第10話 百万本桜 その四
誰か来る。悪魔だろうか?
龍郎は身がまえた。
悪魔の結界のなかで人に出会うとしたら、それはかぎりなく悪魔である可能性が高い。
だが、しばらくして小径の端から姿を現したのは、疲れきったようすの男女だった。ハイキングのような服装をして、二人ともリュックを背負っている。
「……うそでしょ? また帰ってきたよ?
「なんだよ、ここ! どうなってんだよ!」
「あたしに怒鳴ったってしょうがないじゃん!」
「うるさいな! キイキイ騒ぐなよ」
どう見ても仲たがいしているカップルだ。
二人とも三十に手がかかりそうな年齢で、ことによると女のほうは、さらに少し上。女は十人並みの顔立ちだが、男はまあまあイケメンの部類に入る。いかにも軽薄そうなのと、サラリーマンには見えない風態が気にならなければ、言いよってくる女はそれなりにいるだろう。瑛斗という名前からして、ホストの源氏名のようだ。
二人は言い争いながら近づいてくる。
地蔵堂のかげになっているので、まだ龍郎たちには気づいていない。
「なんで、ここから出られないの? 早く家に帰りたいよ」
「騒ぐなよ。腹へるだけだろ」
「あなたがハイキングに行こうなんて言うからじゃない」
「おれだって、こんな変なとこだと知らなかったんだよ」
どうも悪魔のようには見えない。
龍郎は地蔵堂のかげからふみだした。
「こんにちは。道に迷ってるんですか?」
声をかけると、男女が同時にこっちをかえりみる。
龍郎を見て——というより、龍郎のうしろにいる青蘭を見て、度肝をぬかれている。つれの龍郎でさえ、この風景のなかで見る青蘭は桜の精霊のようだと思ったのだから、見ず知らずのアベックが、恐ろしく
「あ、大丈夫です。おれたちも道に迷ったんです。車道に置いた車まで戻りたいんですが、なかなか、そこまで行けなくて」
「ああ、そう」
見るからに、ほっとしたようすで、男女は近づいてくる。女は恐る恐る。瑛斗は目に見えて元気をとりもどし、興味津々で青蘭の顔をながめに来る。
「うわぁーッ。すっごい美人だなぁ! おれが知らないだけで、もしかして芸能人? モデルとか新人女優? アイドルっていうよりは綺麗系の顔立ちだよね。こんな美人、生まれて初めてみた!」
瑛斗が手を伸ばしてきて、勝手に青蘭の手をにぎろうとする。
すうっと青蘭の目が細くなり、何事か話しだすように赤い唇をひらくので、龍郎は理解した。青蘭が「この愚民が。誰がアイドルなんて軽薄なものだと? どこに目をつけている?」と、言いだすつもりであることを。
龍郎はサッと手を出し、瑛斗の手をにぎった。必要以上に強くにぎりしめてやる。
「こんにちは。おれは龍郎。こっちは、おれの男友達の青蘭」
「男友達?」
「男友達!」
「……そっか。おれは瑛斗。こっちは、ほのか」
「そっか」の前のために、龍郎は瑛斗の激しい落胆と失望を察した。自分がそうだったとしてもガッカリしただろう。そこは男同士、同情する。しかし、これは危険回避だ。チャラそうな男を青蘭から遠ざけるためには、これくらいのウソはかましておかなければ。
「あなたたちも道に迷ってるんですよね?」
再度、聞くと、瑛斗は道端にすわって、ガックリと頭をかかえた。迷っていることにもだが、青蘭の性別を知ったショックも大きかったに違いない。
「もう三時間くらい、この道をぐるくるしてるんだ。おかしいだろ? 二又の道を逆に行っても、けっきょく、ここに戻ってくる!」
「この道を……ですか」
龍郎たちがこの小径に出たのは、ついさっきだ。それまでは山中の道なき道をさまよっていた。道に出ただけでも進歩だと思っていたのだが、どうやら、そうではなかったらしい。
「一周するのに、どれくらい時間がかかりますか?」
「え? さあ。注意してなかったけど、えーと……たぶん、三十分くらい?」
龍郎は考えた。
瑛斗たちは霊的なものが見えない一般人だ。霊的なものが見える龍郎なら、正しい道しるべのようなものが見えるのではないかと。
「ザッとでいいんで、道筋を教えてください。おれ、行って確認してくるから」
龍郎が言いだすと、青蘭が龍郎の服をにぎってくる。
「龍郎さん。ボク、歩けない」
「うん。おれが見てくるあいだ、ここで休んでればいいよ」
「でも……」
「ちゃんと戻ってくるから」
青蘭は行ってほしくないようだった。
うるんだ瞳で龍郎を見つめる。瞳の奥にミラーボールでも入っているかのようにキラキラしている。
(これは! 俗に言う“捨てられた子犬の目”! なんて超絶プリティーなんだ!)
なんだか鼻血が出そうだ。
龍郎はあわてて少し上をむいて、鼻を押さえる。大丈夫。鼻血は出てないと、確認してから手を離した。
「問題ないよ。おまえに何かあったら、一瞬で戻ってくるから」
「ほんとに?」
「うん。約束する」
「じゃあ、ほんとに一瞬でワープしてきてね?」
「うん」
青蘭のためなら瞬間移動もできそうな気がしてくるから不思議だ。
龍郎は腰かけがわりになる岩を見つけると、ニットをぬいで、そこに敷いた。青蘭のための即席チェアを作ってやる。
「ほら。ここにすわって」
「うん」
龍郎たちのようすを、ニヤニヤ笑いながら、瑛斗が見ている。いやな感じがしたが、いたしかたない。
瑛斗は丁寧に道筋を教えてくれた。龍郎が青蘭のそばを離れることが嬉しいのかもしれない。そう思うと、少し不安も残る。が、青蘭はこう見えて、体内に魔王を二柱も宿しているのだ。ほんとに追いつめられたときには、それを呼びだせばいい。
青蘭の身に危険はないと判断して、龍郎は一人でその場を発った。
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