第百三十三話「地の底にて待つ」
林太郎、湊、そしてウサニー大佐ちゃんという異色の小隊は、アークドミニオン
「ひとまず先行している黛と合流するぞ。……悪かったよ、もう泣くなよ湊……」
「うええ……べちょべちょで気持ち悪いよぉ……助けてって言ったのにぃ……」
ぬるぬる触手地獄トラップから命からがら抜け出した湊とウサニー大佐ちゃんは、全身謎の粘液でぐっしょぐしょであった。
しかもこの粘液、なんだか妙に鼻につく変な匂いを放っている。
「恐らく侵入者の鼻を利かなくさせるためのものだな。こんな罠があちこちに仕掛けられていては我ら百獣軍団とて苦戦するわけだ」
「ウサニー大佐ちゃんは無人区域の巡回もしてるんじゃなかったっけ?」
「ああ、比較的浅いところはな。だがここまで深く潜るのは私も初めてだ」
もともとこの地下秘密基地深部はあまり人が寄りつかないことから若い怪人たちの逢引きスポットと化しており、彼らを取り締まるのはウサニー大佐ちゃんの役目だ。
それ以外にもいかがわしいDVDの闇取引が行われていたり、度胸試しと称して落書きが横行したりと、ウサニー大佐ちゃんいわく治安があまりよくないエリアらしい。
「おいミナト衛生兵長、めそめそするのは構わんがはぐれるなよ。十年前に女がひとり行方不明になって未だに見つかっていない……なんて噂もあるぐらいだからな」
「そそそ、そういうことは潜る前に言ってくれよぉぉぉ!」
「待て、静かに。今なにか……人の声のようなものが……」
「ぴいいいいいいい!!!??」
ウサニー大佐ちゃんは立ち止まり、ウサミミをピンと立てて周囲の様子を探る。
薄暗さと匂いで視覚と嗅覚を奪われるこの迷宮において、レーダーの役割を果たす彼女の大きな耳はとても心強い。
「どうだ、何か聞こえるか……?」
「……むっ、上かッ!」
ウサニー大佐ちゃんは何かの気配を察知し、高い天井を見上げる。
彼女に倣って林太郎と湊も視線を上げ、ふたりして文字通り仰天した。
「「うわあっ!? なんだこれぇ!?」」
天井には蜘蛛の巣のようにワイヤーが張り巡らされ、そこに獣型怪人たちがグルグル巻きにされて吊るされていた。
中には何人か見知った顔も混じっている。
「しくしく……悔しいワン……口惜しいワン……」
「ネガドッグ!? くそっ、全滅した先遣隊だ! デスグリーン伍長、救助を!」
「おいおい、こんなんじゃいつまで経ってもサメっちに追いつけないぞ……。頼むから無事でいてくれよサメっち……!」
林太郎たちが足踏みしている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
焦る気持ちがじりじりと、林太郎の冷静な神経を蝕んでいた。
そのとき、林太郎のデスグリーン変身ギアが緑色に明滅する。
『センパイ聞こえますか? こちら黛です。追跡対象の痕跡を発見しました。端末に位置情報を送ります』
「でかしたぞ黛! よし、ここはふたりに任せて俺はサメっちを追う。湊とウサニー大佐ちゃんは、他の連中を助けたら退路の安全確保を頼む」
「承知した。任せたぞデスグリーン曹長!」
「勝手に
湊とウサニー大佐ちゃんをその場に残し、林太郎はひとり端末に映し出された座標まで急行した。
曲がりくねった通路を駆け抜け、30年前の地図をリアルタイムで更新しながら奥へ奥へと歩を進める。
地図を見ながら角を曲がると、薄っすらと埃の積もった暗い廊下の先で粘液まみれの桐華が手を振っていた。
「センパイ、こっちです。奥に続く足跡が」
「小さいな……それに新しい。間違いない、サメっちだ。よく見つけてくれたな」
「報酬はハグで構いませんよ。……んー……」
桐華は粘液で糸をひきながら、ぬちゅーんと両手を広げ唇をつき出して目を閉じる。
林太郎は明らかにハグ以上を求める後輩の顔を無言で押しのけると、小さな足跡に手を添えた。
「これは、涙か……?」
足跡の隣に点々と続く小さな雫の跡は、少女が流した涙の軌跡であった。
目を閉じた林太郎はまぶたの裏に、ぴーぴー泣きながら闇の中を歩くサメっちの背中の姿を思い描く。
涙はまだ乾いていない、追いついている、確実に。
「サメっち……そんなに虫歯が痛いのか……可哀想に……」
林太郎は拳を握りしめ、頬の上から己の奥歯の感触を確かめた。
………………。
闇の中をとぼとぼ歩くサメっちは、孤独感に押しつぶされそうになっていた。
敬愛するアニキにとても酷いことをしてしまった。
後悔が物理的な距離だけでなく、ふたりの心までも遠ざけてしまっているかのように。
「うっ、うっ、アニキぃ……寂しいッスぅ……」
『……おい……』
「……んッス? アニギイイイイ……! びええええん!!!」
『おい、そこの辛気臭い小娘。今聞こえとったやろ』
泣きじゃくるサメっちの耳に、妙に透き通った“女の声”がはっきりと届く。
サメっちは周囲をきょろきょろと見回すも、声の主らしき影はない。
「……さ、サメっちッスか?」
『サメっち? なんやそれ、卵から
闇から響いてきた女の声は、思いのほかフランクであった。
サメっちは鼻水をずずずーっとすすると、声のする方へと向かった。
『もうあかーん! はよここから出したってーっ!』
「どこかに閉じ込められてるッスか? それは大変ッス!」
声に導かれるまま、サメっちが迷い込んだのは大きな広間であった。
ドラギウスの座す暗黒大聖堂に似た構造だが、違いがあるとすれば玉座の代わりに巨大な黒い結晶体が安置されている点であろうか。
どうやら女の声はその結晶の中から聞こえてくるようだ。
『もう10年もここにおるんよ。背中とかごっちごちの石みたいになってもうて』
「10年ッスか……すごいッスね。10年前っていったらサメっち1歳ッスよ」
『ピチピチやん! そない小さい子泣かすやなんて、お兄ちゃんえらい悪いお人やなぁ』
「アニキは悪くないッス! あ、でもどこに出しても恥ずかしくない極悪人ッス」
サメっちは林太郎のことを思い出すと、またしょんぼりと泣きそうな顔になる。
女の声はそんなサメっちをなだめるように、優しく語りかけた。
『……自分、お兄ちゃんと喧嘩したん? あかんでちゃんと仲直りせな』
「喧嘩じゃないッス……、サメっちはアニキに酷いことしちゃったッス……」
『はぁん、ほな謝ったらええやん。よしゃ、ほなうちもサメっちと一緒にごめんなさいしたるわ』
結晶の内側からコンコンと叩くような音が響く。
サメっちは結晶に近寄ってみたが、暗くて中の様子はわからない。
しかしその硬い表面に手を触れてハッと気づく。
その冷たさと黒さは、つい先日触れたものと同じものなのではなかろうか。
『サメっちどない? いけそう?』
「だいじょぶッス、すぐに出してあげるッスよ!」
サメっちはポケットから小さな小瓶を取り出した。
ヒーロー対策にと、林太郎から持たされたものだ。
小瓶の中には、結晶に閉じ込められた百獣軍団や桐華を救った赤黒い秘薬が充ちている。
きゅぽんと蓋を外し、サメっちは瓶を結晶体に向かって構える。
「いた! サメっちーッ!」
「……アニキ!? なんでここにッス!?」
林太郎がサメっちの姿を発見したのと、サメっちが秘薬を結晶にふりかけたのはほぼ同時であった。
大きな黒い結晶体が、まるで熱された鉄のように白く輝く。
「うおっ、なんだ!? まぶしッ!」
「わわっ! なんッスかこれぇ!?」
光に包まれる聖堂に、不気味なほどに透き通った女の声が響く。
『おおきに、サメっち。あんたほんまに
目がくらむほどの光の中、ドス黒い煙が渦を巻いて立ち昇る。
煙はまるで蛇のようにサメっちの身体にまとわりつくと、その小さな身体の中へと吸い込まれていった。
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