第11話 座敷牢の少女 その四



 真夜中——

 龍郎は目が覚めた。

 となりを見ると、青蘭が眠っている。

 寝る前ににぎった手が、まだそのままだった。というか、いつのまにか指と指を一本ずつ絡めたにぎりかたになっている。いわゆる恋人にぎりだ。


 コイツは強がってるくせに、ほんとは恐ろしくさみしがりやだなぁと、龍郎は微笑ましく思う。


 しかし、甘い気分はそこまでだ。

 どこからか泣き声が聞こえる。女の声だ。うっうっ……うっうっ……と、やみそうでやまない。

 このシチュエーションは、なんだか予測がつく。


 龍郎は起きあがった。

 ふりかえると、思ったとおりだ。

 座敷牢のなかに女の子がすわっていた。華やかな振袖をまとい、黒髪をうなじの下あたりで、ぶつりと切りそろえている。その長さは帯の結びがしっかり見えて、ほどよくバランスがいい。

 背中を向けているが、例の座敷わらしだ。


(困ったなぁ。なんで、おれに見えるんだ? それに座敷わらしは清美さんの伯母さんの人形だったんじゃないのか? 人形なら、もうここにはないんだけどな)


 見ていると、女の子の泣き声は激しくなっていく。

 青蘭を起こそうと思い、肩をゆする。が、青蘭は幸せそうな顔をしたまま目をあけてくれない。


 困ったなと思っていると、座敷牢の女が、すっくと立ちあがった。うっうっ、うっうっと泣きながら肩をふるわせている。いや……違う。そうじゃない。


(こいつ……)


 泣いているわけじゃない。

 笑っているのだ。


「うハハ。フハハハ。ケハケハケハ。ハハーッ! アフフ。ふふ。フヒャヒャ。フヘヘへへへ。ヒヒハハハハヒハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ——」


 急に喉をのけぞらし、ゲラゲラ笑いだす。


 龍郎は全身に冷水を浴びせられたように、ゾッとした。

 これは座敷わらしなんかじゃない。何かわからないが、悪いものだ。人間に害を及ぼす。


 それはゆっくりと、こっちをふりかえった。じわじわ、じわじわ。じらすように数ミリ単位で、おもてを龍郎のほうへ向けてきた。豪華な振袖を着た肩ごしに、赤く目が光る。


 日本人形のような、鼻筋の通った美しいおもてを想像していた。たしかに鼻筋は通っている。しかし、その鼻……高すぎやしないだろうか?

 それに、肌の色がなんだかおかしい。妙に黒い。いや、ただ黒いだけではない。少女が笑うたび、呼気によって表面がゆれている……ような?


 龍郎は自分の視覚がおかしいのかと疑い、けんめいに目をこらした。

 錯覚ではない。少女の顔には毛が生えている。獣毛がビッシリと密集していた。


 少女が完全に真正面をむいた。

 それは狐に似た獣だった。狐が人間に化けようとして化けそこなったかのような、不自然で不快な生き物だ。

 耳まで裂けた口から、ギザギザの牙をむきだして、それは突進してきた。

 太い格子にぶつかり、ガツンとゆれる。


 そこで、目が覚めた。

 龍郎はとびおきて、豆電球をつけた薄闇のなか、無意識に座敷牢をかえりみた。が、何もいない。


(なんだ。夢か……)


 ほっと息をついて、布団にもぐりこむ。きっと神経が過敏になっていたから、変な夢を見たのだ。寝る前に興奮してしまったし、清美から妙な夢の話なんて聞いたから——


 そのとき、パチリと青蘭が目をあけた。同時に隣室から悲鳴が響いた。

 青蘭がとびおきて廊下へ出ていく。もちろん、龍郎も追いかけた。


 となりの客間からは何かの倒れる音や短い悲鳴が続いている。

 襖に手をかけた青蘭が顔をしかめた。

「龍郎さん。襖をけやぶって」

「弁償は青蘭がしてくれよ?」


 龍郎は言われるがまま、襖をタックルで押しやぶる。剣道と柔道は子どものころから習っていたし、スポーツも全般得意だった。力技がこんなときには役に立つ。

 勢いをつけて襖を倒すと、室内では清美が暴行を受けていた。小さな人形に追いまわされて、髪をわしづかみにされている。人形の顔はさっき龍郎が夢で見たのと同じ獣に変貌していた。その口元が血で汚れているのは、清美の体のあちこちから出血していることに関係しているのだろう。


 人形が人間を襲っている。

 ふつうなら腰をぬかすところだが、このていどの怪異には、青蘭ばかりか龍郎も慣れてしまっていた。


「龍郎さん、捕まえて!」

「むちゃ言うなぁ。こいつ、すばしっこいんだぞ?」


 獣のように部屋中をはねまわる人形を枕で打ちおとし、どうにか押さえこんだ。

 青蘭が首にかけたロザリオをにぎり、人形の顔面に叩きこむ。ひたいが割れ、ピピピと音を立てながら、無数の亀裂が人形の顔に走った。

 人形はまるで人間の臨終のように、カクンと首を傾け、その口から静かに血をこぼした。




 *


 朝一番で清美に実家の母へ電話をかけてもらった。


 清美の母の話によれば、何代か前、まだ十代の始めの少女が、器量を買われて、当時の家長の嫁にやってきたらしい。

 貧しい家からの輿入れだった。娘の親は気が狂ったように大喜びしたが、娘には四十も年上の男との結婚など苦痛でしかなかった。完全に金で買われた花嫁だ。

 逃げださないよう座敷牢に閉じこめられていたが、婚礼の朝、首をくくって死んだのだという。

 そのあと、急速に家が傾き、男は屋敷や田畑を失った。

 人形はその娘がとても大事にしていたものだったそうだ。




 了

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