第五章 苦艱潸然

5-1 リッキは林檎を貰いにいく

 皇都ロアヴィクラートの第一、第二、第三円区にそれぞれある聖堂の鐘楼が、朝の礼拝時間を告げる鐘を鳴らすと、北方からの旅を終えて羽を休めていた渡り鳥たちが一斉に空へ舞い上がった。鳥たちは都市中央にある、真珠のような光沢を持つ巨岩の頭を目指す。巨岩が朝の緩やかな陽差しを反射して虹色に輝き、市街も同じように様々な色に染まっていく。染織職人や皮革職人の工房や、葡萄酒工房や肉屋など、排水や匂いを理由にして市街の外側に配置された建物の連なる通りを、三つの異なる種族が並んで歩いていた。


「林檎をいっぱい、食っべましょう♪」


 歌いながら手足を大きく振る獣人の子供リッキは上機嫌。耳はピンと立ち、小さい手足に合わせておっきな尻尾がフリフリ揺れる。小麦粉が入っていた山羊皮の袋に穴を空けて縫い合わせただけの襤褸なので、しっぼが揺れれば小さなお尻は丸出しになってしまう。

 元気いっぱいの獣人とは対照的に、ドワーフのフランギースは背を曲げ顔を伏せる。フランギースは生まれつきの鋭い眼光の下にある口を手で覆い、狐耳に向けて小声を放つ。


「のう、リッキちゃん、お歌はやめんか?」


「どうして? お歌を歌うと楽しいよ。この前は一人ぼっちだったからリッキはしょんぼりしていたけど、今は三人もいるから、リッキはとっても幸せなの。ねー」


 リッキが笑顔を向けると、手を繋いだアイリも「ねー」と笑顔を返す。亜人種が迫害されるロアヴィエ皇国において、獣人、ドワーフ、人族という組み合わせは珍しい。亜人種を奴隷として使役するのではなく、親しげに話しながら歩くアイリが最も珍奇な存在である。やや癖のある金髪を広めのおでこの上で揺らしながら、アイリは大きな目をじとっと細める。


「フランギースさん、なんでそんなに挙動不審なのよ。やましいことがないなら堂々としなさいよ」


「お、おう。いや、今をときめく銃士隊の副隊長様とご一緒するなんて、そりゃ、もう、緊張して、手足が同時に出ちまうわい」


 まさか、目的地の銃士隊十二番隊舎につい先日、盗みに入って捕まっていたから近寄りたくないなどとは言えない。リッキが、林檎の実が欲しいと言い出したことが発端だ。所属する隊が違うとはいえアイリが頼めば林檎くらい貰えるだろうと、十二番隊舎を訪ねることになった。林檎の実る時期ではないが、赤い植物は血の代わりになると信じられているから、魔銃使いの能力によって育てられている。

 下流市民が多い第三円区でも、貧民街に住むような亜人は嫌がらせを受けることがあるため、フランギースはサルーサに依頼されて、リッキの付き添いをしている。貧しく弱い者は、己よりも貧しく弱い者に対して、時として暴力的になる。


「ワシはここで待っておるから。ほら、ここからなら隊舎が見える。ワシは昨晩の酒がまだ胃に残っておって、林檎の匂いは厳しくてのう」


 苦し紛れの言い訳であったが、酔うほどに濃い酒を呑まないアイリとリッキには通じた。この時代の人々は水分補給のために子供でも麦酒ビール葡萄酒ワインを水で薄めて飲むが、酒を買う金のないリッキは川の水を飲む。工業汚水を垂れ流しにした川の水を口にしても体調を崩さないのは、彼女が獣人らしく体力旺盛だからだ。リッキと親しいエルフのサルーサなどは、健康を損ない、なかなか病から快復しない。見た目は人間でも中身にドワーフの頑丈な胃袋を持つフランギースは二人を見送り、リッキが林檎をもいでくるまで囲壁の門が確認できる位置で待機することになる。


(今日は風が強いのお。林檎みたいなまん丸の雲が、魚みたいに細くなるとみた)


 雲が流れて北にそびえる花弁の陰に隠れ、しばらくの時が経ち雲が巨岩の陰から現れるのを、フランギースはぼうっと眺めながら時を過ごす。岩の背後を通過する前後で雲の形がどのように変わるか予想するのは、ロアヴィエの住人なら誰もが知る遊びだ。


「髭のおじちゃーん!」


 弾むような声がしたので視線を下ろせば、リッキが持ちあげた服の裾に林檎をたっぷり乗せて、門から出てきたところだ。丁度そのとき、十字路の死角から現れた三人組がフランギースの前を横切る。大きなリボンが着いた白いドレスの少女と、黒い服に白いエプロンを掛けた侍女が二人。


(んん? あやつ、エルフなのに綺麗なドレスを着ておるのう。上流階級の子供? 人間をお供にするなら貴族かのう。この国で亜人の貴族なんておるのか? なんとも珍妙な組み合わせ。人のことは言えんがのう、くくくっ)


 フランギースは声を殺して笑ったつもりだが、聞こえてしまったのか、小柄な方の侍女が視線を向けてきた。


「おっと、失敬」


 調子良く笑みを浮かべながらフランギースが頭を下げると、侍女は一顧しただけで興味をなくしたように視線を外した。可愛らしい顔立ちなのに、眉間に不機嫌そうな皺が寄っていた。

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