第40話 白と黒 その四



 地下の闇は濃密な霧のように視界を奪う。何も見えない。手さぐりで壁づたいに歩いた。


 階段をおりきると、なぜか、床や天井がザワザワとうごめいているような錯覚に落ちた。それは初めてフレデリックが経験する瘴気しょうきのせいだった。


「……イヤな匂いがする」

「うん」


 教祖のいるカタコンベは地下のもっとも奥に位置している。足音を立てないよう細心の注意を払いながら進んでいった。


 やがて、音が聞こえた。

 妙な音だ。

 スウスウとすきま風の吹くような。

 きっと教祖が女を殺していると思っていたのに、何をしているのか想像がつかない。


 扉の前に立った。

 古い木の扉だ。開閉すれば大きな音がする。しかたないので、節穴に目をあてた。


 カタコンベのなかには、壁にいくつかの篝火かがりびがかけられていた。その光で、どうにか、ようすを見ることができる。


 やはり、思ったとおりだ。

 教祖が祭壇に女をよこたえ、全裸にしている。手にはナイフをにぎっていた。今まさに、それは女の胸にふりおろされようとしている。


 じつのところ、この教団がなんという神を祀っているのか、フレデリックは知らない。生贄を喜ぶ神なのだと、このとき初めて理解した。


 それにしても、予想の範疇はんちゅうだったので、フレデリックは興味を失った。


 ほら、見たろ、もう帰ろう、という合図を星流に送ろうとしたときだ。

 また、なかのようすに釘づけになった。


 教祖が妙な呪文を唱えながら、女の胸から心臓をぬきだした。ビクビクと脈打つ心臓を銀の皿の上に置く。


 だが、フレデリックが自分の目を疑ったのは、そのことじゃない。


 教祖が切りさいた女の胸に手をつっこんで心臓をぬきだすと、いっしょに糸のようなものがまといついて出てくる。ズルズルと伸びて、教祖の手に巻きつく。教祖がその糸を二、三度引くと、女は立ちあがった。まるで、マリオネットだ。


 そんなわけがない。

 女の心臓は完全に体内からとりだされている。女は死んでいるのだ。死人が起きあがるはずなどない。


 だが現に目の前で女は立ちあがった。

 教祖のふくみ笑いがもれ聞こえる。


 女の死体はみるみるうちに、異様な姿に変化していく。


 全身がミイラのようにひからびて茶色くなり、骨が浮きだして見えた。

 ボロボロになった皮膚が剥離はくりして、両腕からたれさがり、翼のようになった。

 心臓をとりだされた穴は大きく丸く貫通して、体の向こう側が丸見えだ。そして、その穴からビュービューと、風の吹きぬける音がする。角と尻尾のようなものも生えてきた。


(な、なんだ、これ? 化け物だ……)


 恐怖にすくむフレデリックの耳に、星流のつぶやきが届いた。


「ナイトゴーントだ」

「ナイト……何?」


 驚いたことに、星流は扉をあけはなち、なかへとびこんでいった。


「星流!」


 呼びとめるヒマもなく、星流は教祖に立ちむかっていく。


「きさま、ノーデンスかッ?」


 星流はどこからか銀の十字架をとりだした。星流がそれをかかげると、まぶしい光があたりを照らした。凶器のような光線が教祖の衣服を引き裂く。黒い衣の下の顔があらわになる。


 それは、人ではなかった。角笛を首からさげた黒い男だ。ナマズのようなざらついた肌をして、小さなヒレのような翼がある。


「シュゴーラン……か?」


 星流は困惑したようだ。


 教祖の姿が変容していく。

 喉にからむ笑い声をあげながら、彼は言った。


「そう。この姿の私はシュゴーランと呼ばれている。だが、これも真の姿ではない。嬉しいよ。賢者の石の持ちぬしに二人も会えるとは」

「ナイアルラトホテップ……千のかおを持つ者」


 教祖の姿は巨大化し、翼がカタコンベの端から端まで達するほどになる。その姿は黒い鳥だ。だが、まだ人の声を発している。


「おまえたちは大事なパーツだ。まだ、壊しはしない」


 哄笑こうしょうをあげながら、巨鳥は飛び去っていった。

 古城が崩れおち、多くの信者が下敷きになって死んだ。


 瓦礫の降るなか、フレデリックはどうにか外まで脱出した。星流と手をとりあって。星流の右手とフレデリックの左手が重なると、脈動が手から手へと伝わった。言い知れぬ力が湧きあがる。その力のおかげで逃げきれたのだと思う。


 崩れおちる城をながめながら、星流がささやいた。


「君も持っているんだな。おどろいた」

「何を?」

「苦痛の玉だ。君のも僕と同じ。カケラみたいだが」

「苦痛の玉……?」

「そう。賢者の石の一方だ。僕はそれを探している。苦痛の玉の残りと、それに呼応する快楽の玉だ。悪魔が持っている可能性が高い」


 フレデリックは星流のおもてを見つめた。


「悪魔……さっきのは、悪魔か? 教祖は悪魔だったのか?」

「ナイアルラトホテップ。クトゥルフの邪神だ。貌のない神。さまざまな姿に化身する。シュゴーランはヤツの化身の一つだ。それにしても、ナイトゴーントの主人はノーデンスのはず。なぜ、ナイアルラトホテップが出てきたんだろう?」

「女たちは、どうなったんだ?」

「死体から奉仕種族を作っていたんだと思う。ナイアルラトホテップとノーデンスは利害関係にあるときには手を組むことがある。やつらは協力しているということか」

「何を言ってるんだか、さっぱりわからない」

「あとで説明してあげるよ。おいで。君は僕らの組織に来るといい。これからは、僕といっしょにヤツらと戦おう」


 そう言って、星流は手をさしだしてきた。

 その手をつかめば、どうなるのか、予測できないわけではなかった。

 星流の言うヤツらというのが、さっきの教祖のような連中のことであろうということは。


 でも、ためらいはなかった。

 迷わず、その手をにぎった。


 フレデリックを暗黒の闇の世界からつれだしてくれたのは、星流だ。

 星流と出会わなければ、フレデリックの生涯は灰色のままだったろう。


 たくさんの思い出をくれた星流。

 でも、彼はすでに、この世の人ではない。


 フレデリックは自分の手を見おろした。苦痛の玉のカケラを内包しているという左手を。


 苦痛の玉は快楽の玉と共鳴する。

 たとえカケラとは言え、それを持つフレデリックが青蘭に惹かれるのは、自然のなりゆきなのだ。


(星流。君は怒るかな? だが、私をすてていったのは君のほうだ。そろそろ君から自由になってもいいだろう?)


 フレデリックの想いは、まだ未来青蘭のあいだで揺れている。




 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る