第27話 家族の夕食

「にーちゃん、彼女できたみたい」


「ほう、そうなのか?」


「おい亜由美、やめろよ……」


 夕食。

 常に夕食の時間は、六時を五分以上早まることも遅まることもない千葉家の食卓は、今日は珍しく三人で囲むものとなった。

 というのも、父さんがこの家にいることは滅多にない。いつも遅くに帰ってきて、誰よりも早く家を出るのだ。このように、早く帰ってくるのがとても珍しい。

 だからこそ、いることに気付かなかったのだけれど。


「でも父さん、ビール飲んで大丈夫なの?」


「ああ、大丈夫だよ。でっけぇヤマが終わったところでな。明日と明後日は休みだ」


「そっか」


 父さんの見た目は、完全に道を外れたそれである。

 細面で強面、かつ頭はアイロンパーマであり、普段はサングラスをかけているのだ。完全にそっち系の人だとしか思えない見た目をしている。

 ただし、僕と亜由美は真実を誰にも言ってはいけない。だからこそ、いつも誤解をされるのだ。


 元々僕に友達が少ないのも、そこに起因する。

 小学校の頃にはそれなりに友人がいたはずなのだが、中学校に上がった頃合でだんだん周りが僕を遠ざけるようになったのだ。その理由として、「武人の親父ってやくざらしいぜ」と誰かが漏らしたからだ。学校において伝わる噂というのは足が早く、元々薄い関係でしかなかった友人とは話をしなくなった。

 僕が、父親の職業程度では離れることのない、親友のような存在を作っておけばまた別なのだろうけれど。ちなみに、そんな噂は既に僕の現在所属しているクラスでも流れているため、同性の友人もいないのである。ちなみに加奈子は、「別に父親が何でも千葉は千葉じゃん」と男前な意見を言ってくれたりした。得難い友人である。


「仕方ねぇだろ。それが俺の仕事だ」


「そりゃ、分かってるけどさ……」


「ご近所さんにすら、ヤー公って思われてなきゃできねぇ仕事なんだよ。麻取まとりってのはな」


 麻取。

 それは麻薬取締官の略で、国家公務員の特殊な職である。基本的には麻薬を扱う組織だとか、そういうところに潜入したり、麻薬のルートを調べることが主な仕事らしい。僕は詳しく聞いたわけじゃないけれど。

 水面下に横行する麻薬の取り締まりを主に行っているため、その性質上、日本において唯一『おとり捜査』が認められている組織でもあるのだ。

 ちなみに、僕は父さんのことを『刑事』と勝手に言っているけれど、その実、麻薬取締官というのは警察機構ではない。一応、国家公務員ではあるけれど警察とはまた別らしいのだ。このあたりの詳しいところまで、僕は知らない。ただ、持っている権限は警察とほぼ同じらしいため、刑事と勝手に言っている。麻取、って言っても分かりにくいしね。


 まぁ簡単に言うと、『ヤクザっぽい格好をして実際のそういう組織に入って、麻薬がどう流通されているのか確認し状況に応じて逮捕する』という仕事である。そういう仕事だからこそ、ろくに家に帰ってこないのだ。

 そして、そういった麻薬の取扱いをする組織というのは、その情報収集能力にも優れている。だからこそ、僕はご近所さんにも友人にも、父さんがそういう仕事をしている、という事実を決して流布できないのである。ちなみに、本当は家族にも内緒にしなきゃならないらしいのだけれど、僕と亜由美にだけは教えてくれたのだ。子供にまで誤解されたくない、と。

 小学校の頃に書いた作文で、『おとうさんのしごと』を発表しなければならなかったときでさえ、わからない、と書いて提出したくらいである。そして僕の父と面識のあった当時の担任は、苦笑いを浮かべていた。多分、悪い方向で理解されたのだろうと思う。


「んで、女ができたって?」


「……いや、だからさ。亜由美が勝手に言ってるだけだよ」


「えー。でも恋人って言ったじゃん」


「だからー……あー、もう」


 何て説明すれば分かってくれるんだろう。

 真里菜は常識が壊滅していて、恋人の定義とかよく分かってないから勝手にそう判断された、って言っても絶対信じてくれないよね。僕の照れ隠しだ、と言われたらそこまでだ。

 というか、そこまで常識がない女子高生がいるとは思えないし。

 そもそも、何故こうなるまで放置したんだよ両親、と恨みたくなってくる。


「んで、どうなんだ? 可愛いのか?」


「あのね、とーちゃん。めちゃめちゃ美人」


「おい、亜由美……!」


「ほー。なんだ武人、お前もやるじゃねぇか。さすがは俺の子だ」


「さすがはうちのにーちゃんだよね!」


 何故か褒められていた。意味が分からない。

 とはいえ、これ以上否定をしていたところで意味はなさそうだ。そもそも亜由美が信じ込んでしまっている状態だし、僕も真里菜を説得できなかったし、もう外堀が完全に埋まっていると言っていいだろう。


「その娘、名前は何ていうんだ?」


「えっとね、和泉真里菜さん」


「勝手に言うなよ亜由美!」


「……和泉真里菜?」


 だけれど、そんな真里菜の名前に。

 父さんの、アジフライを持つ手が止まった。


「……和泉真里菜って、あの、和泉真里菜か?」


「は? 父さん、知ってるの?」


「いや……別人か? 同姓同名……にしちゃ、珍しい名前だし……」


 うぅん、と何故か父さんが考え込む。

 その脳裏に再生されているのは、果たして僕と全く同じ認識の真里菜なのだろうか。


「……その娘、柔道がクソ強かったりしねぇか?」


「あ、うん」


「あいつかよっ!!」


「……は?」


 うがーっ、と父さんが頭を抱えた。

 情緒どうなってるんだよ。というか、箸を持ったままでそれやるからすっごい散る。僕の頰にパン粉が飛んできたよ。


「マジかよ……あれ、そういや栄玉学園の制服着てたな。おいおい……いや、確かに美人だけどよ」


「父さん、会ったことあるの?」


「何遍も会ってるよ。つか、週三で警察署来てるよ、あいつ」


「あー!」


 なるほど。

 父さんとどう繋がりがあるのかと思っていたけれど、そういえば真里菜は警察署の夜間練習に通っていると言っていた。


「俺も、潜入とかするしよ。逮捕術とか鍛えとかなきゃいけねぇから、このあたりの所轄でよく練習に参加してんだよ。空いた時間とかな」


「それで真里菜のこと知ってたんだ」


「ああ……あれは、バケモンだ。クソ強ぇ」


「……そんなに?」


「顔だけなら何遍も見たことあるけどよ、一度だけ、相手がいなくて乱取りしたんだわ。最初は、そりゃ美人の女子高生と触れ合えるって、まぁ役得みたいなもんだろ? まぁ、ちったぁ手加減でもしてやろう、って思ってたくらいだった」


 天国の母さん、こんな父さんでごめん。


「三分間で、二十八回だ」


「は?」


「俺が投げられた回数だよ。後半は本気だった。それでも、五秒か六秒に一度は投げられるんだぜ……当然、俺からはゼロだ」


「……」


 父さんは見た目通りに厳つい。加えて、柔道の段位も既に四段だと聞いたことがある。何故この父から僕のような息子が生まれたのだろう、と疑問に思うほど強い。

 そんな父さんを、まるで子供扱いするかのように投げるなんて――。


「あれが彼女か……まぁ、喧嘩したら……素直に謝っとけ。それが長生きする秘訣だ」


「……」


 どうしよう。

 僕、迂闊なこと言えない。

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