第67話 真里菜vsロザリー 2
「有効っ!」
「くっ……!」
真里菜が畳の上に転がると共に、都合三つ目のポイントを取られた。
柔道のルールというのは、『一本』『技あり』『有効』の三つがポイントとなる。一本をとればそこで試合は終わりであり、技ありは二度とられることで合わせて一本、という形になるのだ。ただし、有効はどれほど獲得したところで技ありにならないというルールが存在するために、あまり意味がないと言われている部分もある。
真里菜が奪われたポイントは、技ありが一度、有効が二度である。
最初の裏投げは対処するのが遅かったがゆえに技ありをとられ、二度の有効はどちらも真里菜の施した技に対する返しによって奪われた。
「ふぅ……なかなか一本にいかないデスネ」
「……」
「いいデス。次で決めマス」
「……」
寝技に移行することなく、立ち上がるロザリー。
柔道において、技が決まった時点で寝技へと移るのは当然の流れだ。だというのに、ロザリーは一切寝技へと移行しようとせず、まるで転がった真里菜を見下すかのように立ち上がる。その時点で審判が「待て」をかけるために、再び組み合うために中央へ戻るのである。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を抑えながら、立ち上がり中央へと歩みを進める。
ちらりと見た電子時計の刻んでいる時間は、僅かに残り三十六秒だ。既に四分半近く、ロザリーと戦い続けている事実がそこにある。
全国大会において、どんな相手でも一分と保たせなかった真里菜だというのに。
「はじめ!」
審判の言葉と共に、再びロザリーと組み合う。
相変わらず、まるで山のように動こうとしないロザリーだ。鍛えられた体と、それに伴う体幹の力がそこにあるのだろう。まるで大地に根が生えているかのように、真里菜の崩しに対しても不動を貫いている。
元来、日本人というのは矮躯である。
現在は食生活が欧米化してきたこともあり、その平均身長は激しく高まった。だが、江戸時代の日本人は、男性でさえ平均が150センチ程度しかなかったのだという。そして、そのように身長を高くした日本人でさえ、諸外国との戦いにおいてはその身体能力において劣っているというのが現状でもあるのだ。
日本人と欧米人には、圧倒的な
「はぁぁぁぁぁっ!!」
「くっ……!」
ロザリーの仕掛けてくる内股に対して、身を屈めて投げられることを防ぐ。
ちらりと見えた、柔道着の下の腕――その太さは、並の男子選手をものともしないものだった。下手をすれば、崩しもなく技の体もなしていないものでさえ、その力任せで投げられるのではないかと思えるほど、強大な力の差がそこにある。
そして何より、ロザリーの特異な点――それは、まるで呼吸を読んでいるかのように、真里菜の仕掛ける技のタイミングに合わせて返し技を仕掛けてくるところだ。
左右に振られ、体勢が崩される。
それを必死に堪えながら、真里菜もまた攻撃の起点を探す。
「はぁ……はぁ……!」
だが、見つからない。
一本背負いを仕掛ければ、裏投げで転がされる。
大内刈りを仕掛ければ、大内返しで崩される。
支え吊り込み足を仕掛ければ、移腰で返される。
兎角、圧倒的なカウンター。それが、ロザリーの恐ろしい部分なのだ。
ゆえに、攻め手が見つけられず動くことができない。
そして攻め手を見つけることのできない真里菜など、ロザリーからすれば良い的でしかないのだ。身長にすれば真里菜より僅かに高い程度に過ぎないロザリーだが、それでも鍛え抜いた体と太い腕は、重量級の選手にすら及ぶものである。ゆえに払い腰、内股といった重量級の選手が使うような技すらも繰り出してくるのだ。
どうしようもない。
どうすることもできない。
絶望にすら支配される心は、攻め手を失うと共にその攻める心すらも失わせつつあった。
「う、あああああああっ!!」
だけれど。
真里菜は誰よりも、柔道に打ち込んできた。ずっと、何年も練習を重ねてきた。
その重ねてきた時間が、己に与え続けてきた修練が、決して折れまいと体を支えてくれている。
残り時間は十秒。
このまま何もすることができなければ、真里菜は負けてしまう。
そうなる前に、何か手を――。
「はぁぁぁぁっ!!」
真里菜にできることはただ一つ。
己の、本当に信じる武器を、信じ続けること。
それは修練を重ね、何度となく相手を投げ飛ばしてきた――真里菜の必殺技、一本背負い。
鋭く相手に懐に入り、そのまま勢いを持って跳ね上げれば、どれほど相手が重かろうと投げ飛ばすことができる。
竜巻のようにロザリーの懐に入り、そのまま真里菜は腰を跳ね上げ――。
「ふンっ!!」
「――っ!」
畳に、背中から叩きつけられたのは。
「一本!」
真里菜の、方だった。
跳ね上げた腰をすかされて、そのまま足を掛けられた――そう理解するのに、数秒。
武道場全体を照らす照明を下から眺めたのは、いつぶりだろう。
完膚なきまでに、敗北した。
真里菜は暫く動くことができず、そのまま天を仰ぐ。
「マリナ・イズミ。あなたのデータは、見まシタ」
「……」
「全国大会の動画も、全部見まシタ。強いと、素直にそう思いマシタ」
「……」
「でスガ」
ふんっ、とロザリーはつまらなそうに鼻を鳴らして。
大きく、溜息を吐いた。
「まるで、別人デス」
「……」
「もっと、鋭かッタ。もっと、速かッタ。まるで、今のアナタは重りを抱えているようデス」
「……」
全国大会を制覇した、自分を思い出す。
確かに、もっと鋭く技を出すことができていたかもしれない。もっと、体は軽かったかもしれない。
いや、しれない、ではない。
間違いなく、もっと体は軽かった。もっと、鋭かった。もっと、速かった。それは、間違いのない事実だ。
昼食を食べ過ぎたことも、その理由の一環だろう。武人の作ってくれた昼食を、僅かにでも残すまいときっちり全部食べきったのだ。
いや、それだけではない。それは、もっと前からだ。
普通に、食事を摂るようになった。姉のお菓子を、食べるようになった。間食を、当然のように行うようになった。
その全部が、真里菜の体を鈍らせた――。
「……」
真里菜はゆっくりと立ち上がり、試合場の中央で礼を行う。
柔道は礼に始まり、礼に終わるのだ。どれほど屈辱的な敗北を喫しても、終わらなければならない。
ただ、礼を終えて。
「和泉先輩!」
「真里菜!」
「いずみん!」
「真里菜っちー!」
代わりに、口々に自分の名前を呼ぶチームメイトたちを、無視して。
真里菜は一人、武道場を後にした。
「真里菜さんっ!」
そんな風に、自分の名前を呼ぶ。
武人すらも、置き去りにして。
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