第八十三話「次代の英雄」

 守國の眼前に、強大なエネルギーを伴った真っ黒な光線が迫る。

 だがもはや四肢は言うことを聞かず、回避も防御もままならない。


『今のアンタの正義はあまりにも孤独だ』


 50年前、彼は確かに正義であった。

 仲間たちとともに、世界の平和を守るべく敢然と悪に立ち向かっていた。


 いつしか彼が背負うものは、平和から秩序へと変わり。

 守るべきものは、愛する人々ではなく国へと変わっていった。


「“50年前の俺なら勝てた”か。そんなことを言った奴はこの50年で初めてだ」


 ついに今日、正義が誇る最後の牙城は悪の前に崩れ去った。


 正義として悪の怪人と戦い続けた半生は、今まさに幕を閉じようとしていた。


 最古のヒーロー・守國一鉄は覚悟を決め、静かに目を瞑る。




「うおおぉぉぉッッ!! バーニングヒートダァーーーッシュ!!!」




 守國の身体が、暗黒のレーザーに焼き尽くされようかというまさにその時。

 大地を揺るがすほどの熱い叫び声が、守國の耳に届いた。


 ひとすじの赤い流星が、光の速さで老いたヒーローを奪い去る。



「くそっ、やっぱり南極に置いてくるべきだったか……!」


 見覚えのありすぎる姿に、勝利を確信していた林太郎が顔を歪めた。



 光り輝くVのエンブレム。

 朝日を照り返すひび割れたマスク。

 ゴーグルの奥で燃えたぎる闘志の眼。


 両肘からジェット機のようなアフターバーナーを散らし、炎の緒が空に軌跡を描く。

 その戦士の全身は、守國の50年物のスーツよりずっと鮮やかな赤で彩られていた。


「ご無事ですか、守國長官!?」

「ぬぅ……お前は、暮内か……!」

「申し訳ありません! 気づいたら海の上でした!」


 その男は――。


 かつて林太郎が首席を務めたヒーロー学校第49期生の中において、根性ひとつで次席につけた実力者。

 一途な正義感と強靭なメンタルで、勝利戦隊ビクトレンジャーのリーダーまで上り詰めた男。


 “心がたぎる赤き光”ビクトレッド――暮内烈人であった。



 炎を放つ拳・バーニングヒートグローブを逆噴射させることにより、烈人はジェットパックの要領で空に浮かんでいた。


 烈人は確かに味方の巨大なハンマーでペグ打ちにされ、一時は意識不明の重体に陥っていた。

 しかしスマキにされ海に流されたのが功を奏し、真冬の海水の冷たさで意識を取り戻したのだった。


「間一髪のところでしたね!」

「暮内、どうしてこんな老いぼれを助けた」


 全身に神経毒が回った守國は、かろうじて声帯を震わせて暮内に尋ねた。


 守國の活躍があったとはいえ、残りの敵の数はまだ多い。

 今の烈人では太刀打ちできないと、誰でも容易に想像できようものである。


「いっそ逃げればよかったものを、馬鹿なやつめ」

「ええそうです! だけど俺は守國長官を守りたい! 大事な人だから!」


 その腕に抱かれた守國は、驚いたように烈人の顔を見上げる。

 かつて守國には、同じようなことを言った仲間たちがいた。


 丹波、生島、野々村、そして黛。

 仲間たちの顔が、そのピカピカの赤いマスクに重なる。


「はっ、近頃の若い連中ときたら……どいつもこいつも大馬鹿野郎だ」

「うぇええ?! ごご、ごめんなさい、俺また空気読めてませんでしたか!?」

「構わん。……総員に通達! 撤退だ!!」


 守國は残された力を振り絞って、死屍累々と横たわるヒーローたちに撤退命令を下した。


 きっともう少し早く命令を下していれば、あるいはもっと上手いやり方で対処すれば彼らも苦渋を舐めずに済んだのであろう。

 苦々しい顔で地上に目を向けると、林太郎をはじめとする怪人たちが守國と烈人を見上げていた。



『怪人は世の平和と秩序を乱す悪である』



 50年間戦い続けてきた守國にとって、凝り固まった信条はもはや変えられるものではないだろう。


 だがしかし、新しい時代を担う者たちならば、あるいは――。


「どうした、さっさと退け」

「いいんですか長官!? これだけの敵を前にして撤退なんて!」

「今ここでお前を死なせるわけにはいかなくなったのさ。……よぉし、動ける者は残りの撤退を援護しろ!」



 アークドミニオンの怪人たちが見守る中、守國は烈人に抱えられたまま西の空へと退いていった。


 “元”羽田空港であった人工島に、悪しき勝どきが轟いた。




 …………。




 下高井戸のマンション最上階の一室。

 家主の女性に向かって、深々と頭を下げる好青年がいた。


「朝霞さんごめんなさい! 負けちゃいました!」


 赤い半袖に褐色の肌が眩しい烈人は、直属の上司でもある朝霞に黛桐華奪還作戦の失敗を報告していた。


「参謀本部の指示は“黛桐華を日本に連れ戻せ”の一点だけです。暮内さんは任務を果たしました。お疲れさまでした」

「それじゃ納得できないですよ! 俺にもっと力があれば……守國長官だって……!」


 烈人を責めるべき行動があったとすれば、それは朝霞の指示を無視して戦闘を行ったことだ。

 だがもし指示に従っていた場合、ふたりにとって恩人である守國が生還できた保証はない。


 咎があるとすればむしろ、無謀な作戦を立案し実行に移した作戦参謀本部にあるだろう。


 それをこの男は自分の実力不足のせいだと言い張り、雨に濡れた仔犬のように怯えているのだ。


「暮内さん、たとえあなたに力があったとしても、結果は同じです。あの守國長官ですら勝てなかった相手に、あなたが勝てるはずがありません」

「うっ……そ、それは……1パーセントぐらいなら勝てるかも……」

「あの守國長官が“敗北”を受け入れたのです。暮内さんは、その意味をもっと深く考えてください」


 そう言うと、朝霞は黙ってバルコニーに通じる窓を開いた。

 バルコニーは既に烈人の私室と化しており、生活用品が山積みにされている。


 朝霞は何も言わずに烈人の私物を、部屋の中へと運び込んだ。


「あの……朝霞さん、いったい何を?」

「南極帰りの部下を外で寝かせて風邪をひかれても困ります。今後はリビングの利用を許可します」

「朝霞さん……朝霞さああああああん!!!!」


 烈人は朝霞の優しさにほだされ、思わずガバッチョと抱きついた。

 そもそも烈人をバルコニーに追いやったのも彼女なのだが、彼は細かいことを気にしない男である。


「苦しいです暮内さん」

「ああっ! ごめんなさい俺、感情が身体に出ちゃうタイプで……!」

「今後は改めていただけると幸いです」

「はいっ! ありがとう朝霞さん! そういやお腹空いてるでしょ!? 俺今日は腕によりをかけるよ!!」


 烈人は上機嫌で鼻歌を唄いながら、キッチンに火を入れた。

 すぐにチリソースの、食欲をそそる香りが漂ってくる。


 そんな烈人を見つめる朝霞の目は、どこか寂しげであった。


「朝霞さん! 今日はなるべく辛さを抑えてみるね!」

「いえ、とびきり辛くしてください。暮内さんはその方がお好きでしょう」

「いいの!? ほんとに!? なんか今日は優しいね朝霞さん!」


 朝霞は喉まで出かかった言葉を、烈人に悟られないよう飲み込んだ。


 ここ数日、ヒーロー本部は黛桐華を中心に踊らされ続けた。

 烈人も、守國長官も、丹波室長も、作戦参謀本部も、アークドミニオンさえも。


 だがこの一連の事件にもし、裏で糸を引く誰かがいたとしたら。



 朝霞は不安を振り払うように立ち上がると、仕事用のカバンを開いた。

 ひとつのファイルを取り出すと、中に挟まれた書類を次々とシュレッダーにかけていく。


 そのファイルには『怪人細胞転用計画』の文字と、ひとりの少女の名が記されていた。



「やっと、貴方を解放できました……さようなら、黛桐華」



 朝霞は烈人に聞こえないよう、静かにそう呟いた。



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