第44話 海鳴りのディアボロ その七

 *


 龍郎が意識をとりもどしたときには、クトゥルフはすでに青蘭によって倒されていた。


 瞳を涙にぬらした青蘭は、この上なく美しい。よこたわる龍郎を覗きこんでいるので、その白い頰をつたう涙が、龍郎の目元に落ちてくる。


「青蘭。ごめん。おまえにムリさせたんだな」

「何も。ボクはムリなんてしてないよ」


 それは嘘だ。

 青蘭がアンドロマリウスをとりもどしたことは、ひとめでわかった。なぜなら、青蘭のひたいに残っていた火傷の痕がなくなっている。


 その場所は、青蘭がずっと、アンドロマリウスに渡さずに残していた部分だ。鏡を見たときに、傷痕があることで、まだアンドロマリウスのものではない場所があるのだと確認するために、あえて渡さずに残していた。


 今はもう、その痕がない。

 これでもう青蘭は、表面的にはほとんど全部の部位をアンドロマリウスに与えた。内臓などの一部は、まだ青蘭自身のものかもしれないが、着実に魔王に体を乗っ取られている。


 どうにかして、青蘭がアンドロマリウスに侵食されていくのを防ぐ手段がないのか、本気で講じなければならないと、龍郎は切実に思った。


 立ちあがろうとしたが、体に力が入らない。


「ダメ。お腹に怪我してる。出血がひどいよ」

「でも、なんとかしないと、このままじゃ……」


 たしかに邪神は消滅していた。

 しかし、周囲では、まだ悪魔どもが浮かれさわいでいる。龍郎たちをかこんで、歌いながら円舞している。しだいに、その輪が縮まってきているようだ。


「龍郎さんは、じっとしてて。ボクがやる」

「いけない。青蘭はもう力を使うな。おれが、なんとか——」


 すると、かたわらから声がした。

 やっと気がついたが、そこに神父と穂村もいた。


「まだゲートが完全にふさがれていないようだ。やつらをゲートのなかへ追いかえしてしまうんだ」

「どうやって?」

「この場所を浄化する」

「浄化?」

「君たちは、いつもやってるよ。退魔と同じだ。土地にしみついた悪しき力を祓うんだ」

「そんなこと言われても……」


 悪魔退治はいつも無我夢中でやっているだけだ。何かのコツがあるわけではない。


 と、よこで聞いていた穂村が口をはさんだ。


「これを使いなさい。これには聖なる力がある。邪気を祓うことができるんじゃないか?」


 あの遺跡から出てきた出土品の剣だ。

 たしかに、これには不思議な力があった。穂村が悪魔に襲われずにすんだのもこの剣のおかげだし、建物が崩れてきたとき、降りそそぐ瓦礫から龍郎たちを守ってくれた。


「そう言えば、清美がこれを持っていけって言ってた。何か役に立つのかな?」


 青蘭がポケットから矢じりをとりだす。穂村から以前に貰った矢じりだ。


 龍郎は穂村から剣を受けとった。にぎった瞬間に、以前、龍郎の右手に吸収された破片の一部が浮きだして、剣の本体と合体した。剣が完全な形になる。


 この剣を持つと、なぜか懐かしいような気持ちになる。お別れするのはさみしいが、まるで剣じたいがそれを望んでいるような感覚になった。


(さよなら。ありがとう。もう眠っていいよ)


 祈ると、青ざめた光が強くなる。

 共鳴するように、青蘭の手の矢じりも光を放出した。二つの光が重なりあい、波動になって広がる。心地よい安らかな波のような光があたりをつきぬける。


 光がやんだとき、手の内の剣も消えていた。剣はこの地を護る力へと姿を変えた。剣としての役目を終えたのだ。


 周囲に跳梁ちょうりょうしていた悪魔も一掃されていた。瓦解した建物はそのままだが、体を起こしてみると、神社のあった場所にあいていた穴は見えなくなっていた。


 ゲートは閉じた。

 もうこの場所で怪異が起こることはないだろう。


(おれ、なんだろうな? 浄化すると剣が消えることがわかってた。剣の感情が伝わってきたみたいな?)


 それに腹の痛みがやわらいだ。まだ少しズキズキするものの、体を動かすのには支障がない。手でさぐると、傷がふさがっていた。


「すごい。怪我が治ってる」

「ほんと? 龍郎さん? よかった!」


 青蘭が抱きついてくるので、ちょっとよろける。


「龍郎さん? ほんとに大丈夫?」

「ごめん。流れた血のぶんは体力が落ちてるみたいだ」

「そっか。じゃあ、いっぱいレバーやほうれん草食べないと」

「いや、できれば輸血してもらえると……」


 ハッハッハッと急に穂村が笑いだす。


「怪我とかけて、ゲートととく。その心は、どちらも穴。ふさがってよかったじゃないか。めでたい。めでたい」


 何が面白いのか一人で大笑いしている。龍郎もつられてふきだした。傷痕が少しひきつる。その感じがますます、おかしい。


 恐怖が緩和されて、みんな少し変になっていたのかもしれない。いつしか、全員で声をそろえて笑っていた。


「さあ、行こう。警察に呼びとめられると面倒だからな。今のうちに脱出だ」


 神父にうながされて、龍郎たちはその場を立ち去った。




 *


 平穏な日常が戻ってきた。

 あいかわらず神父には見張られているし、しばしば穂村もやってくる。なんだか、まわりがにぎやかになってきたが、青蘭とふだんの生活ができるだけで嬉しい。


 しかし、龍郎は今度こそ決意した。

 今こそ、青蘭に打ちあけるべきだ。

 そして、青蘭がアンドロマリウスの姦計かんけいに陥る前に、それから回避できるよう対策を練らなければならない。


 その夜、龍郎は青蘭に告げた。

 青蘭の前世が天使だということを。アスモデウスは青蘭自身の過去の姿なのだと。


「ボクが……アスモデウスの魂」


 青蘭は驚かなかった。


「なんとなく、そうかなと思ってた。あの列車のなかで、黄泉から帰ってきたときに」

「黙ってて、ごめん」

「いいよ。過去のボクが何者だろうと、龍郎さんはボクを愛してくれるよね?」

「もちろんだよ」

「それならいいんだ。ボクたちはこれまでと何も変わらないよ」


 そうだといいのだが。


「そう。だから、アンドロマリウスは、青蘭とアスモデウスをもう一度、一つの存在にしたいようなんだ」

「どうやって?」

「それはわからない。でも、アンドロマリウスを使役するたびに、やつが青蘭の体をとっていくのは、そのためなんだと思う。もう、やめさせないと」


 青蘭は微笑んだ。

 妙に悟ったような笑みだ。美しすぎて怖い。それは死を覚悟をした者の笑みのようだ。


「ボクがこのさきどうなっても、ずっと龍郎さんを愛してるよ」

「うん。でも、アンドロマリウスの魔法を止める方法を探そう」

「そうだね」

「あいつは世界の各地に聖遺物のようなものを隠してると前に言ってたろ?」

「うん」

「そこにヒントがあるかもしれない。あいつの隠し財産を徹底的に調べてみよう」


 龍郎だって、アスモデウスが青蘭の一部なら、アスモデウスのことも好きだ。青蘭がアスモデウスに還るだけなら、それは悪いことではない。


 だが、アンドロマリウスはアスモデウスに横恋慕している。自身に都合がよいように、何かしらの邪な策を用いている可能性は高い。


 もしそうなら、必ず阻止してみせると、龍郎は固く心に誓った。





 第五部 完

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