第10話 楽しそうなので好き勝手に推理しましょう


 ドアノブに慎重に手を伸ばした後彩夢は何かに思い立ったように目を見開いた。そして勢いよくドアを引いてコロリとでんぐり返しをしながら屋上に侵入する。


「そこまでです!!!」


 背後で何処までも普通に入った雅也は冷たいのか温かいのかよく分からない視線を投げる。


「何やってんの彩夢」


「立てこもり犯がいる部屋に突入するスパイごっこです。実は前々からやってみたかったんですけど今こそ完璧なタイミングだとつい先ほど思い至り実行に移させていただきました」


「はぁ……あっそ」


 まあ彩夢は漫画に出てくることで実際にできそうなことは色々とやってきた女だ。やりたくなったのならやればいいと思っている雅也からすれば人の迷惑になっているわけでもないので好きにすればいいと思うしかない。

(こいつに性的魅力を感じるってわりとハードかもな)


 改めてそんなことを考えていると彩夢はテクテクと屋上にいた男性に近づいた。


「雅也さん見てください、この方ほんの一秒かそこら前に目の前で女性が落下したというのにポーチに目をやってますよ。何かを探ってるようです」


 彩夢の近くにはカッチリとスーツを着こなしたそれなりに若そうな男性がいた、恐らくだが20代後半から30代というところだろう。


 じっくりと男性の手を観察した後にポーチから手を引っこ抜いた。


「よっと、です。何か紙を持ってますね……遺書のようです」


「遺書?」


「はい。自筆ではなくワープロで書いたもののようですが……なになに『私は罪を犯しました、不倫してしまったのです。あの人に出会った瞬間それまで信じていなかった運命というものをハッキリと感じました。そしてその後会うたびに満たされることのなかった欲求が満たされていき、沼に嵌ってしまったのです。そのようなつもりはなかったとはいえ倉木課長たちとそのご家族の人生を大きく捻じ曲げてしまった罪を償うために私は命を捧げます』と書いてますね」


「はぁ?」


 一体どういう状況なんだよ。と言いたかったがキラキラと瞳を輝かせる彩夢を見た瞬間言葉が詰まってしまった。


「なるほど、もう何があったのかマルっと分かってしまいましたよ。一部の隙も見当たらない完璧な推理です」


(よく分からんけど分かったらしい)


 雅也の方にチラチラと視線を送ってくる。


「えっと。何をどう考えたのか、彩夢の推理ってやつを教えてくれないか?」


「勿論です。それではまず前提条件からこの謎の女性X転落事件の登場人物は転落した張本人Xさん、そしてここにいる男性Y、そして倉木部長にその奥様です。ですが一見四人にしか見えない登場人物、実はこれ三人なんですよ」


(まあそうだろうね)


「ずばりここにいる男性Yさんとこの遺書に書かれている倉木部長は同一人物なんですよ。そして恐らく事件のあらましはこうです。倉木部長とその奥さまはもうすっかり仲が冷え切っていた、そこで倉木部長は魔が差して若い女性に手を出してしまうんですよ。無論その女性とはXさんです。

 しかし浮気がバレそうになったのか、それともXさんが倉木部長に本気になってしまったのか、もしくは何か別な事情が出来たのかは想像するしかありませんが、いずれにせよ浮気関係を維持しておくのが困難になってしまったのです。そこで倉木部長はおぞましいことを考えてしまいました」


 妖しい笑みを浮かべた彩夢に一瞬雅也の視線は引っ張られるが何となく負けた気になってしまいそうだったので頬の内側を噛んで真顔を保つ。


「そう、それこそがXさん殺害計画。事故に見せかけて亡き者にせんと画策したのです。あちらをご覧ください」


 彩夢が指さしたところには本来あるはずだった安全策がポッキリと折られてしまっていた。勿論人間の力でそんなことは出来ないので何か道具を使ったのであろう、とんでもない力でグリャリとされていた。


「あそこの下は先ほど私達が彼女を発見したところですよ。多分上手いこと言いくるめられてあそこまでおびき出されそして後ろからドンっとされたのでしょう。そしてこの遺書を使って自分の妻までも陥れようとした。どうですか?」


「どうですかって言われても」


(どっから訂正すりゃいいか分かんないくらい勢い任せの推理だね)


「えっと。じゃあまず聞きたいんだけどその遺書には、倉木部長の奥さんと不倫したってあったんだろ。すっごい前提問題になるけどさ……Xさんも奥さんも女性だよね」


「レズビアンに見せかけようとしたんです!!!!!」


(そんな元気よく宣言するところじゃないよね)


「まあ僕もそう言うのを否定したりはしないけど普通レズですなんてことを偽造した遺書に書いたりしないと思うんだけど」


「いえいえ雅也さん、昨今のLGBTQ問題は数年前に比べて大きく前進しています。倉木部長がそのようなものを重んじる性格だったとすればそのような文面にしても全くおかしな話ではありません」


 雅也は「いや、おかしいだろ!!」とツッコみたかったが一先ず飲み込んだ。


「ああ、そうか。ならまあそれはそれでいいとして。いくら何でもぶっ壊れてる柵の前に誘導するって言うのは無理があると思うんだけど」


「それはあれですよ。今問題となってるパワハラってやつです。上の立場を利用すればおっぱい揉んでもお尻触っても流されますからね。悪しき風習です」


 彩夢は自分の胸をムニムニと触られたように触り、尻をペチンっと叩いた。何をやってんだと雅也は苦く笑う。


「それはセクハラだな。とまあいい、それも一旦置いておこう。この人が詐欺師も真っ青の口のうまさと権力を使ってこの場所から落下させたとしよう。でもそれはやっぱり可笑しいんだよ」


 プクっと彩夢が頬を膨らませた、一瞬可愛らしさのせいで量の頬を指で突きたい衝動に駆られたが一秒時間が経つとそんな衝動はすっかり沈黙してしまった。


「何が可笑しいんですかもう」


 雅也は男性の胸ポケットからのぞいていた名刺入れを取り出して彩夢に差し出す。


「この人の名前、倉木じゃなくって岡森だよ。ほら、経営戦略室、岡森柊斗って書いてあるだろ」


 ポカーンと大きく口を開け、その口の大きさに負けないほどに瞳を大きく見開いた。


「ええ?」


「実はさっきあの人を助け出したときポケットの中に入っていた社員証が目に入ったんだけど、そこには倉木友里恵って名前が見えたんだよね」


「え……うそ……それってまさか!!!」


 なんだか気分が乗ってしまったので雅也は愛らしく驚いている彩夢の頭を撫でた。


「そ、被害者Xさんこそ倉木課長ってわけ。女性の社会進出万々歳だね」


「つ……つまり」


 撫でられていた腕を取って両手でギュッと握りしめた。




「どういうことですかホームズさん!!!」

「いや、雅也でいいから」


(やっぱりこいつ、可愛いことは可愛いんだよなぁ)


 雅也は自分の中の何かが羽ほうきでくすぐられているような感覚がした。だが、残念なことにその羽ほうきは性欲をつかさどる部分にはかすりもしないのである。



(可愛いんだけどなぁ)




 心の中で大きな溜息を吐いた。 

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