第45話 ろくろ首 その四



 真夜中。

 ありがたいことに、穂村は布団に入って目を閉じると、すぐに寝ついてしまった。神父は寝ているのか起きているのか気配が感じられない。


 布団のならびは、床の間のほうから青蘭、龍郎、穂村、神父だ。


 なので、布団のなかで、そっと青蘭と手をにぎりあうくらいのことはできた。青蘭はまだ眠っていない。目をあけて、じっと龍郎を見ながら微笑んでいる。龍郎も外からの月明かりに浮かぶ恋人の白いおもてをながめ、微笑みを返す。


 見つめあっていると、やっぱりキスくらいはいいんじゃないかという気がしてくる。だんだん、胸の鼓動が高鳴ってきて困る。


「青蘭……」

「龍郎さん……」


 体をぴったりよせあって、青蘭の赤い唇が視界いっぱいになるまで近づいていく……が、それが重ねられることはなかった。


 ザクザクザク、ジャリジャリジャリと、土をふむ音が聞こえた。


(ああ……ほんとに来るんだ。今、来るんだ)


 龍郎はため息をついて、縁側のほうをながめた。いつもと同じように障子は閉めてあるが、雨戸はあけたままだ。東北とは言え、六月にも近いこの季節だ。防寒の必要はなかった。


 ザクザク。ザクザク。

 足音にまざって、かすかに別の音もする。カチャカチャと固いもののふれあう音だ。


 縁側のほうを枕にしてしまったから、そっちを見るためには首をひねって上を見るしかない。起きあがると霊を刺激しそうなので、まだ布団に入ったままにしておいた。


 上目遣いに見ていると、たしかに人影が障子に映っている。かなり太った女……だろうか? 髪が肩先で風になびいている。それに腰のあたりが三角形にふくらんでスカートをはいているように見える。


(あれ? 変だな。千雪さんは男のろくろ首だと言ってなかったか?)


 人影はしだいに近づいてきて、縁側をあがってきた。そのとき、ガタガタと金属のふれあう音が強くした。スカートなんかじゃないと、やっと龍郎は気づいた。よろいだ。そして髪の毛もよく見ると、頭のてっぺんが少しへこんでいる。月代さかやきを剃っている。


(武士だ。落武者なんだ。こいつ)


 しばらく影を凝視していた。

 落武者は縁側に仁王立ちになったまま動かない。


 いきなり襲ってくるのだろうか?

 これまでの悪魔……とくに怨霊が悪魔化したものは、うむを言わせず襲ってきた。彼らは無念な思いを晴らせず魔物になってしまったものだから、人間のころの心なんて残っていない。


 しかし、落武者はガチャガチャと鎧の音をさせながら、そこに座りこんだ。


「六郎はそこにおるか?」と、武者は言った。


 おかしい。上級悪魔以外と会話が成立することは、まれだ。


「六郎はおるか? そこにおるのだろう?」


 龍郎は布団の上に起きあがった。

 青蘭が手をにぎったまま、ひきとめようとした。が、このままでは正体もわからないし、悪魔にしろ怨霊にしろ祓うにかぎる。


 龍郎は枕元に武者の影と対峙するように正座した。そしてはらをくくって反問してみた。


「六郎はいない。おまえはなぜ、六郎を探しているんだ?」


 返事はなかった。

 しばらく、影は障子越しに、こっちをうかがっているようだった。


 数分。

 龍郎はそのままの姿勢で武者と向かいあっていた。


(あれ……?)


 影がどこか、さっきまでと違う。だが、どこが違うのかわからない。間違い探しのような気分で、じっと見つめる。


 やっと気づいた。

 髪が短くなっている。さっきは肩の下まであったはずなのに、肩から少し浮いている。いや、髪が短くなっているわけじゃない。首だ。首が長くなっているから、そんなふうに見えるのだ。髪が長いのでよくはわからないが、二十センチは伸びた。


(ろくろ首だ)


 月が隠れたのか、急に暗くなった。

 障子に映る影が見えなくなる。

 そのとき、また外から声が聞こえてきた。


「おお! やはり、いるではないか。六郎だ。六郎をよこせ!」


 声は上から聞こえる。

 龍郎が声のしたほうを見あげると、欄間のすきまから男の顔がのぞいていた。


「ここには六郎はいない。誰のことを言ってるんだ?」

「六郎をよこせ。六郎をよこせ。さすれば約束をたがえたこと、許してやらぬものでもないぞ」

「約束?」


 それきり、会話が成立しなくなった。

 武者は下を見ながら、何度も頭部を欄間に打ちつけては「六郎をよこせ!」とさわぎたてた。

 どうやら、武者の言う六郎とは、青蘭のことのようだ。


 龍郎は立ちあがって障子に手をかけた。しかし、神父が布団からとびおきて制した。


「今はよせ」

「なぜですか?」

「退治するつもりだろう? 深い事情がありそうだ。毎晩、来ては帰っていくというから襲ってはこない。もう少し調べてからでも遅くない」

「なるほど」


 これが経験の差か。

 いちいち、もっともな助言をしてくれるのが悔しい。

 とは言え、神父の言葉どおりなので、龍郎は布団の上に座りなおした。


 ところが、そのときだ。

 二階から誰かがおりてくる足音がした。

 まさか、千雪だろうか?

 あるいは、千雪の妹。

 いや、違った。


「ぎゃー! 出たーッ!」


 清美だ。

 きっとトイレにでも行きたくなったのだろうが、なぜ、夜中に化け物が来るとわかっている家で、こうも無防備に行動できるのだろうか?


 しょうがなく、龍郎は障子をひらいた。こうなれば退治するよりない。


 勢いよく障子をあけはなち、龍郎はそこに立つを見た。

 ギョッとする。

 想像とはかけ離れた姿だったのだ。


 それは、たしかに落武者だった。日本の中世の甲冑かっちゅうをまとい、刀を腰に帯びている。だが、その肩の上に、首がない。頭は天井近くに浮かんでいた。


 ろくろ首ではなかった。

 斬首された武者の霊なのだ。


 武者は障子があいたのを見て、カッと両眼を見ひらいた。頭が室内に飛んで行く。体は抜刀して切りかかってきた。


 龍郎は右手を伸ばし、男の腹にふれる。悲鳴があがり、男の体は光に包まれる。悶絶しながら生首が外に退却していった。ふらふらと飛んでいく。


 龍郎は裸足で追っていった。

 龍郎も山育ちだから、裸足でかけまわるのは平気だ。


 だが、うねるように飛びながら、武者の生首は、やがて闇にまぎれた。




 了

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