第12話 デビルズボックス その三



 ふと、龍郎は気がついた。

 あまりにも恐怖でゆがんでいるので、さっきはわからなかったが、腰をぬかしている三十代の男。どこかで見たことがある。

 そうだ。銀行だ。この男、青蘭が大金をおろすとき、銀行にいた男だ。現金の入ったキャリーケースをゴロゴロころがして銀行を出ていくところで、ちょうどATMコーナーから出てきた、この男と出会った。まさか、龍郎たちのあとをつけてきたのだろうか?


「あんた、あのとき、おれたちの会話を聞いてたんだな? キャリケースのなかに金が入ってるって。ひったくりでもするつもりで、ついてきたんだな?」


 龍郎がつめよると、男はあとずさった。しきりに首をふっているが、急速に蒼白になるところが怪しい。


「違わないだろ? じゃあ聞くけど、あんた、どの階で降りるつもりだったんだ? おれたちのあとから乗りこんだとき、停止ボタンに手の届く位置じゃないのに、あんたは何も言わなかった。おれたちは最上階だから、みんなが降りて、人数が減ったときに押そうと考えてたんだ。でも、あんたは最上階のスイートルームに宿泊する客のようには見えないんだけどな」


 そのとき、エレベーターが、これで何度めか、またもや止まった。ガクンと大きく揺れる。位置で言えば七階の上あたり。

 真っ暗ななかで、あのブツブツと酵母こうぼでも発酵しているかのような音とも声ともつかないものが、不気味に響く。



 テケテケテケテケテケリリ、テケリリ、テケリリ……テケ……。



「たしか、悪魔には強欲っていうのもいたはずだ。あんた、それなんじゃないのか?」

「な、何を言って……悪魔? あれ、なんなんだ? さっきから、なんで人が消えてくんだ? この箱、どうなってるんだ!」

 怪しいと思うのだが、男はうろたえるばかりだ。


 ようやく、龍郎の腕のなかで、青蘭が意識をとりもどした。

「違うよ。龍郎さん……」

「え?」


 照明がつき、エレベーターが動きだす。八階の表示を通りすぎていく。

 明るくなったとき、あの五十代の男も消えていた。龍郎たち三人以外で残っているのは、もうこの三十代の男しかいない。


「絶対、こいつだろ? だって、こいつしか、おれたち以外にいないよ」

「そう? ほんとに?」

「だって、おれと青蘭は違うし」

「そうだね」

「じゃあ、やっぱり、こいつだ」

「なんで? もう一人、いるじゃない?」


 龍郎はやっと青蘭の言わんとする意味を解した。

「もう一人って、まさか……」


 龍郎でなく、青蘭でなく、この男でもないなら、あとは一人しかいない。この場にいるもう一人の人物。それは、清美だ。


「ええーッ! わたしですかぁー?」

 清美はおもしろいほどあわてふためき、とびすさって壁に両手をついた。

「わたし、悪魔とかなんとかじゃないですよ? テケテケ言ったりブツブツ発酵したりしませんよ!」


 青蘭はバカにした目つきで清美を見くだす。

「わかってるよ。おまえはすごく珍しいけど、心に悪魔を飼っていない稀有けうな人間だ。龍郎さんと同じ。でも、引き算の結果、犯人はおまえしかいない。清美、おまえ、誰かから貰った形見の品を持ってないか?」

「形見? 持ってますよ? 叔父さんが亡くなる前にくれたんです」


 そう言って、清美はカバンのなかから小さな箱をとりだした。五センチ角の小さな寄木細工だ。


「可愛いから、ピルケースにしてるんです。サプリメントが入ってますよ」

 言いながら、清美は小箱をふった。

 すると、急にエレベーターがグラグラと大きく揺れた。

 キャアと叫び声をあげる清美の手から小箱が落ち、床の上で止まった。すると、エレベーターの揺れもおさまる。


「な……なんですか? 今の?」

「やっぱり、そうだ。ここは、その箱のなかなんだ」と、青蘭の言う意味を、清美は理解していない顔つきだ。

 しかし、何度か青蘭といっしょに悪魔を退治した龍郎にはわかった。


「そういうことか! エレベーターに乗りこんだ瞬間、おれたちは悪魔の結界のなかに入ってしまったんだ。その結界が、清美さんの持ってる小箱と通じている」

「そう。つまり、悪魔はその箱のなかにいる」


 まるで、謎を解かれたことで、かかっていた魔法も同時に解けたかのようだった。寄木細工の板が自動的にスッスッとズレて、カチリと箱がひらいた。


 なかから、なんとも言えず醜悪しゅうあくなものが、ドロリと這いだしてくる。

 それはドロドロに腐って溶けた緑色の肉に、目玉や牙が無数に生えたようなものだった。ズルズルと形を変えながら、ときには人型のようにも見える流動体だ。ダラリと長い糸を引きつつ、大きく口をひらいた。口というか、口のような裂けめだ。無数の牙で、腰をぬかしたままの男に襲いかかろうとする。


「うわああああーッ! 来るなぁーッ!」

 男は失禁して床をぬらした。

 このままでは男が喰われる。強盗まがいの男だが、だからと言って見殺しにはできない。


 龍郎が右手を伸ばそうとした瞬間——


「待って。龍郎さん。清美に聞きたい。その箱、叔父さんに貰ったと言ったね? 叔父の名前は?」

「叔父は母方の旧姓を名乗ってました。おばあちゃんは父が小さいときに、叔父をつれて家を出ていったんだそうです。だから、叔父の名前は八重咲。八重咲星流やえざきせいる

「なんてことだ。じゃあ、おまえはボクの従姉妹なのか」

「ええッ? そうなんですか?」


 ずいぶんタイプは異なるが、二人ともマイペースなところは似ていなくもない。


「青蘭。そんなことより、あの男の人が喰われてしまう」

 龍郎が声をかけると、青蘭はうなずいた。

「ショゴス。新たに命ずる。箱に戻り、待機せよ」


 青蘭が声をかけると、ドロドロした生き物は名残惜しそうな目を男にむけて、ズルズルと小箱に戻っていった。


「どういうことだ?」

「ショゴスは古きものたちが召し使う奴隷どれいのようなものだ。あるじを欲しがる特性がある。きっと父が封じて使役していたんだろう」

「でも、それがなんで急に暴れだしたんだ?」

「おそらく、先日、父の力が君に継承されたから、あるじが不在になっていたんだ。清美は邪気のない魂の持ちぬしだから攻撃されなかったが、この男の悪意を感じとって捕食しに出てきたんだろう」

「じゃあ、今のあるじは?」

「ボクの命令に従ったから、ボクかな?」


 青蘭が寄木細工をひろう。

 エレベーターはもう揺れなかった。


(それにしても、アンドロマリウスが言ってた、ナイアルなんとか? あれって、あの手袋の男のことだったんじゃ?)


 アンドロマリウスは何かを知っているふうだった。


 やがて、エレベーターは最上階に到着し、ドアがひらいた。




 了

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