第38話 ストレンジDNA

 美術館とは元々静寂極まりない空間である。足音一つすらうんざりするほど鼓膜を揺らし、感嘆の声すら漏らすことを躊躇われる圧力がある。


 勿論それは時が動いていればの話である。


「ふむふむふむふむ」


「彩夢、あんたって妙に多彩だけど芸術もいける口?ちなみに私は絵が上手いこと以外はさっぱり分かんないわ」


 彩夢が顔を近づけていたのは抽象画と呼ばれるものであった。彩夢の脳みそのように不規則で雑然としているが不思議と規則性があるように思えた。心のどこかをつつくようなタッチだ。


「正直に言いましょう、さっぱりです!!!」


「彩夢、絵のすぐ傍で大きな声を出すな。唾が飛ぶぞ」


「あ、申し訳ありません」


 すごすごと彩夢が引き下がった後雅也は空中に頬杖をついた。


「それにしてもまあよくもまあこんな訳の分からない絵を描けるもんだよな。僕に絵の価値はさっぱり理解できないけどまともな神経していたらこんなの描けないんじゃないか」


 赤色と紫色をふんだんに使いまくっており、筆遣いは場所によっては犬がペタペタと歩いたようなそれであり、他の場所ではものさしを使ったような真っ直ぐな線が引かれている。習字の筆を乱雑に使ったような場所もあるしともすれば舌の先を使ったのではないかと言う点も大量にある。


 まあ一言で言えばさっぱり分からない作品なのだ。きっと現代アートとは大抵こんな感じなのであろう。


「私は逆にまともな神経を持っていないとこんなものは描くことが出来ないと思いますよ」


「え?何でそう思うのかしら?」


「芸術家とか漫画家とかって大成する人は変人奇人で普通の人の感覚とはかけ離れているとよく思われていますが私はそうは思えないんです。何故なら普通の感覚を踏み台にして奇天烈な感覚は作られると信じているからです。

 算数を知らない子供が因数分解を解けないように、100メートル10秒代の人が50メートル4秒で走れないように。それと同じだと思うんですよ」


 周りの美術品に気を付けながら舞踊を踊るように足を動かし講壇にでも上っているように演説を続ける彩夢を雅也はぼんやりと眺めた。


(変人は常識人の上に作られるってわけね………はぁ)


「鏡を見ろ」


「え?」


「そうね、マー君の言う通り彩夢は鏡を見た方が良いと思うわ」


「まさかお二人とも………私の天性の変人だと思ってるんですか!!??」


「うん」


「ええ」


 彩夢にとってあまりにも予想外なその返答に彩夢の舞踊は止まった。自らの意志に反したその停止に一瞬身体を倒してしまうが素早く一歩踏み込んで転倒を防ぐ。


「流石の私もすったまげましたよ……私をナチュラルボーン変人だと思われているだなんて……雅也さんこれまで私の生い立ちについては散々話したじゃないですか」


 顔をムッとさせて頬を膨らませる。小さな顔なのにすぐ隣にある彫像と同じくらいに顔を大きくさせてしまっている。


 まるで自分は環境によってこうなったのだと言わんばかりの膨らませっぷりである。


「聞いてきたからこそ確信してんだよ。変人一家じゃんか」


「完全にストレンジDNAが細胞に流れてるわよ」


「ストレンジDNAって何ですかそれ!?もうお二人には困ったものですね………まあ確かに家族そろって妙な感じはしますけど……と言うか家族でふと思ったんですけど未来さん」


「なに?」


 本当にふと思っただけだった。彩夢はほんの少しの不満と大きな好奇心を持ってそれを口にする。


「未来さんのご家族は一体どのような感じなんですか?」


「え?私の家族?そっか、そういや話したことなかったわね………ま、どうでもいいことじゃないの」


「そうだぞ彩夢」


 雅也はびっくりするくらいに真っ直ぐ彩夢の瞳を見つめていた。さながら全ての視線を一筋にまとめてしまったかのような一直線だ。


「そうですね……未来さんお気になさらないでください」


「ふふっ。さあ次の展示室に行きましょうか」


「はいっ!!これからがさらなるお楽しみですよ!!!」





 何かを張り飛ばすように大きく張った胸が彫像の台を押したことに誰も気づかないのであった。

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