龍郎と青蘭のラブラブだ。


 やっぱり仕事をしてないと、一日二十四時間が自由すぎる。

 あまった時間は近所を散歩した。近ごろよく行くのは、家の裏手にある小さな池だ。山家育ちなので、こういう自然あふれる場所へ来ると落ちつく。


「わぁ。マイナスイオンだぁ。気持ちいい。池もきれいだし、湧き水なのかなぁ?」


 大きな水たまりていどの池だが、水はたいへん澄んでいる。メダカやフナのようなものや、オタマジャクシなどが水草のあいだを泳いでいくのが、よく見える。


 池のほとりには、アマガエルもいた。ケロケロ、ケロケロ、鳴いている。

 どれも小さくて、つるっとして緑色で可愛い。その姿を見ると、茶色くてイボイボで大きくて、ちょっと気持ち悪かったガマちゃんを思い出す。アマガエルは可愛いけど、ガマガエルはキモいと青蘭が言っていたからだ。


「ガマちゃん……」


 池をのぞきこむながら、清美はため息をついた。退屈なので、持っていた、おからクッキーのカケラを池になげてみた。フナか鯉でもよってこないかと思ったのだ。


 しばらく、ながめていると、水面にプクプク泡が浮かんできた。

 パクンと何かがクッキーのカケラを食べた。

 さっき見たときは鯉のようなカラフルな色合いは見えなかったのだが、黒鱗の鯉かもしれない。


「ああ、鯉がいるんだぁ。餌付けできたりしてぇ」


 ちょっと嬉しくなって、清美はおからクッキーをくだくと、また池になげこんだ。


 プクプク、パクンとクッキーが消える。

 一瞬、口先は見えるのだが、泡のせいで全体は見えない。いったい何がいるのだろうか?


「ガマちゃんも、おからクッキー好きだったなぁ。もう一回、食べさせてあげたかったなぁ」


 すると、どこかから声が聞こえた。



 ——清美殿。清美殿ぉー。



「ん? ガマちゃん?」


 もしや、このプクプクがしゃべったのだろうか?

 だとしたら、プクプクはガマちゃんか?



 ——さよう。蝦蟇仙人じゃ。あの世から戻ってまいったぞよ。



「ガマちゃん! やっぱりガマちゃんだ! ガマちゃーん」


 プクプクと一段と泡が激しくなる。

 清美は両手をひろげて待った。


 プクプクプク。

 プクプク……。


 とつぜん、赤い何かが泡の中心から伸びてきた。噴水にしては色がおかしい。見ているうちに、グングン伸びて高く高くなっていく。


(あれぇ? なんだろ? あれ……)


 ぼうぜんとして、ながめていると、赤いものが、こっちに向かってきた。すばやい動きで清美の足首をつかんだ。


「えっ? ちょっと? なんですか?」


 そのときになって、ようやく気がつく。これは舌だ。正体はわからないが、何かの舌だ。おからクッキーをパクパク食べていたものが、今度は清美を食べようとしている。


(えっ? ま、まさか、ガマちゃん? ガマちゃんが、わたしを食べようとしてるの?)


 驚きすぎて、逃げることも忘れていた。


 ガマちゃんは、悪いカエルじゃなかった。なのに、なぜ、こんなことをするのだろう。あの世にひとりぼっちで、さみしいから友達が欲しいのか?


 考えているうちにも、ズルズル、ズルズルと池のほうへひきずられていく。

 もうつま先は水のなかだ。じょじょに、ふくらはぎ、膝へと、その水がのぼってくる。いや、清美の体が水中に沈んでいるのだ。


「ガマちゃーん。やめてぇー。まだ死にたくないよぉ」



 ——清美殿?



「ごめんね。ガマちゃん。一人でさみしいかもしれないけど、いくら友達でも、あの世までは行ってあげられないよ。離してぇ!」



 ——ケロケロ……。



 しかし、清美をひっぱる力は、いっこうに弱まらない。

 今日は龍郎も青蘭もいないし、助けを求めても誰も来てくれない。

 このままだと、ほんとに殺されて……?


 そんなバカな。

 もっとさきのことと思われる予知夢をたくさん見たのに、今ここで死んでしまうなんて。

 そんなこと信じられない。


 清美はけんめいに自分をひきずりこむ何者かに抗った。足をバタバタさせても、手にひっかかった石や木の枝をなげても、相手はまったく動じない。力が弱まらない。


 と、そのときだ。

 ポケットから何かが転がり落ちた。

 寄木細工のきれいな秘密箱だ。

 叔父の星流の形見の品……。


(そうだ。このなかには、叔父さんの遺してくれたものが)


 清美は胸まで水中に没しながら、命じた。


「ショゴちゃん! 助けてぇー!」



 ——テケリ・リ!



 寄木細工がスッスッと動いて、なかから緑色の不定形のものがすべりだす。そのままヌルヌルと水中に入っていくと、つかのま泡の中心で激しく飛沫しぶきが立った。

 テケテケと甲高いショゴスの声と、うなるような低い声が響き渡った。


 そして、とつぜん、それらのすべてがやんだ。シンと静まりかえる。


 息をのんで待つ。

 数分もしてから、ようやく、ドサッと何かが岸に打ちあげられてきた。

 ふなだ。ものすごく大きい。七、八十センチはある。

 あきらかに異常なくらいデカい。


 続いて、ショゴスが帰ってきた。

 力なくピチピチしている鮒のお化けに覆いかぶさると、スライムのようなドロドロのその体で、すっぽりと飲みこんだ。ボリボリ、ガリガリと噛みくだく音が続く。

 そののち、ショゴスは自ら箱のなかに戻っていった。


「……なんだ。ガマちゃんじゃなかったのか」


 そうだよね。ガマちゃんは悪いカエルじゃないもんね。

 ごめんね。ガマちゃん。疑っちゃって。


 心のなかでつぶやいていたときだ。


「清美殿ー! こっち。こっちじゃぞ。わしはここにおるぞー」


 今度こそ、ハッキリと聞こえた。

 まちがいない。

 ガマちゃんの声だ。


「が、ガマちゃん?」


 草むらから、ひょこりとが現れた。

 着物を着た、大きなカエル。

 ふつうのカエルより、かなり大きいことには違いないが、以前にくらべたら半分ほどになっている。

 それに、それはもう蝦蟇ではない。

 アマガエルだ。

 緑色のつるっとしたやつである。


「が……ガマちゃん?」

「うむ。生まれ変わったぞよ。どうじゃあ、新たなる姿は」

「生まれ変わるの早くない?」

「井戸の底に諸源の海の輪廻の力がまだ残っておったのじゃ」

「そっか。そっか」

「清美殿のおからクッキーが食べとうて、追ってまいった」

「いいよ。おからクッキー食べよ。美味しいお茶もいれるよ」


 清美はアマガエルになったガマちゃんの手をひいて、自宅へと帰っていった。




 了

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