第二十三話 緋色ひとひら

第23話 緋色ひとひら その一



 君の寝息で目がさめる。

 朝の光がやわらかく窓からさしこむなか、まだ腕のなかでまどろむ君……。


 龍郎は青蘭の寝顔をながめながら、これ以上なく幸せだった。たぶん、人生最良の日だ。きっと、結婚式をあげた翌朝の新郎新婦は、みんな、こんな気持ちなのだろう。


 愛する人と、愛し、愛され、結ばれる。それが、こんなに満ちたりたことだとは。


「青蘭……」


 龍郎の胸によりそう青蘭の頰に、そっと手をあてる。青蘭が目をあけ、龍郎を見て微笑んだ。この笑顔を守るために、おれは存在するんだと、龍郎は思う。


 手と手をつなぐだけで、肌と肌がふれあうだけで、何かがあふれだす。二人にだけ通じるものが。


 そんな朝を、今日で七回、迎えた。

 寝ぼけている青蘭に、龍郎はお医者さんごっこを試みた。青蘭のお腹を右手で触診するのだ。青蘭の声色で、快楽の玉の位置が、なんとなくわかる。


「……何してるの? 龍郎さん。くすぐったい」

「どのへんに快楽の玉があるのかなって。たぶん、このへんだ」

「そこ……ダメぇ」


 ちょうど子宮のあるあたりだ。

 そこに手をあてただけで、青蘭は身をよじる。


「ねえ、青蘭。もしかして、今でも誰かと抱きあわないと、傷痕が……」

「そうですよ。今は魔王を二体倒したから、たぶん、二、三年は大丈夫だと思うけど……嫌いになった?」

「まさか。じゃあ、青蘭のために、いっぱい悪魔を退治する」

「それか、龍郎さんが……してくれたらいいよ。玉が、共鳴してる」


 青蘭の微笑に誘われて、朝から、とろとろ。苦痛の玉。快楽の玉。たがいの玉をくっつけあう。

 こうしてるときの青蘭は、ほんとに、なんて蠱惑こわく的なんだろうか? 悪魔が夢中になるのもムリはない。


 なかなかベッドを離れられない。

 やっと昼ごろになって服を着た。

 温泉街を食べ歩きしていると、いつもの散歩道に、見なれぬ坂道を見つけた。


「あれ? こんなところに道が」

「うん」

「変だな。今までなかったよな?」

「たぶん……」


 茂みのすきまに見え隠れする下りの歩道。のぞいてみると、山林のあいだをずっと、くだっていく。

 昨日までは、たまたま注意して見ていなかったから、気づかなかったのだろうか?


「行ってみる?」

「そうですね」


 すでに慣れ親しんだ散歩道で、ふと見つけた冒険の扉。そんな気持ちで、坂道へ入っていった。とても細い道だ。両側を竹林に覆われ、道幅は一メートルほど。二人で腕を組んで歩くと、竹の葉が肩をこする。


 竹林にかこまれて周囲が見えないが、なんだか、とても静かだ。入口が目立たなかったせいなのか、二人のほか観光客の姿も見えない。


「変だなぁ。どこまで続くんだろう?」

「道が続いてるだけですね」

「静かだし、人目がないのもいいけどさ」


 そぞろ歩きにはちょうどいい。しかし、向かうさきに何があるのかが問題だ。何もないとわかれば、ずっと歩いていくわけにもいかない。そろそろもとの道へ戻ったほうがいいだろうかと、龍郎は来た道をふりかえる。


 まっすぐ進んできたつもりだったが、ゆるくカーブしているのだろうか?

 坂道への入口が見えなくなっていた。

 ちょっと違和感をおぼえたのは、道がいやに長く見えたことだ。歩いてきた以上の距離を感じた。ほんの百メートルかそこらしか進んだ気がしていなかったのに……。


 三百メートル?

 いや、五百?

 道のさきが薄暗くなって、見通せない。


 帰ろうか、進もうか、迷っていると、青蘭が言った。


いおりがある。あそこも温泉宿なんじゃない?」


 言われて、龍郎は前方に向きなおった。なるほど。青蘭の言葉どおりだ。進んでいったさきには、小さな庵のような建物がある。さっきまで、まだまだ竹林だけが続いているような気がしていたが、二十メートルほどさきに、それはあった。門の内側に赤い花が咲いている。庵は道のつきあたりにあり、そこで袋小路になっているようだ。


「行ってみましょうよ」


 青蘭が言うので、龍郎はついていった。ほんとうは、あまり乗り気ではなかったのだが。一歩ふみだすたびに、来た道が噛みかけのチューインガムのように間伸びして遠ざかっていくような気がして、気持ちが悪かった。


 しかし、青蘭ははしゃいでいる。

 あの焼け跡のある島で、とても苦しんだので、その反動のようによく笑い、よく喋る。積極的に遊ぼうとする姿が、かえって痛ましかった。それほど、あの島は青蘭にとって辛かったのだと、行動で示しているかのようで。


「わかったよ。行くから、そんなにひっぱるなよ。坂道、こけるぞ」

「こけないよ。子どもじゃあるまいし」


 言ってるそばから、青蘭は敷石につまづいて、よろめいた。あわてて、龍郎は青蘭を抱きとめる。


「ほら。気をつけないと」


 青蘭は龍郎を見つめ、そのまま、胸にすがりついてきた。


 あっ、これはヤバイぞと、龍郎は自覚する。こんなに反応が可愛いと、下半身が命令をきかなくなる。


「青蘭。えーと……」

「ずっと、そばにいてね?」

「えっ?」

「ずっと、わたしのそばにいて。どこへも行かないで」

「……もちろんだよ」


 幸福があふれる。

 抱きしめるだけで、もうほかには何もいらないと思えるほどの深い充足感に満ちる。


 きっと、この世が終わったって、君と二人なら、幸せ……。


 そのとき、どこかで変な声がした。

 ギャアッと怪獣の鳴き声のような。


 青蘭はそうとう驚いたようだ。

「わッ。何? 今の」

「たぶん、五位鷺だな。すごい声で鳴くんだよな」


 あわてている青蘭の肩を抱いて、龍郎は庵に近づいていった。さっき見たときより、妙に近い気もしたが。


 門のなかに真っ赤な椿が咲き乱れている。


「こんにちは。どなたかいませんか?」


 玄関の引戸をあけて、薄暗い奥へむかって声をかける。返事はない。

 こんなに風情のある建物だが、もしかして個人の持ち家なのだろうか?

 てっきり宿か料理店だろうと思ったのだが。


「こんにちは。お留守でしょうか? すいません」


 ようやく、コトリと物音が聞こえた。

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