第百四十一話「煉獄怪人ヒノスメラ」

 自らを餌とすることで、見事アークドミニオン内部の裏切り者を捕らえた林太郎たち。

 しかし剣の檻に入れられたその少女の声は、林太郎に絶対忠誠を誓う一番舎弟のものであった。


「うぇぇぇん、暗くて狭いッスぅぅぅ」

「サメっ……ち……?」

「おい林太郎、中にいるのはサメっちなのか……?」


 林太郎と湊は驚いて顔を見合わせる。

 無数の剣で形作られた檻がかすかに開いた。


 だが動揺するふたりを、首から下をロボット掃除機に置換されたタガラックが一喝する。


「気をゆるめるでないぞおぬしら! ヤツはサメっちであってサメっちではない、まったくの別物じゃ!」

「湊、おかわり・・・・だ!」

「……みっ、千剣の監獄ミリオンソード・アルカトラズッ!!」


 湊が構えると地面から再び無数の剣が出現し、剣の檻が更に強固に包まれる。

 サメっちらしき侵入者を包む球体は、もはや蹴り転がすこともままならぬ鉄塊と化した。


「みんなひどいッスぅぅぅ」

「ようほざきよるのー。猿芝居も大概にせい、煉獄れんごく怪人ヒノスメラ!」

「ヒノ……スメラ……?」


 林太郎や湊にとっては聞き慣れぬ名であったが、総帥ドラギウス三世の眉がピクリと動く。


「思いのほか、厄介な名が出てきおったではないか。なるほど、先の虫歯騒ぎに乗じてサメっちに封印を解かせたか」


 ドラギウスの声色は、齢70を超す老人とは思えぬほどの怒気に満ちていた。

 土気色の眉間に刻まれたしわはより深く、刃がごとき眼光は殺意を通り越し凍えるような闇の色に染まる。


 長年関東圏に君臨する悪のカリスマをこれほどまでに警戒せしめる“ヒノスメラ”に、林太郎は唾を飲み込むことすら忘れて神経を尖らせた。



「……なんやおもろないなあ……“いちひき”」



 明らかにサメっちのものとは異なる、妙に透き通った女の声がしんと鼓膜に染み渡る。

 動物的直観で迫る危険を察知した林太郎は、デスグリーン変身ギアを構えると即座に起動した。


「ビクトリーチェンジ!」


 直後、剣の檻が真っ赤に染まる。


「湊! おかわりだ! 全力でやれ!」

「もうやってる!」


 千剣の監獄を構成するのはただの鋳鉄ではなく打ち鍛えられた鋼であり、いかなる怪人であってもこの拘束から逃れることはできない。

 少なくとも林太郎はそう踏んでいた。


 しかしそれは対象となる怪人が“予想を遥かに上回る怪物”でなかったならばの話だ。

 林太郎の予想をあざ笑うかのごとく、無数の剣は熱されたガラス細工のようにドロリと溶けて弾け飛んだ。


「くっ……! 伏せろ湊!」

「あちゃちゃちゃちゃ! わしのチョンマゲが燃えとるぅ!」


 デスグリーンと化した林太郎は大きなマントを翻し、飛散する溶鋼から湊を守る。

 火山の噴火よろしく飛び散った炎は会場のそこかしこに燃え移り、空の棺とバカっぽい遺影は炎に包まれた。


 剣の檻は跡形もなく消え去り、黒炎をまとった囚人が解き放たれる。



「いややわあ、うちみたいなか弱い女を捕まえて閉じ込めるやなんて」



 炎の爆心地、燃える絨毯を踏みしめ、煉獄怪人ヒノスメラは静かに降り立つ。


 林太郎は彼女の姿に目を見張った。



「サメっち……?」



 その姿はまさに林太郎の妹分、サメっちであった。

 しかし林太郎の知るサメっちではない。


 林太郎が幾度となくなでた亜麻色の髪は腰まで伸び、背恰好と肉体のラインはもはや子供サメっちとは言い難いほどに成熟していた。

 だぼだぼだったサメ柄パジャマの胸元は、なびやかな肢体を圧しきれずに大きく開かれている。


 サメっちが大人になれば、きっとかような美女となるのであろう。

 煉獄怪人ヒノスメラが身体のコントロールを完全に掌握したことで、肉体を構成する怪人細胞に大きな変化をもたらしたのだ。


 しかしこの女がまとう空気は、サメっちとは似ても似つかぬ“悪”そのものであった。


 ヒノスメラの全身からは黒い陽炎が立ち昇り、ニィと笑った口元には鋭い牙が並ぶ。



「十年ぶりやねえ、ドラギウス。会いたかったわあ」

「……我輩は二度と会いたくなかったのである」

「そんないけずなこと言わんと、遊んどくれやす。……“うつしもゆ”」


 ヒノスメラが身にまとう黒炎が意思を持った生物のようにうねる。


 周囲の空気を焦がし尽くしながら迫るそれは、まさしく炎の波であった。

 轟音、そして凄まじい熱気とともに、黒い炎の波がドラギウスを襲う。


「我輩には効かんのである!」


 ドラギウスが手をかざすと、炎はまるで吸い込まれるようにドラギウスの掌中へと消えていった。


 だが黒炎を吸い尽くすわずかな隙を逃さず、ヒノスメラがドラギウスへと肉薄する。


「相変わらず厄介やなあ。けどこれには反応できひんかったみたいやね」

「ぬぐっ!?」


 ドラギウスは反撃を試みようとするが、その手がヒノスメラの首筋を捉える直前にピタリと止まる。


「甘いところも変わらんなあ」


 悪の総帥らしからぬ反応に満足そうな笑みを浮かべたヒノスメラは、長い脚でドラギウスの身体を蹴り飛ばした。


 サメっちのメガロドンキックなど比較にならないほどの衝撃が大広間全体を揺るがす。

 ドラギウスは燃えるタガラックの遺影を真っぷたつに割りながら、硬い壁に叩きつけられた。


「この入れ物からだ、よっぽど大事にされとるんやねえ。サメっちは果報もんや」


 姿かたちは大きく変われども、林太郎とてヒノスメラの肉体がサメっちのもの・・・・・・・であると即座に理解できた。

 このところのサメっちの体質変化は、すべてこのヒノスメラによるものであったとも。


 だがそれがわかったところで手遅れだ。

 今やヒノスメラへの攻撃は、すなわちすべてサメっちの肉体への攻撃となる。


 孫娘のように愛を注ぐサメっちという“盾”が、ドラギウスの反撃に躊躇を生んだのだ。


「ほなそろそろお爺ちゃんには引退してもらおか」


 ヒノスメラが牙をカチンと鳴らすと、手の上に黒い炎の球体が形成される。

 球体は黒く大きく、サメっちが放った“ふかひれ波”よりも更に密度を増していく。


 いくら怪人の王ドラギウスとて、手負いの状態ではあれを受けて無事である保証はない。


「りりり、林太郎、総帥がっ!」

「わかってる! けどどうすれば……」


 そのとき頭のヤシの木チョンマゲに火を灯し、悪趣味な燭台みたいになったタガラックがロボット掃除機をドリフトさせながら林太郎の眼前に滑り込む。


彼奴きゃつめ、忍び込む前に火災警報器の元を絶ちおった! 林太郎、上じゃ!」


 タガラックの言葉に、林太郎は即座に反応する。


「そうか、湊!」

「林太郎これを!」


 林太郎が手を差し出すのと、湊が手を構えるのはほぼ同時であった。

 湊の手のひらから生み出された剣の柄を掴むと、林太郎は天井に向かってその剣を投げつける。



 流星のごとくきらめいたひと振りの刃は、高い天井のある一点を貫いた。



「ちっ……ええとこやったのに……!」



 穿たれた穴からあふれ出る雫を察知し、サメっちの顔をしたヒノスメラが唇をゆがめ舌打ちをする。


 林太郎が貫いたのは、スプリンクラーの配管であった。


 水飛沫が花開き、ヒノスメラの頭上に霧雨のごとく降り注ぐ。



「“はやよか”ッ!!!」



 強烈な熱気とともに、黒い火柱がヒノスメラの身体を包む。

 炎は渦を巻きながら天井の換気口を押し広げ、ドリルのように穴をあける。


「ああっ、林太郎! あいつが逃げる!」

「ちくしょう、待ちやがれ!!!」



 林太郎の叫びもむなしく、ヒノスメラはサメっちの身体とともに姿を消した。



 すんでのところでヒノスメラを取り逃がした林太郎は、デスグリーンマスクの下で唇を噛む。


「ぐっ……ぬうぅ……してやられたわ……」

「おのれれれれ林太郎たすけけけけちょっぷりりりりはべるるるるるほほふりゃ」


 残されたのは深手を負ったドラギウスと、水浸しになってショートしているタガラック。

 そして黒焦げにされた大広間と、地上まで続く天井にぽっかりとあいた穴であった。





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