第八十話「栄光は枯れず」

 男の名は、守國一鉄。


 日本初の対怪人組織、ジャスティスファイブのリーダーとして日本の未来を背負わされた男。

 四人の仲間たちと共にあらゆる怪人の脅威から、戦後高度成長期の日本国を守り抜いてきた最古のヒーローだ。


 ヒーローチームでは原則として“赤”がリーダーを務めるのも、全てはこの男から始まった伝統である。


『聞こえるか守國ィ! ヒーロー本部の命運はお前にかかってるんだァ! なんとしても怪人どもを叩きのめして桐華を取り戻せェぇ!!』

「……ったく丹波の野郎、相変わらず無茶を言いやがる」


 ヒーローとして活動し続け30年、第一線を退いてから20年。


 68歳となった守國は、再び最前線に立っていた。




 羽田周辺が焦土と化す中、最古のヒーローと最強の怪人による戦闘は佳境を迎えていた。


 守國必殺のアカパンチは硬い甲殻に阻まれ、桐華必殺のエネルギー砲はすんでのところでかわされる。

 お互いに決定打を入れられないまま、ただ拳のぶつかり合う音だけが響いていた。


「俺のアカパンチをこれだけ受けて立っていたヤツは久しぶりだ」

「それは光栄……ですね、守國長官……!」

「だがお前ぐらいのヤツなら、俺の時代には掃いて捨てるほどいたよ」


 そう吐き捨てながら、守國はその赤い拳を振りかざす。

 桐華も負けじと、黒い鎧に包まれた拳で応戦する。


 両者の拳が正面からぶつかり合うと、大気がいななくように震えた。


 ふたりのパワーはまったくの互角……ではない。

 吹っ飛ばされた黒い身体が、滑走路の端をゴロゴロと転がる。


「ウアアアアッッ!!!」

「実戦経験はまだまだ足りないようだなヒヨッコ」

「うぐ……ぐぐぐ……」


 身体能力面においては、暗黒怪人ドラキリカはアカジャスティスを上回る。

 しかしその性能差を踏まえてなお、守國は桐華を圧倒していた。


 些細な駆け引きであったり、ほんの少しの重心移動であったり。

 50年分積み重なった小さなノウハウの差が、ふたりの力量差を反転せしめていた。


「さあ引導を渡してやろう……ふんっ!」

「…………ッ!」

「ここまでされてまだ、小賢しい手を弄するか」


 守國は背後から迫る長い尻尾の一撃を、一瞥することもなく掴み上げた。

 完全に死角からの攻撃であったにもかかわらずだ。


 秘策をいとも簡単に見破られた桐華の顔に、驚愕の色が浮かぶ。


 守國は尻尾を掴んだまま、ただ力任せに桐華の身体をぶんぶんと振り回す。

 ジャイアントスイングの要領で放り投げられた身体が、空港ターミナルの壁に激突した。


 桐華は瓦礫に埋もれながら、呼吸を整えるので精いっぱいであった。


「小手先の技ばかり覚えて鍛錬を怠るから、いざというとき踏ん張りがきかんのだ」

「ごほっ……この期に及んで、また説教ですか。本当に老いましたね……」

「往生際が悪いぜ、お嬢ちゃん」


 満身創痍の桐華に向かって、守國は銃の撃鉄のようにその太い腕を引く。

 全身の細胞が悲鳴をあげ、桐華は直感的に次の拳は避けられないだろうと悟った。

 守國の言う通り、幕引きの時が近づいていた。


「私はセンパイと約束したんです……」

「ほう、まだ立てるか」


 脳裏をよぎるのは、ヒーロー学校での厳しい鍛錬の日々。

 復讐に燃えたビクトレンジャーでの実地研修。

 自分という存在の小ささを思い知った、苦い大敗北。


 温かい腕の中で、涙と共に散った初雪。

 肌と肌を合わせたとき、確かに感じた心臓の鼓動。


 それらの全てにおいて、中心には常にひとりの男の姿があった。

 桐華はフラフラとした足取りで、瓦礫を踏みしめ立ち上がる。


「よほど大事な約束なんだな。嬢ちゃんには悪いが、そいつは叶えてやれそうにない」

「叶えてみせますよ、大事な約束、私の夢……」

「だったら俺をぶっ飛ばして、この局面を超えてみせろ黛桐華ァーッ!!」

「これから私はセンパイと、いっぱい子供作るんだァーーーッッッ!!!」



 赤い閃光と、黒い稲妻がぶつかり合う。



 衝撃で大地に亀裂が走り、滑走路が真っぷたつに分断される。


 桐華渾身の想いを乗せた拳は、守國の身体をジリジリと後退させる。


 しかし桐華が林太郎への想いを背負うのと同じように。

 守國もまたヒーロー本部、ひいては日本国という大きなものを背負う者である。



「ぬうううおおおおおおおおッッッ!!!!!」



 守國の拳が真っ赤に燃えたぎると、一気に桐華を押し返した。

 規格外のパワーを前にして、桐華の腕を覆う黒い甲殻に亀裂が入る。


「セン……パイ……!」


 これが50年間、国を守り続けてきた男なのか。

 桐華の顔が苦痛に歪み、直後赤い衝撃波がその身体を包み込んだ。



 思わず目を瞑った桐華の身体を、ふわりとした浮遊感が包み込む。

 まるで天使によって空の彼方へと連れて行かれるような、そんな感覚が桐華を抱きしめる。



 痛みはない、これが死というものだろうか。




「起きろ黛、またオデコにラクガキするぞ」




 桐華がゆっくりと目を開くと――。

 ――グリーンのマスクが太陽の光に輝いていた。



 その男は桐華の身体を優しく抱いて、空港ターミナルの屋上にフワリと降り立った。



「ほう、“さかしら”がひとり増えおったか……」

「いやーはっはっは、俺を褒めても何も出ませんよ守國長官。接骨院で受付のお姉さんに言ったら、お薬多めに出してもらえるかもしれませんけどねえ」

「口ばかり達者な軟派男め……最近の怪人はお前のような腑抜けばかりだ」

「あちゃー、そりゃ大変だ。世の中俺みたいないい男だらけになったら、いい女の取り合いになっちまう」


 林太郎は傷ついた桐華をそっと下ろすと、優しくその手を取った。

 それは彼女への労いであると同時に、戦闘継続の意思確認でもあった。


「なあ黛、満身創痍のところ悪いんだけどさ、南極でキングビクトリーを墜としたレーザーってまだ撃てる?」

「……一発だけなら、撃てると思います」

「よーし上出来だ。なにせあの爺さんを黙らせるには、ちょっぴりカードが足りなくてね。ゆっくり休めって言ってやれなくて悪いけどさ」

「構いませんよ。センパイの無茶ぶりには慣れていますから」


 桐華は林太郎の手を握り返すと、その腕に体重を預けて立ち上がった。

 ふたりの怪人はお互いを信頼という糸で固く結び合い、最古のヒーローと対峙する。


「覚悟は決まったとみていいな。本気でいかせてもらうぞ怪人ども」

「それじゃあご老公には、そろそろ引退していただきましょうかね」


 ヒーロー本部と怪人たちによる、第2ラウンドのゴングが鳴り響いた。



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