第10話 百万本桜 その三



 あれ? この木、もしかして桜かなと、しばらく山中を歩き続けて、龍郎はふと思った。

 葉は落ちているし、花も咲いていないので、よくわからないが、つるつるとした幹は、なんとなく桜のような気がする。


 かたわらに見かける木が、いやにみんな似ている。まさかと思うが、そのすべてが桜なのだろうか?


 龍郎はおかしく思い、青蘭に相談すべきかどうか迷いながら進む。


 そのころには、しだいに暑さも感じるようになってきた。真冬のコートの下にニットを着ていると、汗がしたたり落ちてくる。

 運動したから体温が高くなったせいか?

 しかし、いくら運動したからと言って、ほんの十分ほど、ゆるいペースで山道を歩いただけだ。こんなにも熱いなんて異常だ。まるで服を着たままサウナに入っているようである。


 青蘭も息が荒くなり、着ているコートをぬぎすてた。捨てていくつもりのようなので、龍郎が拾ってかかえる。青蘭のは高級なカシミアだ。


「変だな。なんで、こんなに暑いんだ? 気温があがってきたのかな?」

「少なくとも二月の気温じゃないね。四月の陽気がいい日並みには暑い。二十度、超えてるんじゃないの?」


 たしかに、さきほどまで道脇の日陰に、ぽつぽつ積もっていた雪が、まったく見あたらない。


「それにしても遠いなぁ。こんなに車道から離れてたっけ? せいぜい十分ていどしか歩いてなかったはずだけどな」

「…………」


 もうその倍は歩いている。


 と思うと、とつじょ、目の前がひらけた。なだらかな傾斜が続き、視界をさえぎるものが何もなくなる。

 龍郎は目をみはった。桜が咲いている。それも、花盛りだ。百本ばかりか。ソメイヨシノが真冬の森の一画を占拠して、今を盛りと咲きほこっているのだ。


 その桜の中心に、建物が見える。どうやら、昨夜泊めてもらった寺のようだ。


「なんだ、これ? なんで桜が咲いてるんだ? それに、あれ、昨日の寺だよな? さっき出るときは、まわりに桜なんて咲いてなかったけど」


 思わず大声を出す龍郎の袖を、青蘭がしっかりとにぎる。

「貪食の仕業だ。龍郎さん。気をつけて」

「あ、うん」


 低級な貪食はたいした力なんてないんじゃなかったのだろうか?

 だとしたら、ほんとうに季節を変えたり、まだ咲かないはずの花を咲かすことなんでできないはずだ。


「えーと、つまり、相手の結界のなかに捕まってる?」

「まあ、そんなところですね。貪食一匹だけなら、ここまでの結界は作れない。でも、ここには土台がある。この場所で飢えて亡くなった大勢の思念。淀んだ磁場。そういうのは悪魔の肥やしになる」


 口べらしのために捨てられた老人や子どもたちのことか。

 つまり、怨念を土壌にして巣喰う貪食がいる。


「どうする? 青蘭。車道をめざすか? それとも、あの寺に帰る?」

 たずねると、つかのま青蘭は迷った。

「こう見ると、寺はヤツの結界のなかだ。桜の咲いてる場所がそうなんだと思う。だから、桜の咲いてない方角に向かったほうがいい」

「わかった」


 見渡してみたとき、頭上に車道のガードレールが見えた。きっと、昨夜、龍郎たちが、おりてきたのはあの場所だ。いつのまにか思っていたより下方にさがっていたようだ。近づいているつもりで遠ざかっていたのだろう。

 周囲の景色はどこも同じような山のなかだし、起伏があって、ひんぱんに上下するので、方向感覚を見失っていた。


「よし。じゃあ、あっちだな。まあ、たいした距離じゃないよ。百万本は盛りすぎだな。せいぜい百本桜だ」


 青蘭を励ますために軽口をたたいたのだが、歩きだすと、また迷った。

 桜の森がどこまでも続いている。霞のかかったような白い景色。風にヒラヒラと桜の花弁が優雅に舞う。

 なんだか異界につれてこられたかのような美しさだ。いや、悪魔の結界のなかだから、異界は異界なのだろうが、それにしては世界が美しすぎる。


 こんな場所で見る青蘭は、桜の精霊そのものだ。高飛車で毒舌なところは喋らなければわからないし、端麗なおもざしが、なおいっそう幻想的に見える。まつ毛の一本一本が光のなかに消えてしまいそうに儚げだ。


「ふつうにデートで来たかったなぁ」

「ふーん。龍郎さん。デートする相手いるの?」

「おまえとだよ!」

「今、来てるよ」

「だから、ふつうに来たかったんだって」


 会話もループするが、帰り道もループする。さっき見た場所を何度もグルグルしているような?


 なんだか桜が増殖しているように感じる。最初はほんとに百本ていどしかなかったのに、今では千本か、それ以上の桜が行く手を阻んでいるようだ。まるで龍郎たち二人をそのなかに閉じこめようとするように。へたすると、事実、百万本の桜が存在しているのかもしれない。


 体感として一時間ほども経過したころ、青蘭が一本の桜の木の根元にしゃがみこんだ。

「龍郎さん。ボク、もう歩けない……」

 べそをかくようすが、たまらなく可愛い。ほんとに、なんでこんなに庇護欲をそそるんだか。


「大富豪の王女さまは自分の足でこんな山道歩くことなんて、そうそうないよな」

 からかうと、青蘭は憤然とした。

「なんなの? お金が欲しいの? なら、欲しいだけあげるから、おぶってよ」


 龍郎はしゃがみこんだ青蘭の前に、目線が同じ高さになるように、自分もしゃがむ。

「よしよし。いい子。いい子」

 ぽんぽんと頭に手をのせると、青蘭は静かになった。よくわからないが放心している。


「休める場所を探そう」


 龍郎はコートをぬいで、その場に捨てた。青蘭のコートもかさねて置く。もったいないが、しかたがない。

 そして、両腕を青蘭の背中とひざの下にまわし、抱きあげた。

 すっかり静かになった青蘭は、おずおずと龍郎の首に両手をまわしてくる。


 桜の精をさらっていくみたいだなと、龍郎は考えた。

 神聖な精霊界から、精霊をさらっていく人間の男。ゆるされぬ道行き。

 なんでこんなときに、これほど甘い気分になるんだかと、自分がおかしい。


 しばらく歩いていくと、小径の端に地蔵堂が建っていた。寺の敷地に戻ってきたのかもしれない。

 赤い前垂れをかけた地蔵が、小さなお堂に鎮座ちんざしている。そのよこに平坦な空き地があった。


「あっ、青蘭。水がある。湧き水みたいだぞ。これで少し疲れがとれるよ」


 地蔵堂の裏は山の斜面だ。その岩壁を掘って水がたまるようにした手水ちょうずがあり、竹筒から澄んだ水がチョロチョロと流れていた。

 龍郎がそこに青蘭をおろし、二人で喉をうるおしていると、どこからか人の声が聞こえてきた。


 もしや、貪欲の悪魔がやってきたのだろうか?

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