「お父様」

 女が跪く。

「パニックが死にました」


「死んだか」

 玉座の上。静かな男。

「楽に死んだか」


「分かりません」

「そうだろうな」


 玉座の男がため息をつく。


「思ったよりも早いな」

「早いです」

 女は顔を上げない。

「兄が二人堕ちて、どんな気分だ」

 女は応えない。


「次はお前が行くか」

 男の声。女は静かに応じる。

「お望みとあらば」


「持ち場はどうだ」

「上々です」


「お前の型は存外弱いからな」

「弱いです」

「しかし頭は良いな」


 すると、男の周りを覆っていた黒い霧に、大きな目玉が浮かぶ。


「僕の方が頭がいいよ、お父様」

 男はしゃべらない。指輪が輝いている。


 ため息。深くて、大きな。

「行ってこい。コピーよ」

 その声を受けて、女が立ち上がる。


「それでは」

 女が去る。暗い影の中に、女の妖艶な背中が消えていく。


 視界が霞んでいく。じんわりと、ぼんやりと……。



「おい、物書きボーイ。起きろ」

 飯田さんの声がした。気づけば、日はすっかり落ちていて、空には星が浮かんでいた。

 草原。僕は寝ていた。休息をとっていたのだろう。他の多くの作家も僕同様寝転がっていて、それぞれ近くにいた作家に声をかけられて体を起こしていた。僕もゆっくりと起き上がる。いつの間に、寝ていたのだろう。


 飯田さんが告げる。

「行くぞ。休憩は終わりだ。『King Arthur』の人たちも一旦『ノラ』で預かることになった。基地を改造しないといけない。明日は忙しいぞ。でも今日は、一度ログアウトだ」


「は、はい……!」

 僕は立ち上がる。さっき見たのは、夢なのだろうか。



 ログアウトした。現実世界に戻る。

 VR装置から出ると母が唐突に「心配した」と駆け寄ってきた。部屋にいきなり入ってきたことを非難しようとしたが、しかし母の真剣な顔を見て文句を飲み込んだ。


「『カクヨム』に行ってたんでしょ? すごいことになってるみたいよ」


 母が掌を広げる。そこに映像が映し出された。情報が提示される。


〈先日、創作電脳空間『カクヨム』にて発生したサイバーテロについて続報です。『カクヨム』運営はクラッシュしたアカウントの復旧が不可能であると発表しました。『カクヨム』にアクセスしたまま帰ってくることができなくなった人間については各自治体が展開している『VR救急』にて脳機能の復旧、及び治療を行うことを推奨しており、復旧もしくは治療にかかった費用、破壊されたVR装置などの修理費は全て『カクヨム』運営が受け持つとの……〉


「クラッシュしたら戻れないんですって」

「うん」

「脳機能にも障害が出るって」

「うん」

 

 クラッシュしたら戻ってこれない。

 その表現は、的確だろうか。

『エディター騒動』で破壊されたアカウントが戻ってこれない。それは理解できた。だがその騒動より後に登録したアカウントに関しては、きちんと対策がとられていることが想定される。「カクヨム」運営も馬鹿ではないから……。


 いや、しかし。

『エディター騒動』は収束したわけではないし、今も続いているトラブルだとも言える。この騒動でクラッシュしたら、確かに駄目かもしれない……。


 でも。例え、駄目でも。


 僕はVR装置を見る。「ペン」「虫眼鏡」「ハサミ」。


 僕に「ペン」を預けてくれた人。


 あの人には、会わなければ。


「もう『カクヨム』には行かないで」

 母の切実な目だった。僕は思わず息を呑む。

「危険なところには行かないで」

 母としてはそう言わざるを得ない、のだろう。いや父でも同じことを言ったか。保護者として、子供が危険なところに行くのは反対するしかないんだろうな。


「分かったよ」

 ある種の諦観にも近い感情を抱いて僕は答えた。

 けれど僕は考えていた。


 ――明日は忙しいぞ。

 飯田さんの声だ。あそこには僕を必要とする人間がいる。僕はあそこで必要とされている。


 それに。


 あの人を、探さないといけない。


 僕に「ペン」を渡してくれた人。

 小説家の、加来詠人さん。



 翌日。

 母が外出している間にVR装置に入った。後でログを辿られても困るので、シークレットモードで。中学の頃の友達は、「シークレットモードはエロサイト見る時に使う」なんて言っていたけど、僕はこのモードでVR世界に飛び込むのは初めてだった。制約はほとんどないが、何となく感覚的に「幽霊みたいな」気分になるらしい。


「カクヨム」にアクセス。一瞬、光が僕を包む。


 次の瞬間、僕は「ノラ」の基地の前にいた。

 

「お、物書きくんじゃん」

 とことこ歩いてきたのは町娘姿のアカウント。笛吹ヒサコさんこと、ヒサ姉だ。

「すごいことになってますよ」

 ひょこっと僕の背後から姿を現したのは道裏星花さんだ。赤い髪がまぶしい。戦っていない時の彼女はこんな感じなんだ、と新鮮な気持ちになる。


 ヒサ姉がのんびりと告げる。

「みんなで『ノラ』の基地を改造しようって」


「改造」

 僕は基地を見上げた。


 な、何だこれ……。


「ノラ」の基地は近未来的だ。SFほど派手にメカメカしていないとはいえ、現実世界ではあり得そうな、ちょっとハイテクな印象の建物。


 そこに無理やり移植したような砦が聳えていた。いや、正確には「ノラ」の基地に砦が「刺さっていた」くらいの表現が正しい。


「え、これを設計したのって……」

「設計なんて誰もしてないんじゃない?」

 ヒサ姉が欠伸をした。

「みんな思うままに欲しいもの作ってるよ」

 そ、それはまずいんじゃなかろうか……。


「物書きくん」

 すずめさんがバイクに乗ってやってきた。ライダースーツ。相変わらずかっこいい。

「……あちゃー。これは派手にやってるね」

 すずめさんも「ノラ」の基地を見て僕と同じことを思ったようだ。


「加藤さーん! これ大丈夫なの?」

「ノラ」の基地、上部。

 砦の中腹にある窓から姿を見せているアカウントに、すずめさんが叫んだ。猫を抱いたゆったりした衣装の女性は、どうやら加藤さんのようだった。


「だって止めてもみんな聞かなくて……」


 戦う時はあんなに強いのに、それ以外の場面では意外と弱腰らしい。


「あーあ。物書きくん、忙しくなるかもね」

 呆れたように笑うすずめさん。僕はため息をつくと「ペン」を取り出した。



「ご苦労! 物書きボーイ!」

 飯田さんの元気な声。あんた何もしてないだろ。


 会議。以前よりも大きくなったテーブルの周りに作家たちが集まった。「ノラ」のメンバーだけじゃない。「King Arthur」の面々もいる……つまり、あれだ。甲冑やらローブやらがいる。


「さぁて。我々はついにアベンジャーズの秘密基地とホグワーツ魔法魔術学校が合体したような建物にいるわけだが……」

 言い得て妙だった。僕が一生懸命調整したとはいえ、本当にそんな感じ。


「ここで喜ばしいニュースだ!」

 飯田さんが右手を掲げる。すると掌に小さなウィンドウが立ち上がった。


「のえるさんから連絡があったぞ!」


 ウィンドウの中に浮かぶ、影。

 よく見るとそれは、大きなウサギの耳を生やしていて……? 


「のえるさん?」

 首を傾げる僕に、すずめさんがつぶやいた。

「『ノラ』ビッグスリーの一人だよ」


 すずめさん、加藤さんに並ぶ、ビッグスリーの一人。

 のえるさん。どんな人だろう……。


 そんな僕の疑問に答えるかのように、ウィンドウの中で、大きなウサ耳が、ぴょこんと揺れた。

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