第50話 蔵のなか その三



 かなり古い土蔵だ。

 でも、手入れは悪くない。

 真っ白な漆喰しっくいは最近、塗りなおしたばかりではなかろうか。

 蔵の近くには木造の納屋もあって、高級車が二台、軽トラックも一台停まっていた。

 近年、農家はどこも米だけでは暮らしていけないのに、稲葉家は何をして稼いでいるのか、ずいぶん羽ぶりがいいらしい。


「失礼ですが、かなり、ゆとりのある生活をされてるんですね」

「先祖が庄屋してたころほどじゃないだろうけどな。じいちゃんのおかげだ。鷲尾さんが金に無頓着な人なんで、親父が作品の売買の仲介みたいなことをしてるんだ。マージンでも、けっこういい金になる。おれは、たまたま、今こっちに戻ってたけど、ふだんはふもとの町で陶芸教室やってるんだ。自分の小遣い稼ぐくらいにはなる」

「陶芸教室ですか。鷲尾さんの弟子ってことですか?」


 光司は苦笑した。


「まさか。あっちはそんなこと、ちっとも思ってないさ。おれのはほんと、ただの娯楽だから。金になるからやってるだけ——あっ、しまったな。蔵に鍵かかってる。ちょっと、ここで待ってて。鍵、とってくるわ」


 扉の前でガチャガチャやってから、光司は言い置いて、母屋のほうへ歩いていった。千雪が追っていく。


 二人きりになったので、龍郎は青蘭にたずねてみた。


「悪魔の匂い、どこからするかわかる?」

「それが……あちこちからするみたいな?」

「だよね。この蔵のなかからもするし」


 でも、母屋のほうからも何か感じる。


 しばらく待っていたが、光司はなかなか帰ってこない。五分や十分ではなかった。しっかり時計を見ていたわけではないが、おそらく二十分くらいは。


「遅いな。なんかあったのかな?」


 心配になって、龍郎は母屋のほうへ歩いていった。もちろん、青蘭もついてくる。

 大きなけやきや南天の木のある庭を通っていくと、母屋の手前あたりで、光司と千雪が話していた。


「な、いいだろ? ちいちゃん。おれと結婚しよう」

「…………」

「おれ、絶対、おまえを幸せにする!」

「……考えさせて」

「考えてもいいけど、近いうちに答えが欲しい。おれ、おまえのためなら、なんだってするからさ」

「ほんと?」

「ああ。約束する!」


 どうやら、プロポーズの最中だった。

 久しぶりに地元に戻ってきて、愛する幼なじみに会ったので、光司は自分の気持ちを抑えきれなくなったようだ。ことによると、龍郎や青蘭の婚約指輪を見て、決心をかためたのかもしれない。


「邪魔しちゃ悪いね。向こうで待ってよう」


 そっと青蘭の耳元にささやいて、龍郎は蔵の前まで帰った。

 さらに数分してから、光司がやってきた。手に大きな鍵を持っている。ちょっと高揚して見えるのは、千雪にオッケーを貰ったからなのかもしれない。

 おめでとうと言うべきなのか迷ったが、プライバシーなので黙っておいた。


「悪い。お待たせ。じゃあ、なか入ろうか」


 光司は漆喰塗りの両扉の鍵をあける。

 ぶ厚い扉が重々しくひらかれる。

 なかは暗い。


「照明はないんですか?」

「電気系統から発火したら蔵の意味ないだろ? 電気は通ってないんだ。それにしても、ガラクタばっかりなんだけど。じいちゃん、あんまり見る目はなかったみたいなんだよな」

「首が関係してる品物っていうのは?」

「これこれ」


 光司が見せてくれたのは、一振りの日本刀だった。


「首狩りの刀って異名がついてるんだ。もしかしたら、これで落武者の首を落としたんじゃないかな?」

「落武者って、六郎伝説の? やっぱり、落武者を殺したのは村人なんですか?」

「さあ? 六郎がやったんだって話だけど」


 光司は昔話に、うといようだ。

 興味がないのだろう。

 日本刀も見たところ普通だし、ものすごい業物というわけではない。また、人の首をたくさん落としてきたいわくつきの刀にしみついた邪気のようなものも感じられなかった。


「うーん。とくに、これって感じがしないんですが、ほかには何か怪しいものはないですか?」

「どうかなぁ。親父ならもっと知ってるかもだけど。おれ、骨董には詳しくないんだよな」


 光司の父親から話を聞いたほうがいいのかもしれない。


「お父さんはご在宅ですか?」

「いや。今日もバイヤー業に出かけてる。夜には帰宅するんじゃないか」

「そうですか」


 いちおう、蔵のなかを見せてもらったものの、龍郎たちが気になるようなものは見つけられなかった。


「ねえ、龍郎さん。ここ、調べてもムダだと思うよ」

「そうだな。どうも違うな」


 薄暗い蔵から出てきたところで、龍郎は思いだした。


「そうだった。お宅には座敷蔵もあるらしいですね?」

「あるよ」


 座敷蔵。または、蔵座敷。

 蔵のなかをお座敷のように美しい和室にしてある造りのことだ。蔵じたいが富の貯蓄なわけだ。


「そっちも見せてもらうことってできますか?」

「ああ、いいよ。座敷蔵のほうは母屋のなかにある」


 さっき、ウッカリ覗き見をしてしまったプロポーズの現場までやってきて、そこから縁側を使って母屋へあがった。


「こっち。こっち。あっ、靴は持って」と、光司が廊下を歩いていく。

 母屋でも、奥まったあたりへ向かっている。いったん土間があり、そのさきに、母屋にくっついた離れのような構造の一室があった。扉がさっきの土蔵とよく似ている。


「ここだよ」


 光司に言われるまでもなく、そこが問題の座敷蔵だということはわかった。

 なぜなら、空気のゆらめくような、暗い臭気があったから。


(ここ、なんかいる)


 龍郎は確信した。

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