立ち入り注意の乙女心
「乙女心は立ち入り注意……」
メロウ+さんがぶつぶつとつぶやく。
「禁、足」
左手の水晶玉が輝く。
「もしかして『梅宮様』の力かな」
ぽかんとした様子の栗栖さん。
「いきなり飛ばすんだね」
「『梅宮様』?」
僕が首を傾げると、赤坂さんがおそるおそる、といった感じで教えてくれる。
「メロウ+さんの作品『黎明と黄昏 engageⅠ』に出てくる高貴なお方です」
とても優しいお方……。と赤坂さんが切なさそうな声を上げる。
「優しいお方なら悪夢なんて……」
と、言いかけた僕に栗栖さんが近寄ってきて、ぼそっと耳打ちする。
「優しい人ほど残酷だよ」
一瞬、ぞっとする。
「それに、ね」
僕の耳元から顔を離した栗栖さんは、薄っすら笑みを浮かべている。
「『梅宮様』は、本当に何でもありだから」
と、栗栖さんの言葉を待たずに。
バリアの表面に変化があった。
一瞬で、畳張りに。
涼風が駆け抜ける。風鈴が鳴る。
かと思えば、突如として檜張りに。
うっすらと、土の匂い。
音が鳴っている。
きぃ、きぃ、きぃ。遠いどこかから? いや、すぐ近く?
……もしかして、誰かの足音か。
と、『カクヨム』フィールドの空に変化が。
無機質な白だった空が、突然明るくなる。
吹き抜ける風。舞い散る桜。春……?
蝉の声。鼓膜を、そして体を突き刺すような。夏だ。
池に落ちる紅葉。水が流れているのだろう。ゆっくりと揺蕩う。秋か。
と思えば雪。ぼたぼたと、椿のように落ちてくる……冬?
しかし突然空が暗くなる。夜だ。かと思えば茜色に。夕暮れ。
絶えず、音。切なくて雅な音。悲しげで張り詰めた音。あれは、もしかすると、琴の音か。
時間も季節も屋外か屋内かも、何もかも狂っているような世界の中に僕たちは置かれていた。このメロウ+って人、バリアの表面どころか『カクヨム』フィールドそのものを弄ってる……?
「ほどほどにしとけよ」
飯田さん。眼鏡型端末から映像を投射して、布団に頭を突っ込んでいるあの「山羊男」を観察している。
僕たちの周りで、飯田さんの見ているその「映像」だけが唯一、現実味を帯びていた。僕は怖くて、ひたすらその映像を見つめていた。
が、しかし。
視界の、ほんの片隅で。
夜だった。おそらく夜。
月の明かりがぼんやりとした明かりを畳の上に落としている。
僕はいつから畳の上に……ここは草原だったはずじゃ……。
きぃ、きぃ、きぃ。
誰かの足音。近寄ってくる。
障子、だった。月の明かりに透かされている。
そこに映る、ぼんやりとした人影。
髪が長い。おそらく、女性。夜風に煽られ毛先が泳いでいる。細い毛だ。影なのに毛先まで見える。
唐突に、耳をつんざくような悲鳴。女性の。
すすきがそよいだ、と思ったら次は、叢の真ん中に聳える岩が見えた。
蝉が鳴いている。強すぎる木漏れ日。何故だか僕は悲しくなった。あの岩の下に、大切な人が埋まっている気がして。
飯田さんの投影する映像の中の「山羊男」が。
呻き始めた。
気が付けば。
ぼとぼとと音がしそうな勢いで、バリアの表面にいた謎の四足獣たちが落下していく。花弁が落ちるように。死んだ蛾が落下するように。
よく見てみると、いつの間にかその四足獣たちは、そこかしこに穴が開いた骨と化していた。
飯田さんの映像の中から、激しくなった呻き声が聞こえてくる。
土くれ。バリアの表面が焦げ茶色に染まる。
あれは蟻か? 土の表面で黒い無数の点がぞわぞわと動いている。
「やめろ……やめろ……」
飯田さんの映像の中から声。低い唸り声だ。
歯ぎしり。弓を引き絞るような音。
「花の匂いは、懐かしく切ない」
メロウ+さんが囁く。
その囁き声が、囁き声のはずなのに、洞窟の中のように反響する。
彼女の左手の中の水晶玉がふわふわと回転する。
ふと視界を覆ったのは。
子供の手。握るとえくぼのできそうなほど小さい。
声がした。嗜めるような声。不安をかき立てる声。
「やめてくれぇ……やめてくれぇ……」
飯田さんの映像の中の声が切実になる。
「効いてるぞ」飯田さんの声。心なしか彼の声も、無機質に聞こえる。
「続けろ」
ぼとり。胸にとても軽い何かが落ちた感覚があった。
心臓の音。血の流れる音。
呼吸を忘れる。時間が止まった。
胸元。
目線を下ろす。
血のように真っ赤な、一輪の薔薇の頭が……。
男性の悲鳴。
飯田さんの映像の中から聞こえていた。
途端に、城を覆っていった球体が、ボロボロと崩れる。
「ふぅ」メロウ+さんが満足げにため息をついた。「開いたよ」
開、城。楽しそうに彼女がつぶやく。
「物書きボーイ。ワープだ」飯田さんが事も無げにつぶやく。
「……やり過ぎだ。物書きボーイも真っ青な顔してるぞ」
「あら、それはごめんネ」てへ、という感じでメロウ+さん。「謝、罪」
「今の何ですか!」
自分で自分の声がおかしいことには気づいていた。妙に張っているし震えている。だが、訊かずにはいられなかった。
「まぁ、ある意味、精神操作?」
眠そうな目でじとっとこちらを見つめてくるメロウ+さん。
「外界を弄ってるんだけど、厳密には外界と内界の境目を曖昧にしてね……」
幻、惑。
ニコッと笑うメロウ+さん。かわいいようで……怖い。
「さ、ワープワープ」すずめさん。何でこの人も平気な顔をしていられるのだろう。
「私の能力の詳細は、秘密」メロウ+さんが、うふふ、と微笑む。「内、緒」
僕は何とかこれだけ口にする。
「わ、和風テイストなんですね……!」
円を、書く。
「ペン」を持つ手が、震えていた。
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