第52話 痣人神社縁起 その二



 穂村はゆっくりと口をひらく。


「君たちにわかりやすいよう口語訳で話してあげよう。宣教師の男はだな。こう言っている。

『私は旅の神父です。わが教会に遥か昔から伝えられる大切な玉の正しき持ちぬしを探して、この国までやってきました。その玉とはこれ。この玉は賢者の石と言い、かつて、我らの教祖の前に現れた天使が授けてくださったものです』——」


「天使が、苦痛の玉を地上の人間に託した?」


 思わず、龍郎は口をはさんでしまった。が、穂村が片手で制する。まあ、黙って聞けというわけだ。

 龍郎はおとなしく沈黙した。


「そして、宣教師は小さな袋を一つ渡した。そのなかに入っていたのが青く輝く玉だった。続けて、宣教師は天使の言葉を伝えた。

『それは光り輝くように美しい天使であり、この玉の真の持ちぬしが、やがて東の果ての島国に誕生する。そのとき、彼の手にこの玉を持たせてほしい。この玉は痣人命あざとみことの右目です。右目と左目が出会ったなら、新たな世を創造する卵となるでしょう。天の彼方より祝福のラッパが吹き鳴らされ、喜びの雨が降りそそぎます』と語ったという。まあ、こんなところだな。最後のほうはなんというか、聖書的な修飾だろう。

 また、宣教師はくわえて、こんなことも話している。『この玉は悪魔を滅することで成長します。正しき持ちぬしの手に渡らなければ、その力を発揮できません。もしも、やがて訪れる審判の時をくつがえしたいのなら、持ちぬしを必ずや探しだしてください』

 けっこう長広舌だな。最後に天使は告げた。『私のなかにある左目だけが、その玉と呼応します』——どうだね? 参考になったかね?」


 龍郎はうなった。

 あまりのことに、しばらく何も言いだすことができない。

 青蘭と神父も神妙な顔つきで黙りこんでいる。


 そこへ、清美がやってきた。


「はいはい。このお部屋もお掃除しますよぉ。キレイ、キレイしましょうねぇ」


 元気はつらつで言ってから、自分の発言が場違いだったことに気づいたようだ。


「あ、あれ? なんか、おジャマでしたか? すいません。プリンでも作ってきます……」


 しかし、それがきっかけにはなった。しおしおと清美が退室すると、龍郎は思いきって言いだした。


「この古書に書かれた宣教師の言葉が真実なら、苦痛の玉を宣教師たちに渡した天使は、アスモデウスだ。アスモデウスは賢者の石を天界から盗んだ罰で堕天させられた。この石が、おそらく……」


 フレデリック神父が腕を組みながら応える。


「だろうな」

「盗んだ玉をそのまま人間に渡したってことか? そのあと自分が罰せられることを予期していたからか?」


 いや、だが、アンドロマリウスの見せた夢によれば、アスモデウスが堕天したのは、人類が生まれるより遥か昔の超古代だ。そのころ、まだホモ・サピエンスは地球上に生まれてさえいない。


 龍郎は熟考した。


(……もしかして、天使って、一時的にでも時間を超えられるのかな? そう言えば、ルリムが言ってた。自分はあらゆる世界へ飛んでいける。そのための依りましのような分身が多くの世界にいるのだと。天使にも次元を渡る力があるんだ。きっと)


 その点は納得できる。


 それにしても、アスモデウスはなぜ、苦痛の玉の持ちぬしが人の世に生まれるとわかっていたのか?

 つまり、彼女はこの苦痛の玉をに手渡したがったということになる。苦痛の玉が選んだのは、龍郎なのだから。


 なんだか、龍郎の胸はドキドキが止まらない。

 アスモデウスの記憶をとりもどした直後、青蘭が言った。



 ——ボクは鳥。遠い宇宙のかなたから、あなたのもとへ飛んできたよ。



 あれは、真の意味で龍郎を目指して宇宙を旅してきた、ということなのか?


(なぜだ? 智天使のアスモデウスが、ただの人間の、それもまだ生まれてもいない、おれのことなんかを?)


 とにかく、龍郎が苦痛の玉に選ばれたのは、ただのぐうぜんではないのかもしれない。


 しかし、古文書の告げる情報は、まだ他にもある。

 アンドロマリウスが見せた夢のなかで、彼は何者かと戦になることを憂いていた。そのとき、右の神がどうとか、左の神がどうとか言っていた気がする。その呼称が、右目と左目という伝道師の言葉と符合するようで、なんとなく気にかかる。


(あの夢のなかでアスモデウスが盗んだのは、“英雄の卵”と言われていた。賢者の石、苦痛の玉、英雄の卵、あるいは右目——いったい、いくつ呼び名があるんだ? それらがほんとにすべて同じ一つのものをさしてるんだろうか? もしかしたら、違うものってことも?)


 考えこんでいると、不安そうに青蘭が龍郎の手をにぎってきた。

 青蘭は自分がアスモデウスの魂の生まれ変わりであることを知ってしまった。古文書の内容を聞いて、今はまだ眠っている記憶が覚醒したのではないかと、龍郎は案じた。


「青蘭……?」


 龍郎がその手をにぎりかえすと、青蘭は微笑む。

 二人で見つめあっていると、とつぜん、フレデリック神父が詰問してきた。よく見ると、神父は古文書の内容を聞いても、あまり驚いているふうじゃない。


「ところで、君たちは先日、私をだしぬいて診療所の島まで行っただろう? あのとき、何があった? アンドロマリウスかアスモデウスについて、わかったことがあるんじゃないのか?」


 青蘭がアスモデウスの魂であることは、まだ自分の意思を固辞して、神父にも、神父の属する組織にも告げないでいる。

 アンドロマリウスの見せた夢のことも、青蘭がとりもどしたアスモデウスのころの記憶の一部についても、彼らに語ってはいない。信用ができないからだ。


「それより、フレデリックさん。あなたこそ、おれたちに教えてくれてなかったんですね。さっきの宣教師の話を聞いてハッキリした。苦痛の玉をアスモデウスから受けとった教団って、あなたの属する組織のことじゃないですか? 少なくとも、あなたの組織の母体になったものだ。だからこそ、あなたたちは賢者の石について知っていた」


 神父はシニカルな笑みを見せる。

 こうやって大人の余裕を見せるところが、いつも龍郎を落ちつかない気分にさせる。

 神父は肩をすくめながら断定した。


「ご名答。三百年ほど前、組織から消えてしまった苦痛の玉を、我々が探すのは当然だろう? あれの所有権は我々にある」


 それは違うと、龍郎が反論しようとしたときだ。

 不快な衝撃波が全身をつらぬいた。

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