第12話 デビルズボックス その二



 まだ一度もエレベーターはちゃんとした階には止まっていない。ドアは一階から一度もひらかれていない。にもかかわらず、乗客の数が減っている。


 それは龍郎だって、最初に乗りこんだとき、正確な人数を数えていたわけではない。だから、何人が減ったと明確に断言はできない。しかし、見た感じ、二、三人は少ない。


「青蘭……」

「うん。そうだと思う」

「やっぱり」

「このなかに……いる」


 すみっこでささやきかわすが、まだ誰も異変に気づいていないようだ。

 このエレベーターのなかに、悪魔がいる。今このエレベーターに乗っているうちの誰かが悪魔なのだ。


 それにしても、どうやって動く密室のなかで、人間を消滅させているのかがわからない。

 血の一滴、髪の毛一本残さず消しているということは、相手は貪食だろうか? 頭から丸飲みにしていれば、痕跡は残らない。


 エレベーターは動きだしたが、四階を通過した。さっき、龍郎が言って、停止ボタンを押してもらったのに。

 それでやっと、他の乗客も騒ぎだす。


「なんだ、これ? 故障じゃないか?」

「停止ボタンが壊れてるのかな?」

「全部、押してみてくださいよ」

 そんなことを数人が言って、停止ボタンをすべて点灯させた。本来なら各階で停止するはずだ。が、やはり五階に止まらず、エレベーターは上昇し続ける。


「やっぱり故障だ!」

「非常呼び出しボタン、押してください!」

 みんな、パニックだ。


 龍郎は周囲から離れて、後方の角に青蘭を押しつけた。両手を壁につけ、青蘭のまわりのスペースを確保する。

 このなかの誰が悪魔なのかわからないから、一人として青蘭に近づけるわけにはいかない。


「誰がソレか、わかるか? 青蘭」

「こう密集してると、わかりません。みんな怪しい。匂いもするけど、個人までは特定できない」

「だよな」


 するとまた、エレベーターが急停止した。暗闇が訪れる。

 短い悲鳴がいくつか聞こえた。

 そのあと、テケリリ、テケリリと唸るような音が闇のなかで続く。


 そして、照明がついた。

 今度はハッキリと半分ほどに頭数が減っていた。


「わあッ!」と、一人の男が叫んで床に尻もちをついた。安っぽいスーツを着たサラリーマンのようだ。年齢は三十前後か。まだ若いのに疲労のベッタリ張りついたような不健康な顔をしている。

「なんだよ! なんで人が——わあーッ!」

 わめきちらして話にならない。

 ほかの乗客は叫びだしまではしないが、緊張した顔で凍りついている。


(あれ? あの男がいなくなっている)


 龍郎が頼んで四階の停止ボタンを押してもらった男だ。じつのところ、あの男が怪しいと思っていたが、姿が見えないということは、悪魔に喰われたのだろう。


(あの男じゃなかったのか?)


 なんだか変な男だった。顔立ちは整っていたが、少しひらいた口のなかまで黒く見えた。白い手袋をつけていたことは、この時期だからおかしくはないものの、あまり防寒には役に立たなさそうな薄いシルクの生地だった。

 悪魔的なふんいきがあって、あからさまに怪しかったのだが……。


 また、エレベーターが動きだした。

 しかし、時間の感覚がやけに長い。もうとっくに三十分は経過しているような気がする。一階ごとに停止しているとは言え、一階から六階まで上がるだけで、こんなに時間がかかるものだろうか?


 ドア上部の電光表示が六を示す。だが、箱は停止せず、上昇を続ける。

 ほんの数秒間のことのはずなのに、このあいだの時間が異様に長く感じられる。エレベーターが現実ではない、どこか別の空間を移動しているかのように。


 テケリリ、テケリリ……と、つぶやくような声が聞こえた。

 あぶくのハネるような音も。


 そして、また暗闇が龍郎たちを襲う。

 エレベーターが乱暴に止まった。

 テケリリテケリリという声が、にわかに大きくなる。


 すると、とつぜん、耳元で男の声がした。

「わかってるんだろうな? 古きものどもがいるぜ?」

 しわがれたその声。

 アンドロマリウスだ。


(古きもの……それって、たしか、あの大蛸のことだ。人魚の島に巣食ってた、魔王クラスの邪神。あんな化け物が、ここにいるっていうのか?)


 悪魔には人間の思考が読めるらしい。それとも、青蘭の体内にある快楽の玉を通して、龍郎の苦痛の玉が共鳴するせいだろうか?

 どうも、アンドロマリウスには、いつも龍郎の思考が見えているようだった。


「安心しろ。ナイアルラトホテップは去った。ここにいるのはただのショゴスだ。おまえの力でも充分、やっつけられる」

「ナイアル……ショゴス……?」

 耳のすぐ近くで、ちッと舌打ちが叩かれる。

「おまえ、おれが教えてやってるんだから、ちっとはググれよ」

 悪魔らしからぬ言葉で叱責された。

「ごめん……」


 それにしても、古きものとかいうものについて、アンドロマリウスは妙に詳しい。それに、そいつらに対して敏感だ。


「おまえ、なんで、そんなに詳しいんだ?」

 アンドロマリウスは笑ったようだった。

「そりゃね。おれたちは……」

 くすっと笑い声ののち、龍郎の腕のなかに青蘭が倒れてきた。腕でバリケードを作っていたから、そのまま抱きとめることができた。

 アンドロマリウスが去ると、青蘭はいったん意識を失うらしい。


 パッとあたりが明るくなった。

 すっとエレベーターが移動する。


 まるで龍郎と青蘭は暗闇を利用して抱擁していたかのようなありさまだが、それを恥じているどころではない。

 人が減っている。


 最初に十八人ばかり乗っていた。一度めの停電で二人減り、その後、半分になった。つまり、その時点で八人にまで減っていた。

 今、頭数を数えると、五人だ。三人いなくなっている。

 エレベーターのなかには、龍郎、青蘭、清美のほか、尻もちをついてふるえあがっている三十代の男と、もう一人、五十代くらいののっぺりした顔の男がいるだけだ。


 とうぜん、龍郎や青蘭や清美は、ここで人間を餌食えじきにしている悪魔ではない。

 ふるえている男と、のっぺり顔の男。この二人のうち、どちらかが悪魔だ。

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