第二百二十三話「楽園の真実」
ウサニー大佐ちゃんはほとんど反射的に駆けた。
目の前には眠る異形の怪物、そしてそれを渾身の一撃で葬り去ろうとするベアリオン。
ベアリオンが怪物を“晴香”と呼んだその瞬間、彼女はいまから何が起ころうとしているのかを理解できた。
「お待ちください、べアリオン様!!」
隕石のような拳が、ウサニー大佐ちゃんの眼前数センチでぴたりと止まる。
拳から放たれた風が髪とウサミミをはためかせた。
気の弱い怪人ならば、その拳圧だけで卒倒していたことだろう。
さすがのウサニー大佐ちゃんとて顔が引きつるほどであった。
「ひぃっ……!」
「おいなにしてんだあウサニー。んなとこいたら危ねえだろうがあ」
「おっ、おそれながら申し上げます! 我らの任務は“
危害、などというものではない。
さきほどのベアリオンの拳は明らかに殺意を帯びていた。
ウサニーにはベアリオンの真意がわからない。
敵地に乗り込むという危険を冒してまで、愛する者を救いにきたのではなかったのか。
「だからこうして“救って”やるんだろうがよお」
ベアリオンは言った、救うと。
この期に及んでその意味を理解できないウサニー大佐ちゃんではない。
つまりベアリオンは最初から、“晴香”をその手にかけるつもりだったのだ。
だがいまのベアリオンは、感情豊かないつもの“オジキ”とは違う。
まるで自分自身の心を、その鋭い牙で嚙み殺しているかのようだ。
ベアリオンのこんな顔は、ウサニー大佐ちゃん自身いままで一度も見たことがない。
「僭越ですが、ベアリオン様自身がそれを望んではおられないように見受けられます。ここはひとまず救出したのち……」
言葉を遮るように、ベアリオンは巨体をかがめてウサニー大佐ちゃんと視線を合わせた。
熊のような顔がすぐ目の前に迫り、ウサニー大佐ちゃんは思わず身構える。
「……ッ!?」
そんなウサニー大佐ちゃんに、ベアリオンは語りかけた。
「ウサニー。人間は、怖いかあ」
ちらりと周囲に目をやると、ベアリオンの気にあてられて失神した職員たちがそこかしこに転がっている。
意図のわからない質問であったが、ウサニー大佐ちゃんは答えた。
「いえ、脆弱なる人間風情など我が身の脅威たりえません」
「……そうかあ。オレサマはなあ、怖いぜえ」
よもや百獣の王、ベアリオンの口からそのような言葉が漏れるとは。
耳を疑うウサニー大佐ちゃんをよそに、ベアリオンは続ける。
「人間ってのはなあ、自分や家族のためならなんだってできるんだぜえ。けどよお。それは自分や家族
「申し訳ございません。私にはベアリオン様の仰っている言葉の意味がわかりかねます」
ベアリオンはウサニー大佐ちゃんの頭を一度ぽんと優しくたたくと、その手で今度は目の前に横たわる恐竜の鼻頭をなでた。
「ウサニー。こいつは、“晴香”はなあ。
「トカゲ……ですか……?」
そう教えられたところで、簡単に信じられるはずがない。
どう見てもこれは二十メートル近い体躯を誇る恐竜だ。
なにがどうなったらトカゲがティラノサウルスになるのか。
「お言葉ですがベアリオン様。ありえません。サイズが違いすぎます」
「ありえねえこともやる、やっちまう、それが人間の“怖さ”ってやつだあ」
恐竜をなでるベアリオンの手が、震えながら拳を握る。
「こうなっちまったらもう“
………………。
…………。
……。
いっぽうそのころ、上階の一室。
椅子に縛りつけられた研究員らしき男は、うなだれたまま呟いた。
「信じてくれ……最初は本当に、怪人たちの楽園を作ろうとしていたんだ……」
彼の周囲には同じように縛られた研究員たちが転がっている。
だがその誰も彼もが白目を剥きながらビクンビクンと痙攣していた。
それは林太郎から“尋問”を任された黛桐華によるものであった。
「怪人細胞の研究をしていることは薄々わかってはいましたが、まさかこれほどとは」
桐華は心底つまらなさそうにそう言うと、縛られている研究員にスタンガンを押し当てる。
「ご立派なことです。その結果が、怪人細胞を利用した人体実験。
「待ってくれ、これはあくまでも怪人細胞から人類を救うための研究で……」
「救う?
スタンガンが容赦なくバチバチと青い火花を散らす。
狭い部屋に研究員の絶叫が響いた。
「ぎいいいいい!! はあ、はあ……は、話せばわかる……我々はあくまでも医療目的で……」
「おや、さきほど仰っていたことと違いますね。怪人の楽園を作ることが目的だったのでは?」
またスタンガンがいなないた。
これはもう尋問というより拷問だ。
だが研究員がどれほど懇願しようと桐華は手を抜くつもりなど一切なかった。
桐華にとっては、林太郎から託された任務以上に優先すべきことなどない。
「おおかた欲に目が
「だからなんだっていうんだ!!」
これまで一方的に責めを受けていた研究員が、椅子から転がり落ちんばかりに体を揺らし髪を振り乱す。
「ど、どこの国だってやってることなんだ! 怪人細胞はまだまだ未開拓の分野、いわば現代の金鉱だ。日本だけおくれを取るわけにはいかないんだよ! もごぉ!?」
開き直って喚き立てる研究員の口に、硬くて黒いスタンガンが突っ込まれた。
こんなところで電流を流されようものならば命にかかわると、研究員の男は目に涙を溜めて哀願する。
「や、
「あなたがたが
「……
「じゃあ仕方ないですね」
バチバチバチバチバチバチ!!!!!
脳髄を焼き切るような衝撃が、研究員の口の中で炸裂した。
彼は他の研究員たちと同じく白目を剥いて失禁すると、そのままぐったりと動かなくなった。
「さて、これをセンパイにどう説明しましょうか」
桐華が手にしている、怪人細胞の研究に関する極秘資料。
研究員たちを
そこにはかつて研究開発室で育てられていた少女、黛桐華の名も載っていた。
だがそんなことは彼女にとっては百も承知だ。
むしろ重要なのはそこに刻まれたもうひとり。
いや、ふたりの名であった。
“鮫島朝霞”
“鮫島冴夜”
桐華は資料をくるくる丸めると、上着の内ポケットにしまい込んだ。
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