第9話 魔女のみる夢 その二十



「おまえが……魔女? おまえが魔王をあやつっているのか? そうなのか? 美玲?」


 畑中美玲。

 一年A組のなかでも、いつも明るいクラスの中心人物だ。

 ベールの下にあったのは、美玲の小学生といっても通用しそうな幼顔だ。

 とうてい、魔女には見えない。

 しかし、今になって思えば、花凛は美玲と距離を置いていた。何か本能的な感覚で、自分に害を与えそうな人物として警戒していたのかもしれない。


 美玲は正体を知られたことで、ひらきなおった。ニヤっと笑うと、何やら手招きするような仕草をする。その手の甲には赤黒い色の模様があった。白石先生や神崎の手にあったのと類似した刻印。だが、白石先生の手にあったものより、ハッキリと禍々しい。


 蹄の音が刻一刻と高まっていった。

 近い。すぐそばまで来ている。

 空間が、グラリと揺れた。

 窓の外に巨大な馬の顔が覗いている。

 魔王が両前足をあげると、ガラス窓が粉々にくだけた。破片が部屋中にとびちる。


 龍郎は思わず、身をかがめ、目を閉じた。

 激しいいななきと悲鳴がとびかう。

 目をあけたとき、目の前に女の裸があった。大女優の体が空中高く浮いている。その胸には魔王の前足が深くめりこんでいた。女優は白目をむいて、失神しているようだ。


 そのとき、龍郎は変なことに気づいた。

 よく見ると、魔王の顔の半面が焼けている。魔王にしてみれば大した傷ではないようだが、それは以前見たときにはなかった傷痕だ。


(なんで……火傷? 誰かに攻撃されたのか?)


 いや、ぼんやり考えごとなんてしている場合ではない。


 魔王が前足をひきぬくと、蹄鉄のさきにトリモチのような粘りがネットリと糸をひいた。糸につながって、女優の体から何かが引きずりだされてくる。

 異様に頭が伸びているが、女優自身だ。ヒョロヒョロとした青白い影が、女優の肉体からえぐりだされてくる。


 青蘭は言っていた。

 魔王ガミジンはネクロマンサーなのだと。人間の魂にふれることができる、と。


(魔王に喰らわれた橘の魂。おれの枕元に立っていた坂本の魂。あれは、もしかして、コイツが……)


 やっと、すべての謎が解けた。

 魔女の魔法を使って、校長や理事長が儲けていたのは、少女売春などではない。臓器移植でもない。移植は移植でも、もっと人にとって大切なもの。魂だ。魂を移植していたのだ。

 年老いた体から魂をひきずりだし、若い肉体に植えかえる。

 では、自分のものではない魂を植えこまれた少女の魂は、どうなるのだろう?



 ——先生。わたし、だまされて。助けて……。



 泣いていた久遠の魂の言葉が脳裏を熱くした。


 別の魂を入れられた体は、かわりに、もともとあった魂を放出する。それとも、本来の魂も入れかえるときに、魔王がとりだしてしまうのか?


 龍郎は歯ぎしりして、両手をにぎりしめた。

 久遠のことは、もう救えない。残念だが、彼女の魂はすでに自分の体を失ってしまった。魔王に喰われた笑波の魂は、すでにこの世に存在すらしていないのかもしれない。でも……。


「でも、まだ、鈴木は生きてるんだー! このクソ悪魔がッ!」


 龍郎はグーで魔王のよこつらを殴った。今しも、女優の魂を持つのとは別の前足を、花凛の体にもぐりこませようとしていた魔王の鼻づらを。

 カッと白熱した光が、龍郎のこぶしから放たれた。軽い火傷を負っていた魔王の顔面が音を立てて溶けくずれる。

 馬の顔からは、かん高いいななきが、その喉の奥の人間の顔からは獣のような絶叫があがった。

 魔王は女優の魂をほうりだし、遠い虚空へ駆け去っていく。

 またたくまに煙のように細くなり、消えた。


「……スゴイな」

 暴れる美玲を押さえていたフレデリックが、このようすを見て呆然とつぶやく。


 龍郎は激昂を抑えるために、呼吸を整える。

 魔王を退散させた。だが、その存在を消滅させた気はしない。

 以前、青蘭が魔王クラスの魔神をやっつけたときは、存在ごと抹消させた。それにくらべたら、ぜんぜん、なってない。


 だが、フレデリック神父は感心して、めったやたらと褒めちぎる。


「君、ほんとになんの訓練も受けてない一般人なのか? 魔王をこぶしで追い払うなんて、普通できないぞ?」

「青蘭のお父さんがくれた力のおかげだと思います」


「いや、星流は素晴らしいエクソシストだったが、ここまでの力はなかった。我々は十字架に念をこめて、悪魔を祓うんだ。聖水や悪魔の嫌う香、お祓いの聖句なども含めてね」


「ふうん。そうなんですね。でも、魔王は逃げてしまった。もうこの学園にはいないんだろうか? まだなら、退治しないと、ほかの生徒が犠牲になってしまう。青蘭はさっきの馬の姿は魔王の影だと言ってたんだが」


 神父は青蘭の考えを察したようだ。

 思案しながら告げる。

「おそらく、魔王の本体はこの現実世界に召喚されている。魂に悪さするときだけ、異相空間である結界のなかに、必要な人間を引きこむのだろう」

「魔王の本体が現実に?」

「そう。召喚されるということは、そういうことだ」


 たしかに、神崎も悪魔だが、人間の姿でこっちにいる。つまり、魔王はふだん人の姿に化けているということ。


 龍郎は思いあたった。

 さっき、魔王は出現したとき、すでに顔にケガをしていた。それは本体のほうの魔王が傷を負ったからではないのか?


(アイツだ。アイツしかいない!)


 龍郎は自身の起こした行動の意味を反芻はんすうした。その結果がもたらしたはずの事実を。

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