第40話 白と黒 その二



「おまえ、何者だ? こっちへ来い。パパに会わせる」


 そう言って、団員は星流をひっぱっていく。星流はまったく抵抗もしない。パパの意味するものが、独裁的な狂人であるとは思いもしないのだろう。信者たちは馬や豚と同じ、家畜にすぎないのだと。


 かわいそうに。こいつも、今日から家畜の仲間入りだ——と、フレデリックは心の内でつぶやいた。妙に胸が重くなった。数えきれない人たちを直接的間接的に殺してきたにもかかわらず、たった一人の少年の運命を思うと、ふいに自分のしていることが心苦しくなった。そんなことは教団につれてこられてから初めてだった。


 石造りの陰鬱いんうつな古城のなか、教祖はいつも地下室にいた。

 そこがもっとも静かで瞑想するのに適しているらしいのだ。

 暗く、じめじめと湿った地下室。

 ずっと以前は地下墓地カタコンベとして使われていた場所だ。


 そこへ星流はつれていかれた。

 気になって、フレデリックも彼らのあとについていった。


「パパ。侵入者をとらえました。どうやら、道に迷った観光客のようです」


 教祖は神聖な姿を人目にさらしてはいけないという理由で、いつも全身を黒いローブのようなもので覆っていた。フレデリックは顔も見たことがない。どんなときも身じろぎせず、言葉もほとんど発さない。


 しかし、このときは教祖が歓喜していることが感じとれた。なんというか、覆いの布を通してさえ、視覚的に熱量の発するのが見えた。


「うむ。美しい少年だ。わが教団にふさわしい」


 そのひとことで、星流は教団に帰依するまで監禁されることになった。

 一階まで戻ると、年上の団員がフレデリックに命じてくる。


「セオ。こいつを屋根裏に閉じこめておけ。今晩から教団の教えをとっくりと教えこんでやらないとな」


 ああ、やっぱり。

 鳥は翼をもがれた。

 もう大空を飛ぶことはできない。


 経験したことのない罪の意識に、フレデリックは戸惑った。けっきょくは言われたとおり、哀れな鳥を屋根裏という牢獄までつれていくのだが。


 とうの星流は、やけにおとなしい。

 これまでの連中はみんな泣きわめいたり、怒鳴りちらしたり、銃でおどされれば、あわてふためいてパニックに陥った。


 しかし、少女のように見える少年は、にこやかにフレデリックに話しかけてくる。


「ねえ、君、名前は? セオって呼ばれてたけど」

「セオドア・フレデリック。でも、本名じゃない」

「そうなの?」

「おれも子どものときに、さらわれてきたから」

「ああ。ほんとの名前を覚えてないんだ?」

「まあ……」


 なぜ、さっき会ったばかりの人間に、こんなことを話してしまうんだろうと、フレデリックは自分が不思議でしかたない。


「さあ、ここに入れ。言っとくけどな。さっさと帰依してしまったほうが楽だぞ。じゃないと、拷問される」

「忠告してくれるんだ。ありがとう。僕は星流。よろしく。セオ」


 なれなれしいヤツだった。

 フレデリックの気持ちなんておかまいなしで、グイグイこっちの領域に入りこんでくる。


 薄汚れた屋根裏に星流を閉じこめたあと、フレデリックはずっと落ちつかなかった。

 なのに、星流はあっさり教団に帰依した。フレデリックの忠告が効いたのかもしれないが、なんとなく腑に落ちない感じがした。


 とは言え、年の近い少年がそばにいてくれることは、フレデリックの毎日を劇的に変えた。一日に数回、くだらない会話をするだけでも楽しかった。


 星流は毎日、水くみや炊事、洗濯など、教団の下働きをさせられていた。一日中、働きづくめだ。それでも、あの輝きを失わない。


 そばにいるだけで心が安らいだ。

 これまでできなかった、どんなことでもできる気がした。


 たとえば、放牧された羊を意味もなく追いかけて、丘を走りまわったり、夜空の星を数えて、自分たちだけの星座を考えてみたり、湖に浮かぶ白鳥の群れにパンくずをなげてみたり。


 星流とともにいれば、世界に一つずつ色がついていく。

 白と黒と灰色しかなかった世界に、あざやかな夕焼けの赤や、夜空の濃いブルー、葉の一枚一枚までグラデーションの異なる千変万化の森のグリーンが、絵の具のように、にじみだす。


 この世界は最初からこんなにカラフルな彩りに満ちていたのだろうか?

 なぜ、そんなことにさえ、自分は気づかなかったのだろう?


(星流といるからだ)


 誰かと二人でいるだけで、こんなにも心が弾む。自然と笑みがこぼれていることに気づいて、自分でも驚く。


(おれって、そうか。笑えるんだ)


 そんなことさえ、これまで知らなかった。


 忙しい教団の労働のあいまに、大人の目を盗んで、フレデリックは星流と遊んだ。そう。遊んだ。小さな子どもにかえったように。


 急速に親しくなっていった。


「ねえ、セオ。この教団って何人くらいいるの?」

「世界中にたくさん散らばってるみたいだけど、ここには二十人くらい。教祖様のお気に入りのメンバーしかいないよ」

「ふうん。教祖様はいつも、あの地下にいるんだよね?」

「そうだけど。なんで?」

「別に」


 フレデリックは不安になった。

 もしかしたら、星流がスキを見つけて逃げだすつもりではないかと考えた。


(星流が……いなくなる。おれの前から……)


 世界から色彩が消えていく。

 また、あの白黒の世界に戻るのか。

 そう思うだけで、フレデリックの胸の奥は冷たくなった。

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