中央大図書館~白の館

 中央大図書館。

 幾重もの分厚い扉で閉ざされたその空間は、その名の示す通り、僕にとって予想を遥かに超える場所だった。


 堆く積み上げられた書物。

 まるで森の木々のようにそびえる本棚たち。

 そこには、既に色褪せ、背表紙にその過ぎた年月を映すものもあるが、その一冊一冊全てが、ここにあるべくして揃えられている。

 誰かが何時かそれを目的に持ち出すだろう一冊。

 今やもう誰にも読まれることがないかもしれない一冊。

 そこは、そんな書物達の寝所だった。


 かつて見たことがないほどの蔵書に貴重な書物の数々。

 僕は自分がそこまでそんな物が好きだという自覚はなかったが、その光景に、本の手触りに、一枚一枚の皮の風合いに、そしてそこに書かれた文字に一瞬で夢中になった。

 キースには何となく申し訳ない気がするのだけど、遥か上空からこの街を見た時よりも、初めてこの街に入った時よりも、魔術式の仕組みを知ったその時よりも、心が躍っていた。

 僕が知らない世界は、まだまだこんなにもたくさんあるのだ。


 でも今は、そこに感動している場合じゃない。


 案内された執務室は、小さな個室。

 光源が分からないが、形様々、色とりどりのランプで照らされた空間だった。

 継ぎ目のない一枚の木の板で作られたであろう大きな机に、不釣り合いなほどの小さな椅子。

 新しい羊皮紙と、何の魔物の羽根で出来ているのだろうか分からないペンと、青味を帯びたインクが満たされた瓶。

 インクは、少し焼けた炭の臭いがした。


 僕が使うには何となく躊躇われる程に素晴らしい造りをした机に向かい、椅子へ座る。

 落ち着かない腰具合に、ここへ着て初めて、僕は、僕自身が未だに少し興奮気味だと言う事に気付いた。

 僕にとって、このゼノス・アルン独立自治区に来てから起こった全ては、何もかもが初めての経験に違いなかったから。

 そしてそんな僕に与えられた初めての調査依頼。


 あぁ、そうか。

 僕は図書館の在り様に感動しただけじゃない。

 自分しか気付いていない「真実」を早くキースに伝えたいんだ。

 あのスライムについて、僕がこれから書く調査書を、早くキースに見せたいのだ。

 いつの間にか僕は、それを仕上げることに、それこそ我を忘れてしまっていたのだ。




「やぁ、戻って来たね、私の可愛い弟子!」


 大図書館を出ると、中央通路は闇の中に静まり返り、刻限は既に真夜中を周っていた。

 羊皮紙の束を抱えたまま、どこへ行こうか途方に暮れていたその時、キースは突然に現れたのだ。


「はい、今終わりました。これが調査書です。」


 僕はその束を差し出す。

 キースは器用にそれを丸めると、小脇に抱え込んだ。

 この手の羊皮紙や巻物を扱うのは、彼にとって日常、造作もないことなのだろう。


「宜しい。詳しい報告は、僕の部屋で聴くとしようか。」


 そして僕について来いと言うように、一歩先を歩き出す。


「実際、どうだった?」

「楽しかったです。」


 僕は真っ先に浮かんだ言葉を口にした。

 口にしてから、慌ててキースが聴きたかったであろう答えを考える。


「そうかそうか。楽しかったなら何よりだよ。」


 キースはそんな僕を知ってか知らずか、白い大きな外套を揺らしながら笑っていた。

 中央通路のその北通路。

 その造形と細工は一層に重厚さを増し、あまつさえ空間に威圧されるような、そんな空気が漂い始めていた。


「ルク、僕に掴まって。しっかりね。」


 突然振り向いたキースがそう言うと、あの白い外套で僕を包んだ。

 言われるがままに僕はキースにしがみつく。

 薄々感じてはいたことだが、その衣の下はしっかりと革鎧に包まれ、その一部には薄い鎖帷子をあつらえているようだった。

 細身ながらも、鍛えていなければ作ることが出来ない芯のある身体。

 賢者が万能型と言うのは、どうやら本当のようだった。


 実際、魔力の流れは感じたものの、何がどうなったかさっぱり分からないまま、いつの間にか僕たちは夜空が見える中庭へ出ていた。


「大丈夫?魔力酔いはないね?」

「魔力酔い、ですか?」

「その様子だと大丈夫みたいだね。いやね、ちょっと歩くのが面倒になった訳じゃない。時間が少し惜しくなっただけさ。」


 周囲を見渡せば、確かに、僕が今日目にした光景、そのどれとも合致しない景色がそこに広がっていた。


「ここは、壁の向こう側なんですか?」


 今日覚えたばかりの壁の外の世界。その一つなのかもしれない。

 僕はキースに聴く。


「一応ね。中央が西、賢者領って言うか、僕の私有地。まぁ、滅多に帰ってこないんだけども。」


 僕は慌ててキースにしがみついていたその腕を離す。


「ふふ。優秀な庭師と執事がいるからね。全てを安心して任せてある。私が戻って来なくとも全く問題はないのさ。」


 大賢者キースは、白い衣を大袈裟になびかせると再び歩き出した。

 美しく整えられたその中庭には、あの、天鵞絨の布を思わせる滑らかな白い花びらを携えた花が咲き乱れている。

 そしてその向こうに、これもまた、僕が今まで見たことがないような、大きな白い建物、その入り口が僕らを待ち構えていた。


 近づくとその入り口の両開きの扉は、ゆっくりと開き、僕らを招き入れる。


「はい、ただいま。」


 白い扉が重々しく開くと、中は、吹き抜けの荘厳な玄関。その両側には大きな弧を描き上へ伸びる階段。

 床は白と黒の斑模様の石が、厳かな艶をちらつかせていた。


 キースは何もない空間に声を掛ける。

 僕は慌ててその目線の先を追うが、何かを見つけることは出来なかった。


「とりあえずは僕の部屋へ。」


 キースが僕の肩を抱いて、一歩前へ出ようとしたその時だった。


「待ちなさい。この常識無し。」


 今日一日、僕は一体何回知らない人に背後を取られたのだろうか。

 僕は僕なりに『勇者』になるべく中央を目指してきた訳で、その、これまで簡単に後ろを取られるようなことは余りなかった。

 キースについては、もう絶望的な実力差を感じるから諦めが付くけれど、この中央の人達と言うのは、誰を捕まえてもあからさまに僕との経験が違うのではなかろうかと思ってしまう。

 流石にげんなりした僕が居た。


 僕とキースの間には、一本のレイピアがあった。

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