第26話 とりあえず落ち着こう

「では来週、いつも通りの朝練を終えたら参ります。よろしくお願いします」


「あ、うん……」


 玄関先で、靴を履く真里菜を見送る。

 ちなみに、靴は学校指定の革靴だ。本人曰く、他に靴を持っていないらしい。結局一方的に取り付けられた来週の約束は、ついでに真里菜の靴を見繕うことにしよう。靴もあまり拘ると高くなってしまうけれど。

 それでも、普段着に学校指定の革靴よりは、安いものでもいいからスニーカーだとかサンダルを履いた方が可愛いと思うし。


「それでは、お邪魔しました」


「うん。それじゃ、また明日学校で」


「ええ」


 扉を開き、真里菜がそのまま去ってゆく。

 家まで送ろうかと最初は言ったのだけれど、構わないと固辞されたのだ。事実、暴漢が襲ってきたとしても真里菜なら倒せるだろうし、絶対に僕より強いしね。

 それ以上は僕も言わずに、暗くならないうちに帰らせた。


「はぁ……」


 しかし、色々と気苦労をした一日だった。

 そもそも僕の部屋に女の子が来るなんて、人生初のイベントだ。しかも亜由美に恋人認定されてしまっているし、本人も恋人と言い張っているし。

 僕の初めての彼女、こんな形でできるとは思わなかった。もう少し、こう、甘酸っぱい色々があってもいいんじゃないかな。

 そろそろ夕食でも作ろう。


「あれ、にーちゃん。真里菜お姉さん帰っちゃったの?」


「あ、うん。ご飯今から作るから」


「夕飯も一緒に食べてけば良かったのにー」


「真里菜さんはアスリートだからね。栄養学も知らない僕の料理なんて食べさせられないよ」


 昼の親子丼は、ただのアレンジだしね。

 そもそも我が家、亜由美が好きだから、っていう理由で揚げ物が多いし。魚は大抵、揚げないと亜由美が不機嫌になるんだよ。焼き魚で許されるのは秋刀魚くらい。

 実際、今日だって昨日半額で売ってたアジを捌いてフライにするわけだし。


 亜由美と共に、リビングへと向かう。

 ただし僕はキッチンに、亜由美はゲームの続きをしに、だ。絶対に手伝うって言わないんだよな、こいつ。


「ふーん。帰っちゃったんだ」


「どうしたんだよ」


「にーちゃんの部屋にお泊まりかなー、って思って」


「ぶっ!」


 思わず、噴き出す。

 そもそも三日前まで何の接点もなかった真里菜と、どうしていきなりお泊まりになるんだよ。いや、亜由美は僕と真里菜について全く知らないわけだけれど。

 僕が女子力について教えているという、関係性を説明するにはあまりにも謎すぎるものだからだ。


「だ、大体、明日は学校だろ。そんな風に思うな」


「ま、そっかー。んでにーちゃん、今日は何?」


「アジフライ」


「いぇー!」


 亜由美がぴょんぴょん跳ねながら、付きっぱなしのゲームの続きをしに戻ってゆく。

 僕はそんな亜由美を見送りながら、冷蔵庫からアジを取り出して三枚に下ろす作業を始めることにした。とりあえず、あまり考えたくないことがあるときには、料理をするのが一番だ。集中できるし。

 母さんが亡くなってから、ほぼ僕しか立っていないキッチンに立つと、それだけで集中できる。


「ただいまー」


「あ、お帰りー」


「お、亜由美。またレベルが上がったのか」


「うんー」


「よーし、俺にもやらせろ」


「やだよー。絶対にすぐ死ぬんだからー!」


「そんなことねぇよ。ほら、貸せ」


 まずアジの体の逆から包丁で撫でる。これにより、アジの表面についている鱗を落とすことができるのだ。

 そして次に、アジの尾びれ近くにある、『ぜいご』という名の硬い皮を落とす。どうしてアジにだけこういう皮があるのだろうか、という質問に即答できる人はいるのだろうか。常に魚の帽子をかぶってるあの人とか。

 そして頭を落とし、内臓を処理し、水で洗う。当然ながら、手は魚臭い。だからといって、これだけのために使い捨てのゴム手袋を使うのも癪だ。


「よっ、と。んっ……難しいなこれ」


「ほらほら! HPちょー減ってるから!」


「待て待て、落ち着け、大丈夫だ大丈夫だ」


「大丈夫じゃないから言ってるの! うわー! 死んだー!」


「うん、難しいわ。亜由美、お前よくこんなゲームできるなぁ」


「だから言ったじゃんー! 一回死ぬと所持金半分になるのにー!」


「あー、そのシステムって今のゲームでもあるのかぁ」


「昔のゲームってどんなのだったの?」


「お前らは知らないだろうがな、その昔……『ふっかつのじゅもん』という悲しすぎるシステムがあってな……」


 アジの腹側から包丁を入れて、骨と身を離す。このとき、どこまで骨に身を残すことなく削ぎ取れるかが勝負だ。僅かにでも残すものかと、繊細に包丁を動かす。

 今日はフライだから、皮を剥がさなくてもいいのが楽だ。なめろうや刺身を作るときには、皮もちゃんと剥がさなければいけないから。もっとも、小骨はちゃんと骨抜きで取らなきゃいけないけど。

 背側からも包丁を入れて、骨に沿うように包丁を走らせたら、あとは真ん中の骨を外すだけだ。


「よーし、ちゃんと見ててよー!」


「おう。亜由美は上手なんだろうなぁ」


「ほら、こうやって避けて、敵の攻撃がー……ちょ、ちょ、違うしー!」


「……お前も下手じゃねーか」


「ぎゃー! また死んだー!」


「ぎゃははは! うっわぁ。カッコわりー!」


「うるさいー!」


 都合、五匹のアジを三枚におろす。

 僕的に合格点を与えられるのは、二匹といったところか。三匹はまだもう少し、骨から身が削れたと思う。それでも、失敗を取り戻せないのが魚の三枚おろしなのだ。

 最後に骨抜きで、アジの小骨をとって、と。


「おう、武人。今夜は何だ? お、アジフライか! よし、ビール用意しとかなきゃな!」


「……あれ?」


 集中していたせいで、全く気付かなかった。

 キッチンを覗き込んでいる、無精髭の男性。細面でやや吊り上がった目にアイロンパーマできっちり固めた髪型は、その仕事とは対極にあるヤのつく自由業の人に見えるかもしれない。

 僕の父である、千葉哲治がそこにいた。


「なんだ父さん、いたんだ」


「おい、父さん泣くぞ」


 やめてよ、いい大人なんだから。

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