第二百八話「忠ならんと欲すれば」

 アークドミニオン地下秘密基地の医務室は、多くのザコ戦闘員たちでごった返していた。


 毎度のことながら今回も多くの負傷者を出したが、地下道から回収された彼らのほとんどは軽傷である。

 しかしさすがにあのビクトレンジャーとやりあった後では、全員が無事というわけにもいかない。



「うぅ……俺は、もうだめだオラウィ……」

「総長! しっかりしてくださいウィ総長!」

「っしぁぬっんるるっさォンォウ!!」



 最初に圧し潰されたバンチョルフは、しぼんだ風船のようにぺらぺらになっていた。

 他のザコ戦闘員たちが口に空気入れのホースをくわえさせ、キコキコとポンプを上下させるたびにちょっとずつ原型を取り戻しているところである。


 状況のシリアスさに比べると、ずいぶんと間の抜けた光景であった。



「しっかりしろ! 傷は浅いぞ!」



 医務室の長である湊は、空気が抜けていく箇所を見つけては次々と包帯を巻く作業に追われていた。

 けして自転車のパンクを直しているわけではない。



「ミナト先生、痛い……痛いウィ……」

「どうした! まだどこか痛むのか!?」

「お尻が痛いオラウィ……。優しく激しく繊細かつ大胆になでまわして欲しいオラウィ……!」

「よぉしわかった! 低周波用意!」



 湊が取り出したのは“危険”と大きく描かれた電気治療器であった。

 人間用ではなく、怪人用に調整された特別仕様だ。


 死にそうな顔でうわごとを繰り返していたバンチョルフの顔が、急に生気を取り戻し青ざめる。



「ミナト先生ちょっと待ってオラウィ」

「いま楽にしてやるからな」

「あー、なんか急に痛みが引いてきたオラウィー!」

「痛みが引いたときが一番危ないんだぞ。よしセット完了だ」



 たとえ患者本人が大丈夫だと主張しようとも、湊にはアークドミニオンで唯一の医者だという自負がある。

 怪我を負った者を放っておくことなどできはしない。


 湊が機器のダイヤルを回すと、尻に貼りつけられた電極から凄まじい衝撃がバンチョルフの臀部を駆け巡った。



「ギャオおおおん!!!!! はああああああああん!!!!!」



 けして湊本人に害意や、その他の意図があるわけではない。

 しかしなぜかバンチョルフは、恍惚の表情を浮かべたまま獣のような叫び声をあげていた。


 他のザコ戦闘員たちもさすがに息を呑んだが、次の瞬間には我先にと湊に群がる。



「湊先生、俺にも! 俺にもお願いしますウィ!」

「俺は全身コースで、できれば脇を重点的にお願いしますウィ!」

「んぉッてぃらるるっさンヌぉうン!!」



 まるでカンダタに群がる亡者の群れである。

 だがそんな明らかに我欲に満ちたザコ戦闘員たちの尻をめがけて、青白い電流を帯びたムチが振り下ろされた。



「電撃ビリビリムチ!」

「「「アッギャーーーッ!!!」」

「ええい貴様らミナト衛生兵長の邪魔をするな! 散れ! く散れ!」



 バンチョルフも含め幸いにも軽傷だったザコ戦闘員たちは、ひとり残らずウサニー大佐ちゃんに追い散らされた。



「ミナト衛生兵長。仕事熱心なのは結構だが、あまり連中を甘やかさないでくれ。優しくすればすぐにつけあがる」

「ああ、うん……。だからといって怪我人にムチは……」

「あいつらにはいい薬だ」



 ウサニー大佐ちゃんはしゅるしゅるとムチを収納すると、医務室にみっつ並んだベッドに目をやった。


 そのうちのふたつにはサメっちをそそのかした張本人たち、ニャンゾとネガドッグが横たわっている。



「ああう……許してニャン……もう腹筋はこりごりニャン……」

「お腹が痛いワン……筋肉がとれちゃうワン……」



 ヒーロー本部に捕らえられていた彼らを救い出したのは百獣軍団の別動隊、他ならぬベアリオン将軍本人であった。


 とはいえ彼らの負傷はヒーローたちによってもたらされたものではない。

 事の顛末を知り烈火のごとく憤ったベアリオン将軍によって、腹筋十万回の刑に処された結果である。



「ミナト衛生兵長、此度はうちのバカどもが迷惑をかけた」

「いやそう言われても、私はなにも……」

「無論、デスグリーン少佐やサメっち二等兵にも詫びは入れさせてもらうつもりだ」

「ああそれなら……」



 湊はみっつあるベッドの一番端に目をやる。

 そこには大きなきりたんぽ・・・・・のようなものが転がっていた。



「ミナト衛生兵長、これは……?」



 ウサニー大佐ちゃんが指先でつつくと、大きなきりたんぽはうねうねと動いて呻き声をあげた。



「ッスぅぅぅぅぅん……」

「ひょっとしてサメっち二等兵か?」

「うん。帰ってきてからずっとこの調子なんだ」



 きりたんぽの正体はシーツにくるまったサメっちであった。

 言われてみれば端っこから頭の先が出ている。



「おいサメっち二等兵……どうした。貴官らしくないぞ」

「うぅーん……サメっち失敗したッスぅ……役立たずのサメっちはハモンッスぅ……」



 どうやら今回の失態がよほどこたえているらしい。

 ニャンゾたちにてられたとはいえ、独断専行に加えて最終的にはアニキの手を煩わせたことに違いはない。


 いままで大きな失敗を演じてこなかったサメっちだからこそ、今回の一件は心にくるものがあったのだろう。



「あれ以来、林太郎とも顔を合わせてなくて……」

「……サメっちもう、アニキに合わせる顔がないッスぅ……」



 ウサニー大佐ちゃんは腕を組み黙ってしばらく考え込むと、「ふむ」とひとこと漏らした。



「ミナト衛生兵長。悪いが席を外してもらえるだろうか」

「あ、うん……わかった」


 湊が医務室から出ていくのを見届けると、ウサニー大佐ちゃんは静かにベッドに腰掛けた。

 そして手袋をはずすと、シーツからはみ出した亜麻色の髪にそっと手を添える。



「サメっち二等兵。今回の責は我々百獣軍団にある。貴官が気に病む必要はない」

「……ッスぅ……?」

「挽回できない失敗などありはしない。デスグリーン少佐とてそれが理解できない男ではないだろう」

「……アニキは汚いサメっちのこと好きくないッスぅ……」



 ウサニー大佐ちゃんは一瞬、意味がわからずキョトンとする。

 しかしすぐに言葉がなにを示しているのかを理解した。


 サメっちが凹んでいる理由は失敗そのものよりもむしろ、そこに至るまでの動機にあったのだと。



「サメっちはいい女だから嫉妬しないッスぅ……」



 そう自負していたサメっちにとって、自分の心をコントロールできていない現実が。

 そしてなにより、アニキにそれを知られてしまったことで『幻滅されたのではないか?』という不安が少女の心にずっしりとのしかかっているのだ。


 ウサニー大佐ちゃんはしばし目をつぶると、大きく息を吐きだした。



「いいではないか。欲すれば」

「……?」

「独占欲が悪、身を引くことが善ならば。悪の道に走ればいいではないか。私たちは怪人だ。悪い女でなにが悪い」

「…………!」



 ウサニー大佐ちゃんの言葉に、シーツにくるまっていたサメっちがもぞもぞと顔を出す。



「ほんとに? サメっち悪い女でもいいッスか?」

「そうだ、愛されようなどと思うな。誰よりも愛する・・・自分勝手で悪い女になれサメっち二等兵。デスグリーン少佐がこの程度の嫉妬も呑み込めぬほどに狭量ならば、この私が捻り潰してやる」

「そ、それはダメッス!!」



 サメっちの頭にふたたび手を乗せると、ウサニー大佐ちゃんはフッと笑ってみせた。

 彼女につられて、サメっちの顔にも笑顔が戻る。



「サメっち悪い女になるッス!」

「その意気だ。今回の件は私も一緒に謝りに行ってやる。立てるか?」

「もう大丈夫ッス!」

「ふっ、いい面構えになったな」



 剣持湊の友人として、敵に塩を送ってしまったかもしれない。

 そう思いながらも、ウサニー大佐ちゃんはサメっちの小さな背中を押さずにはいられなかった。




 ………………。



 …………。



 ……。




 アークドミニオン地下秘密基地居住区画は、しんと静まり返っていた。



 林太郎、極悪怪人デスグリーンの私室を前に、緊張した面持ちで立つサメっち。

 そして彼女の小さな手を握って立つのは、ウサニー大佐ちゃんである。


 多くのザコ戦闘員や怪人たちが、彼女たちの様子を遠巻きに見守っていた。



「いいかサメっち二等兵。失態をくつがえすには、自分にできる最大限のちゅうをもって返す他ない。それを忘れるな」

「ウサニー大佐ちゃん、サイダイゲンってなんッスか?」

「一番すごいやつという意味だ」

「わかったッス!」



 三度のノックのあと、扉が開かれる。



「ああ、おかえりサメっち。……それと、ウサニー大佐ちゃん?」



 顔を出したのは、相も変わらず沼のように澱んだ目をした林太郎本人であった。



「此度の一件、ベアリオン将軍に代わり詫びと礼を述べにきた。少し時間はあるか」

「そういうことね。立ち話もなんだ、中で話そう」



 サメっちとウサニー大佐ちゃんは、林太郎に促され部屋に通される。


 都合のいいことに、いまは林太郎ひとりらしい。

 実のところ、ウサニー大佐ちゃんがそう根回しをしておいたのだが。



 二人掛けのソファに並んで座るまで、サメっちは一言も喋ることなくウサニー大佐ちゃんの手をひしっと握りしめていた。


 出された紅茶を一口飲むなり、まず口を開いたのはウサニー大佐ちゃんであった。



「デスグリーン少佐、貴官にはまずこれを受け取ってほしい」

「なにこれ、お金? ずいぶん入ってるな」

「サメっち二等兵が稼いだものだ。ニャンゾたちがピンハネしていたぶんも含まれているが、百獣軍団からの詫びと受け取っていただきたい」



 それはサメっちがニャンゾたちと荒稼ぎした“あがり”であった。

 骨を折った割の収穫としては微々たるものだが、まごうことなき成果である。


 ウサニー大佐ちゃんとて組織のナンバー2だ。

 この手の政治は十分に心得ていた。



「バカふたりについては百獣軍団でケジメをつけさせてもらった。足りぬというのであれば改めて用意しよう。ついてはサメっち二等兵とザコ戦闘員たちの処遇についてだが」

「事情はわかってる。そっちで上手くまとめてくれたなら、俺から言うことはないよ」

「……恩に着る」



 ウサニー大佐ちゃんが膝に手を添えて頭を下げると、大きな耳も一緒にぺこりと垂れ下がった。



「これからも良好な関係を。ベアリオン将軍にはそう伝えてくれ」



 林太郎はそう言うと、机の上に小さな箱を置いた。

 それはサメっちが百獣軍団の金庫から回収した小箱であった。


 もちろん、この箱の回収もウサニー大佐ちゃんの目的のひとつである。

 サメっちと連れ立って林太郎のもとを訪れたのは、箱の回収をスムーズに行うためという意図もあってのことだ。


 ベアリオン自身ではなく、ウサニー大佐ちゃんが出張ってきたのはこうした理由からであった。



「さて……」



 極悪軍団と百獣軍団、組織としての話がまとまったところで林太郎はかしこまった姿勢を崩した。

 そして彼自身にできうる限りの“柔和な笑み”を浮かべる。



「俺はそちらのお嬢さんからも話が聞きたいね」



 顔をこわばらせてうつむいていたサメっちは、林太郎の声にぴくりと身体を震わせる。

 そんなサメっちの背中に、ウサニー大佐ちゃんはそっと手を添えた。



「あ、あの、アニキ……」



 サメっちは背を押されて立ち上がると、テーブルを回り込んで林太郎の隣に立つ。



「なんだいサメっち?」

「サメっちがいいって言うまで、目つむっててほしいッス」

「ん?」



 林太郎が目をとじると、石鹸の香りが鼻をくすぐった。



 温かくて柔らかな感触が頬を撫でる。



 それが薄い唇だと気づくのと同時に、林太郎は目をあけた。



「……へ?」



 視界には口をあけて絶句するウサニー大佐ちゃん。


 そして林太郎の頬には。





 ぢゅううううううううううう!!!!!




「いだだだだだだだ!!!!!!!」

「むちゅううううううううッスうううう!!!!!」



 親の仇でも討たんとする勢いで、サメっちが吸いついていた。


 それはもうキスなどという甘いものではけしてない。

 ガチガチに凍ったシェイクを吸い出すが如き、全力の吸引であった。



「ほっぺた取れる! サメっち、アニキのほっぺた取れちゃう!!」

「うむむむぅぅぅぅぅぅーーーーーんッス!!!!!」



 ちゅっぽんという音とともに唇が林太郎の頬から離れると、サメっちは勢い余って絨毯の上を転がった。

 真っ赤に腫れてこぶとり爺さんみたいになった林太郎が、片目だけ涙目で頬をさする。



「さ、サメっち、これなんの罰? アニキなにか悪いことでもした?」

「ウサニー大佐ちゃん言ってたッス! 失敗したときは、いちばんすごい“ちゅー”すればいいって!」



 サメっちは起き上がるやいなや、顔を真っ赤にしながらぴょんぴょんと跳ねて訴える。

 ムードもへったくれもないことはさておき、まずもって林太郎には意味がわからなかった。



「ちゅーって……ウサニー大佐ちゃん、そんなことサメっちに吹き込んだの?」

「そ、そそそ、そんなわけあるか!!」

「アニキ、アニキ。サメっち、ファーストちゅーッスよ」

「いいかいサメっち。これは毒蛇に咬まれたときの応急処置だよ」



 温もりと唾液と激痛が残る頬もさることながら。

 林太郎は少し熱くなった反対側の頬を、サメっちに見られないよう手の甲で冷やした。



「すまないデスグリーン少佐、こんなつもりじゃ……」



 ウサニー大佐ちゃんはサメっちの両肩をがっしりと掴むと、膝を折り視線を合わせて優しく語りかける。



「サメっち二等兵、私の伝えかたが悪かった。よく聞いてくれ、忠というのはだな……かくかくしかじかで……」

「そうだったんッスか!? じゃあサメっち、アニキとちゅーしちゃダメッスか?」

「ダメだダメだ!! そもそも組織における上下関係というのはだな、もっと規律というものをもってだ……!」

「ウサニー大佐ちゃんはオジキとちゅーしないッスか?」



 いつも毅然としたウサニー大佐ちゃんの顔がウサ耳の先まで真っ赤になる。



「し……しないッ! そもそも私とベアリオン様はそのような不埒で破廉恥な関係ではない! 将と部下として強く固い絆で結ばれているのだ!!」

「おおー、プロフェッショナルっぽいッス!」

「当たり前だ。だいたい極悪軍団の風紀の乱れは目に余る。ただでさえこのデスグリーン少佐という男は……」




 思わぬ方向からお説教が始まり、林太郎は思わず目を背けた。




 その視線の先。



 林太郎がテーブルの上に視線を移すと、小箱のフタ・・が目に入った。

 ウサニー大佐ちゃんが驚きのあまり取り落とした拍子にフタが開いてしまったのだろう。



 問題は、フタではなく、箱でもなく。

 あらわになったその中身だ。



 ベアリオンが辺鄙へんぴな場所の金庫に入れてまで隠していたもの・・が、テーブルの上でLEDの明かりに照らされていた。




「…………あ?」




 それは一枚の写真であった。




「いいか貴官。軍団長とて、いや軍団長であるからこそ。いついかなるときも節度を保ち、己を律してだな……ん?」



 遅れてウサニー大佐ちゃんも、写真の存在に気づく。




 そこに写っているのは人間態のベアリオン将軍こと、熊田くまだいわお




 そして――




「あーーーッ! オジキの“ウワキシャシン”ッス!」




 ――明るい髪色の女性と、彼女の腕に抱かれる赤ん坊の姿であった。





「これは……サメっち知ってた?」



 林太郎の問いかけに、サメっちは黙って首を横に振る。


 サメっちが知らないのも当然だろう。

 アークドミニオン地下秘密基地ではなく、遠く離れた場所に隠されていたのだ。


 そういうものには、必ず厳重に秘匿されるだけの理由がある。




 そして秘密とは、触れた者にとって時として毒となる。




「……………………カファッ」




 ウサニー大佐ちゃん。

 百獣将軍ベアリオンの副官たる彼女は、白目を剥いて立ったまま気を失っていた。






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画面の前のよいこのみんな!!

中編は短いけどここまでだ!!


後編はこのあとすぐ(15分後)にはじまるぞ!!


次回! 第二百九話「月刊ブタ野郎」


タイトルからして不穏だね!

お楽しみに!!


みんな応援ありがとうッ!

感想・レビュー・ファンア、いろいろもろもろ待ってるぜ!!


⇒⇒⇒このあとはみんなで極悪ダンス!

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