第23話 真理菜さんへお化粧

 結局、亜由美は昼食を終えた後、そのままリビングでゲームを始めた。

 真里菜に対する興味を失ったのかそうでないのか分からないけれど、何故かその背中からは沈んだ雰囲気が漂っている。何にそれほど打ちひしがれることがあったのかは分からないけれど。

 ひとまず、僕と真里菜は食事を終えたので、部屋に戻ることにした。


「あ、ごめん。先に入ってて」


「あ、はい」


 真里菜に先に部屋に入らせて、僕はそのまま亜由美の部屋へ。

 毎週のように亜由美に行っているメイクを、真里菜にも施すつもりなのだ。亜由美に言うと、「化粧品減るじゃーん!」と言われそうなので黙って持ち出す。部屋に入る許可は得てるしね。

 もっとも、そんな化粧品を補充するのも僕の仕事なので、亜由美に文句を言う資格はないと思うけど。家計管理してるの僕だし。


「お待たせ」


「いえ、それほどは。先程は、美味しい昼食をご馳走様でした」


「ああ、あれくらいいいよ。材料はほとんど持ち込みだし」


「しかし、それでは私の面目が立ちません。いずれ、お礼をさせていただきたいと思います」


「あ、うん……」


 別にいいんだけど。せいぜい、うちの材料で使ったのって玉ねぎと調味料くらいだし。

 この謙虚さが、隣の席の江藤加奈子にも欲しいものである。僕、毎日お弁当奪われてるし。


「ところで……そちらは?」


「ああ、これね」


 そんな僕が手に持っているのは、コスメボックスである。

 いわゆる、化粧品を全て入れている箱のことだ。ついでに鏡も一緒についているので、自分でメイクをするときに、これ一つを出せば足りるという代物である。ちなみに、このコスメボックス自体は母が遺したもので、中に入っていた化粧品は処分して新しいものに買い替えた。

 男性にはあまり馴染みがないと思うけれど、化粧品の寿命は割と短いのだ。特にアイメイク用品だと、封を開けたら三ヶ月以内に使い切るか、残っている場合は処分するのが理想的とされている。

 とはいえ、コスメボックス自体には寿命がないので、きっちりそのあたりは使わせてもらっているのだ。


「化粧品だよ」


「化粧……!」


「真里菜さんは、一度もやったことない?」


「ええ……姉はよく、鏡の前で頰をぱたぱたとやっていますが、私はよく分かりませんので、やったことがありません」


「まぁ、折角だからやってみてもいいんじゃないかな」


「はい。では、よろしくお願いします」


 もしも気に入ってくれるようなら、お姉さんの化粧品を使わせてもらえばいいと思うし。

 僕も毎週亜由美にやってばかりだから、他の人のメイクをできるっていうのはちょっと楽しい。どんな風に仕上げようかな、とか少し考えてしまう。


「それじゃ、まず目を閉じてくれる?」


「あ、はい……」


 コスメボックスの中から、まず化粧水を取り出す。

 まずは顔全体を潤すことからだ。改めて見ても、美人だと思う。目を閉じていても美人というのは、余程だろう。

 どきどきと、僕の心臓が早鐘を打つのが分かる。

 なんだろう。目の前で目を閉じている真里菜という今の状況が、なんだか凄くいけないことをしているような気分にさせる。


「……ん、んっ。じゃあ、顔触るよ」


「はい」


 化粧水をコットンにつけて、真里菜の頰に伸ばすようにつける。そして、次に毛穴までしっかり入るように軽く頰を叩いた。

 うわ、すっごい柔らかい。何もしてないのにすべすべな気がする。

 化粧水をつける意味があるのだろうか、と思えるくらいに潤った肌だ。スキンケアとか特にしてないはずなのに。


「つ、次は、保湿用の、ジェルね」


「はい」


 保湿用のジェルを塗り、こちらも馴染むまで待つ。

 亜由美にしているのと全く同じようにしているはずなんだけど、違うのは僕の心境だけだ。

 目の前で、真里菜が僕に全てを委ねているというのが、高鳴る胸を抑えられない。

 うるさいまでに自分の中で響くこの胸の音が、真里菜にまで届いていないかと心配になるほどだ。


「え、ええと……次は、化粧下地っていうのを、塗るんだけど」


「はい」


「これをすると、化粧ののりが良くなるんだ。あとは日焼け止めね」


「日焼け止めはいつも使っています」


「あ、そうなんだ?」


「少しでも焼けると、道着に擦れて痛いので」


 ああ、なるほど。

 確かにそれはあるかもしれない。加えて柔道は室内競技だし、顔はほとんど日に焼けていない白い肌だ。


 次にコンシーラーを取り出して、まじまじと顔を見る。

 いわゆるシミ、くすみを取るためのアイテムであり、肌を隠すことができるものなのだが――。


「……」


「武人、どうしましたか?」


「……いや」


 白い肌には、くすみもシミもそばかすも何もない。全くどこも隠す必要がない。

 仕方なく、コンシーラーはボックスの中に戻した。意味がないことをしても仕方ないし。

 次にパウダーファンデーションを、化粧筆で顔に乗せてゆく。


 何故だろう。

 なんだか、僕、物凄く意味のないことをしている気がしてきた。


「ファンデーションをこうやって、全体につけるんだ。それから、ハイライトとシャドウ」


「光と影、ということですか?」


「うん。顔の高いところに光を、低いところに影を入れることで顔の彫りが深くなるんだ」


 目の下、鼻先、顎先にハイライトを乗せてゆく。

 代わりに、影をつけて彫りを深く見せるために、顎の両側と鼻のライン、さらにハイライトの下へと入れてゆく。

 最後にチークで頰を僅かに朱に染めて、全体の顔立ちは完成である。


 ここからはポイントメイクだ。

 目を閉じてもらったままで、まつ毛を持ち上げる。既に何もしていなくても長いまつ毛は、持ち上げるだけでその存在感を増した。

 アイライナーで目の上を黒く染めて、アイカラーはブラウン。これも亜由美にしていることと全く同じだ。まだ高校生だし、アイカラーが派手すぎるのは憚られる。

 次にマスカラでまつ毛を保持させ、既に長いけれど、より長く見せる。


「……」


「……」


 お互いに無言で、僕はメイクをし、真里菜は目を閉じたまま過ごす。

 亜由美と違って文句の一つも出ることなく、真里菜は正座したままだ。やはり柔道家だから、正座で苦しむということがないのだろうか。


 さて、最後にリップメイクである。

 リップクリーム、ルージュ、グロスと重ねて、より健康的な唇の色と光沢を作り出す。

 そこまで終えて、ようやく僕は口を開いた。


「……終わったよ」


「目を開けてもよろしいですか?」


「うん……鏡、見てくれる?」


「はい」


 一般的には。

 そう、あくまで一般的には、初めてのお化粧というのは感動するものだ。

 初めて鏡を見て、「これが、わたし……!」などと言うのも、お決まりのパターンである。僕もそうなると想定していた。


 だけれど。

 僕の胸にこみ上げてくるのは、敗北感だけだった。


 真里菜は鏡を見て、僅かに首を傾げ。

 僕の努力を、粉々にする一言を呟いたのだから。


「……あまり、変わったように思えませんが」


「……うん、そうだよね。分かってた」


 完全なる、僕の敗北である。

 メイクをしなくてもとんでもない美少女の真里菜が、化粧をしたところでその美しさが増える余地はどこにもないんだ――。

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