第百十九話「正義の棺」

 それは林太郎と烈人の戦いが佳境を迎える、ほんの数分前の出来事であった。



 怪人を怪人たらしめるものとして、局地的災害対策基本法に規定された条件はただひとつ、“怪人細胞”の有無である。


 これまで世界中で何人もの科学者が、怪人細胞の謎を解明しようと多くの時間を費やしてきた。

 しかしその多様性ゆえに研究は難航し、現在怪人細胞についてメカニズムが立証されているのはわずか2点のみである。


 ひとつめ、怪人の肉体はほぼ例外なく極めて頑丈、かつ高い再生能力を誇る。


 そのため怪人に対して既存の兵器はほとんど役に立たない。

 例えば軽い脳震盪や打ち身程度であれば、ほんの数分で回復してしまうからだ。


「サメっちよう、怪我はねえかあ?」

「うーん……オジキ……ッス?」


 百獣将軍ベアリオンは、地面に這いつくばる少女の頬を肉球でぺちぺちと叩いた。


 ビクトレッドの放った衝撃波により時速100キロ近いスピードで弾き飛ばされたサメっちは、“ほんの数分間”気を失っていた。

 しかし外傷については膝や腰に多少の擦り傷が残るのみであり、仲間の呼びかけにすぐさま意識を取り戻す。


「オジキ、ソードミナスは……?」

「おう、ちょっとまずいことになってやがる。対怪人弾で急所を撃たれた」


 対怪人弾、その言葉にサメっちの顔からサーッと血の気が失せる。


 怪人細胞について現在わかっていることのふたつめ。

 特定の物質を与えることで、怪人細胞そのものに劇的な変化を生じさせることができる。


 これにより怪人たちは身体のサイズを急激に変化させることができるが、同時に致命的な弱点でもある。

 かつてビクトブラック・黛桐華が振るった、固有武器『クロアゲハ』の刀身にも塗られていた猛毒などがいい例であろう。


 薬品によって怪人細胞に一時的な不具合を発生させることで驚異的な再生能力を抑え、怪人細胞自身に傷口の再生を阻害させるというものだ。

 現在ヒーロー本部で急速に配備が進められている対怪人弾の弾頭には、もれなくこの猛毒が塗布されている。



 対怪人弾に心臓を貫かれるということは、つまるところ助かる見込みが皆無であることを意味する。



 赤いコートの胸元は、血で赤黒く染まっていた。

 ベアリオン、ミカリッキー、サメっちの3人が必死の措置を施すも、努力とは裏腹にソードミナスの身体は急速に冷たくなっていく。


「おいミカリッキー! なんとかしやがれえこの野郎!」

「あああ、いけませんいけません。傷口をふさごうにもこれほど血を流してしまっては。これはもう手の施しようがありませんねえ。せめて安らかに成仏してくださいまし」

「ザゾーマの薬はあ!? 持ってこなかったのかあ!?」

「それが生憎ストックを切らしておりまして。せめてザゾーマ様がこの場にいらっしゃれば……ああやめてくださいまし、そんなに乱暴に引っ張ったら触覚が取れてしまいます」


 既に白を通り越して色を失いつつあるソードミナスの頬を、サメっちの小さな手が抱え込んだ。


「じっ、ジンコンコンキューッス! はぷぅっ!」


 サメっちは生気を失った半開きの唇にかじりつくと、躊躇なく息を吹き込んだ。


「はぷっ! 死んじゃダメッスよソードミナスぅ! ふーーッ!!」


 しかしいくら酸素を吹き込んだところで、それを全身に巡らせる心臓ポンプはその鼓動を完全に止めている。


 それが意味するところは、医療の心得を持たない3人にも理解できた。

 よしんば医者がいたとて同じように首を横に振っただろう。


「もうよさねえかあ、サメっち……」

「嫌ッスぅ! 全部、サメっちのせいッス……サメっちが外に連れ出したりしたから……。ヒーローを呼び寄せちゃったからッス……! サメっちのせいでソードミナスが……!」

「サメっち、オレサマたちは怪人だあ。遅かれ早かれ、こういう日は……」

「怪人だからって! そんな理由で、サメっちは諦めたくないッス! はぷっ、フーーーッ!!」


 一条の水滴がソードミナスの頬をつたう。

 それは雨の雫だったのか、それとも少女の嘆きであったのか。


 まるで少女の贖罪に呼応するかのように。


 ソードミナスの胸の真ん中にぽっかりと空いた穴から、ドクン……と。


 深淵の底から聞こえてくる死神の足音のような。

 暗く、重く、冷たい音が響く。


「……ッス? ソードミナス……?」

「おい、これやべえんじゃねえのかあ……!? なあ!?」

「おろろろろ、これは予想外でございます。逃げましょう、ええそうしましょう」


 まるで死の運命に抗うかのように、穴の空いた胸元から鋼色の激流が間欠泉の如く噴き上がった。




 …………。




 人っ子ひとりいない閑散とした国道を、1台の最新型装甲車が瓦礫を避けながら進んでいた。

 けして乗り心地が良いとは言えない車内では、無骨な内装に似つかわしくない派手なスーツの女がハンドルを握る。


 自ら運転席に座った小諸戸歌子は、右に左にハンドルを切りながら器用に爪を噛んでいた。


「まずいですわ、まずいですわ! 人質を取って有利な立場からデスグリーンを葬る作戦でしたのに……! よりにもよって先手を打たれて無様に負けるなんて……!」

『喋ってると舌を噛みますよ、小物ド本部長。あら失礼、ザコ諸戸宴会部長でしたっけ』

「キィィィィィ! やっかましいですわッ! だいいちあなた、人質なのに堂々としすぎじゃありませんこと!?」

『これは失礼しました、私こう見えて育ちが悪いんですよ。今まで大物扱いしかされたことがないので、誰かさんと違って』

「ンギギギギギギィ!!!!」


 車内に吊るされた手のひらサイズの結晶の中で、囚われているはずの黛桐華は余裕しゃくしゃくの表情を浮かべながら胸を張った。


 桐華とは対照的に、ヒーロー本部参謀本部長・小諸戸歌子の顔には焦りの色が濃厚に浮かぶ。

 あまりの落ち着きのなさに、人質から小言を言われる始末である。


「おかおかおか、おかしいですわ! わたくしの作戦は完璧だったはずですのにぃ……!」

『欲をかくからそうなるんですよ。そもそもあなたのような小物がセンパイ……極悪怪人デスグリーンを相手にしたのが間違いです』


 デスグリーン、その名に歌子の細い眉がヒクッと吊り上がる。


 人質を利用するという作戦は、実際上手くいっていたのだ。

 少なくとも百獣軍団の基地を壊滅させた段階までは、事はヒーロー本部の有利に運んでいた。



 ところが“極悪軍団”の出現で歯車が狂い始めた。



 そもそも人質からして規格外の頑丈さを誇り、尋問しようが拷問しようがまるでどこ吹く風だ。

 さらに軍団も軍団で人質をものともしないどころか、なんと逆に挑発的な脅迫状まで送りつけてきたのである。


 それだけならばまだ対処のしようもあったのだが、犯行予告で指定された地区が非常にマズかった。


「よりにもよって港区だなんて……! ああ、早く戦闘をやめさせないと責任問題どころか、わたくしは国際裁判所行きですわーッ!」


 東京都港区芝公園を中心とした半径3キロメートルほどのエリアはいわゆる“大使館街”である。

 もし万が一にでも港区が壊滅的な被害を受けたとあっては、もはや日本国内だけの問題では済まなくなるのだ。


 もちろん責任を問われるのは、ヒーロー本部の参謀本部長・歌子である。


 ウィルとラマーという信頼を置く手駒を失った今、彼女にとってはもはや人質だけが頼みの綱であった。


 瓦礫と剣の山を越え、剣戟の音が近くなってくる。

 歌子は装甲車を停めると、取りつけられた拡声マイクを使って呼びかけた。


『あー、極悪怪人デスグリーン! 聞こえてますの!? 今すぐに戦闘をやめないと、この人質がどうなっても知りませんわよーッ!』

『きゃー、センパーイ、たーすけてー、あーれー、そんなの入らないでありんすー』

『ムッキィー! この期に及んでわたくしの邪魔をしないでくださいましーッ!!』


 歌子はマイクを放り出して桐華に掴みかかろうとするが、硬い結晶は歌子が握りしめたところでビクともしない。


『もう手詰まりなんじゃないですか?』

「そっ、そういうあなただって! デスグリーンに見捨てられたんじゃありませんこと!?」

『お生憎さま、私とセンパイは上辺だけではない強い信頼で結ばれていますので。なにせ私たちは将来を誓い合った仲ですから』


 悪路で散々振動に慣らされたせいか、それとも頭に血が上っていたからか。

 桐華に食って掛かっていた歌子は、微かに大地を揺らすその“振動”に気づくのが遅れた。


 まるでゾウの大群が押し寄せてくるような地鳴りが少しずつ大きくなってくる。



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………。



 歌子が揺れを自覚したときには、もはや装甲車内で立っていることもままならない状態であった。


「な……なんですのこの揺れは……!?」

『白馬の王子様の登場ってやつじゃないですかね』


 次の瞬間、重さにして20t近い装甲車が何か“巨大な質量”に押されてひっくり返った。

 ヒーローを十名以上格納できる広いキャリアー内部を、歌子の身体がピンボールのように跳ね回る。


「あぎっ! おごっ! へぶぅっ!」


 まるで外の様子がわからず、歌子はたまらず後部ハッチに手をかけた。


 まさにそのとき。

 後部ハッチがひとりでにメキャリという音を立てて、外部から無理やりこじ開けられた。


「まったく、いいところで邪魔が入ったおかげですっかり冷めちまった」


 緑と黒に彩られたスーツ、禍々しい死神の紋様が描かれたマント。

 そしてどういうわけかマスクはなく、頭から血を流した極悪怪人デスグリーンこと栗山林太郎がヌゥッと姿を現した。


「なかなかいいシェルターだな」

「あ……あひ……! ででで、デスグリーン!!?」

「……お前はいつぞやの、誰だっけ。あれだ、ザコモブ係長だな、思い出したよ」


 手を伸ばせば届いてしまうほど狭い装甲車のキャリアー内、突如として現れた悪の怪人に、実戦慣れしていない歌子は軽いパニックを起こす。


「あばっ、あなた! この人質が、どどど、どうなってもいっ、いいのかしら!?」

「あっ、黛」

『センパイ、私は必ず助けに来てくれると信じていましたよ!』


 一瞬の沈黙の後、林太郎は親指を立てて苦手な笑顔を取りつくろった。


「……あたりまえだろ! 俺がお前のピンチに駆けつけないわけないじゃないか!」


 そう、極悪軍団長デスグリーンはけして仲間を見捨てたりはしないのだ。

 林太郎はまるで何かをはぐらかすかのように、歌子から黛入りの結晶を取り上げた。


 だがうかつにも歌子に接近した林太郎の腕に、銀色に輝く厚手のグローブが掴みかかる。


「いっ、今ですわーっ! お逝きなさい、“ハーメルンハンド”!!!」


 それは怪人細胞を狂わせ、百獣軍団……そして桐華を結晶に閉じ込めた悪魔の技であった。


「説明いたしますわ、ハーメルンハンドとは! グローブのてのひらに備え付けられた特殊振動波発生微細針により、あらゆる装甲を貫通して毒液を注入! 怪人細胞を不活性化させ、あらゆる怪人を即座に無力化する究極の秘密兵器ですわ!」

「……ああ、そうなんだ。へえ、すごいねそれ」

「ンフフ、さあ年貢の納め時ですわデスグリーン! 泣き叫んで命乞いをしなさいなーッ! さいなーッ! さいなー……! あれ……?」


 歌子がどれほど一生懸命握っても、極悪“怪人”デスグリーンの身体には何の変化もない。

 それもそのはず、デスグリーンこと栗山林太郎の肉体には、これっぽっちも怪人細胞など含まれていないのである。


 林太郎は歌子からグローブを強引に剥ぎ取ると、広いオデコに渾身のデコピンを食らわせた。


「あびゃーっ!! 割れる! 頭蓋骨が割れてしまいますわーッ!」


 もんどりうつ歌子をよそに、林太郎は結晶に入った桐華とハーメルンハンドを握りしめると、後部ハッチを開く。


「ひさしを貸してくれてありがとう。そろそろ失礼させてもらうよ、次の波がくるみたいなんでね」


 床に這いつくばる歌子の視線の先で、分厚い鋼板製のハッチがメリメリと力任せに閉じられていく。

 鋼鉄の装甲をねじ曲げながら、二度と開くことができなくなるほど無理やりに。


 同時にゴゴゴゴゴと、先ほどよりもひときわ大きな地鳴りが響く。


 装甲車を押し流すほどの衝撃を、更に上回る外圧が目前に迫っている。

 さすがにその意味がわからないほど、歌子も馬鹿ではない。


「ああ……待って、待ってくださいまし……」

「閉じ込められる側の気持ちを知るにはちょうどいいんじゃないか? なかなかないぞ、こんな機会は」

「あああ、置いて行かないでくださいまし! なんでも、なんでもいたしますから! デスグリーンさん! いえ、デスグリーン様ぁ!!」

「装甲車ってどれぐらいの重さまで耐えられるんだろうな。ぺちゃんこに潰れないことを祈ってるよ。日頃の行いが良ければ助かるんじゃないか?」


 ガギョッという鈍い音と共に分厚いハッチは隙間なく閉ざされ、キャリアー内には歌子ひとりが取り残された。


 次の瞬間、まるで怪獣にでも踏み潰されたかのような衝撃が装甲車を襲う。


「あああーーーッ!! 助けて、誰か助けてくださいましーーーーッ!!!」


 歌子は半泣きになりながらハッチ開閉ボタンを連打するも、力任せに閉じられたハッチはビクともしない。

 衝撃のせいか他の扉も同様に開く様子はなく、装甲車のキャリアーはただの大きな鉄の棺桶と化した。


 あまりの重圧に、キャリアー全体がギギギと骨を軋ませながらたわむ。


「天井が! 天井がへこんでますわ! 誰か! 誰かいませんのォーーーッ!?」


 歌子の声は誰にも届くことなく、鉄の棺桶は数百トンにも及ぶ無数の剣に飲み込まれた。




 ………………。



 …………。



 ……。




『あれ小物さん死んだんじゃないですか?』

「研究開発室製の特3型装甲車なら隕石が直撃してもぺちゃんこにはならないよ。そのぶんこじ開けるのは大変だろうけどね」


 間一髪装甲車を脱出し、剣の津波の襲撃をまぬがれた林太郎は、空を見上げて眉をしかめた。



「さて……改めて見るとすげえな……。あれ、ひょっとしてソードミナスか……?」



 一本一本はさして何の変哲もない、鉄だか青銅だかでできた剣である。

 しかしいったい何本、何万本集まれば“こんなもの”が出来上がるというのだろうか。




 それは高さ333メートルを誇る東京タワーに匹敵するほどの、巨大な銀色の山であった。





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