第四十九話「怪人・栗山林太郎」

 ヒーロー本部、ビクトレンジャー秘密基地。

 椅子いすに座ってひざかかえるひとりの少女がいた。

 うれいをびたスカイブルーのひとみは、なにを見つめるでもなくそらおよぐ。


 まゆずみ桐華きりかは自身の未熟みじゅくさを痛感つうかんしていた。


 敬愛けいあいする師匠ししょうであり、同時に最大の敵でもあった栗山くりやま林太郎りんたろうの死亡報告を受けてから|というもの。

 毎日毎夜まいにちまいよかたきの首をね飛ばすことだけを考えてきた。


 その自分がいざ極悪怪人デスグリーンを目の前にして。

 こうして剣をまじえたにもかからわず、なぜどちらもまだ生きているのか。


 桐華はたとえ止められようとも、林太郎のかたきちがえる覚悟かくごであった。


 だが桐華にはわかるのだ、たとえ復讐ふくしゅうげたところで自身の心が晴れることはけしてないということが。

 だからといって、どうして心の内側からとめどなくあふれ出るマグマのようなこの衝動しょうどうに逆らえようか。


 かつてなにごとにもらぐことのなかった自分の心が、これほど義憤ぎふんに支配されるとは。

 桐華自身、思ってもみなかった。


「……センパイ……」


 そうつぶやく桐華の手に握られているのは、栗山林太郎の名が刻まれた緑のネームプレートである。

 弟子きりか師匠りんたろうつなぐ、いまや唯一ゆいいつとなる林太郎の遺品いひんであった。


 いまにも泣きだしそうな桐華の目の前に、マグカップが置かれる。


「コーヒーです。黛さん、まだに落ちませんか」


 相変あいかわらず無表情な朝霞あさか司令官の問いかけに、桐華はだまって顔をせた。

 朝霞が撤退てったいを判断したことにも、理屈りくつの上では正しかったと納得しているつもりだ。


「……私は、やりそこないました」

成果せいかとしては十分じゅうぶんです」

「デスグリーンを仕留しとめられなかったんですよ? それを……」


 朝霞に食ってかかったところで、なにかが変わるわけでもないことはひゃく承知しょうちだ。

 しかし頭で理解できても、心がついてこないというのは桐華にとってはじめての経験であった。


 そんな桐華をたしなめるように、朝霞はコーヒーに砂糖を入れる。


撤退命令てったいめいれいくだしたのは私です。あなたにはありません」

「……でも、私があのとき相討あいうちに持ち込んででもデスグリーンを倒していれば……!」


 朝霞はまゆをわずかに動かすと、ゆかひざをつき、桐華と同じ高さに目を合わせた。


「私たちヒーローの職責しょくせきは、ただ一時いっときの平和と秩序ちつじょを守ることではありません。守り続ける・・・・・ことです。そのためにはあなたの力が必要です」


 朝霞は桐華の目をまっすぐ見据みすえて言葉を続ける。


「黛さん。あなたの生命に危険がおよぶならば、私はまた撤退命令をくだします。もちろんそれが私の仕事だというのもあります。しかしこれにはあなたに対する、私の個人的な感情もふくまれています」


 それなりに長いキャリアを誇る朝霞司令官は、桐華にとっては大先輩である。


 だがその激励げきれいは、上司としてではなく、先輩としてでもなく。

 朝霞自身の心から出た声であると、桐華は感じた。


「…………はい。もうわけ、ありませんでした」

「ご理解いただけたようでなによりです。めないうちに飲んでください」


 それは朝霞なりの気遣きづかいだったのかもしれない。

 言うだけ言うと、朝霞は部屋を後にした。



 いま勝つことよりも、生きて戦い続けること。

 それがヒーローの使命しめいである。


 仇敵きゅうてき一矢いっしむくいるのではなく、たましいまでも背負せおって戦い続けること。

 それがきっと、桐華にできる、栗山林太郎への唯一ゆいいつ恩返おんがえしなのだ。



「私が、ぐんだ……センパイの、遺志いしを」



 桐華は決意をあらたに立ち上がると、コーヒーを一気に飲みした。


「あっま……」


 朝霞がれてくれたコーヒーは、ほとんど砂糖の味しかしなかった。




 …………。




 ビクトレンジャーがほぼ無傷むきずでの撤退に成功したいっぽう、アークドミニオン側の被害は甚大じんだいであった。


 林太郎が救援きゅうえん要請ようせいしたことで、ベアリオン、ウサニー大佐ちゃん、そしてビルに砲弾として突っ込んだサメっちは回収された。

 しかしいずれも五体無事ごたいぶじとは言いがた惨状さんじょうである。


 アークドミニオンの怪人の中でも驚異的な回復力を誇るサメっちはともかく、他ふたりの容体ようだいはきわめて深刻しんこくだ。


「グヌウウウゥゥゥゥ……!」

「はぁっ……はぁっ……ベアリオン様ァ……!」


 桐華が“クロアゲハ”にってもちいた毒は、対怪人用に調整された劇薬げきやくである。

 アークドミニオン地下秘密基地の医務室に運び込まれたふたりは、見る見るうちに弱っていった。


 が失われつつある百獣軍団のトップとナンバーツーを、林太郎とみなとは必死に看病していた。


「あわわわわ、大変だ! このままだとふたりとも死んでしまうぞ! 百獣軍団壊滅の危機じゃないか!!」


 湊の心配はもっともである。


 百獣軍団は知ってのとおり、“家族かぞく”としょうされるはがねきずなによってむすばれている。

 しかしそれは百獣将軍ベアリオンという、中核ちゅうかくとなる存在がいてこそのものだ。


 トップのベアリオンと、ナンバーツーのウサニー大佐ちゃん。

 このふたりが同時に倒れるようなことがあれば、の強い百獣軍団の面々めんめんをまとめられる者はいなくなる。


 ことは百獣軍団だけの問題ではない。

 アークドミニオンという怪人組織そのものが、壊滅の危機にひんしていた。


「なんとしても、ふたりを死なせるわけにはいかない。考えろ考えろ考えろ……」

「うう、どうやっても傷口きずぐちがふさがらない。なあ林太郎、これも毒のせいなのか……? 解毒剤げどくざいでもないことには、もう長くはもたないぞ」

「解毒剤……くそっ、毒にくわしい怪人でもいれば……」


 林太郎の脳裏のうりにたったひとり、誰よりも毒に精通せいつうしているであろう怪人がかび上がった。


 しかしたしてその人物の協力を取りつけることができるだろうか。

 おそらく相当きびしいだろう、どれほどの対価を要求されるかわかったものではない。


「アニキぃ……」


 医務室にみっつならんだベッドの一番はしで、サメっちが弱々よわよわしくつぶやいた。

 林太郎はサメっちの手を取り、身体からだをじっとりと湿しめらせる汗をいてやる。


「サメっち、まだ動いちゃいけない。骨も何本か折れてるんだから」


 さすがの物理ぶつり耐久力たいきゅうりょくを誇る怪人とて、自身を砲弾として撃ち込むような無茶をすれば骨だって折れる。


 サメっち本人いわく、この程度であれば二日ふつかもあればなおるそうだ。

 相変あいかわらずバグった回復力であるが、再生のためにも現在は絶対安静ぜったいあんせいである。


「オジキと……ウサニー大佐ちゃんを、助けてッス……」


 怪人の少女はボロボロになりながらも、仲間の命を助けてほしいとうわごとのように懇願こんがんした。

 林太郎がサメっちの患部かんぶれると、人間ではありえないほどの熱をねつびているではないか。


 これほどの傷を負いながら、自分のことについては弱音よわねのひとつもかないサメっちを見て、林太郎の心がズキンといたんだ。


「アニキ……お願いッス……」


 林太郎はだまってサメっちの頭をなでた。


 怪人である少女に対して、ここまで同情してしまっている自分。

 自身が人間であることを隠し続けていることへの背徳感。

 そういったものが林太郎の心をめつける。



 黛桐華と対峙たいじしたあの瞬間、彼女ならば栗山林太郎という存在に気づいてくれるのではないかという期待が、ほんのわずかに頭をもたげた。

 しかしそれにもして脳裏をよぎったのは、自分をもてはやす怪人たちの姿である。


「デスグリーンさんサイコー!」

「デスグリーン様ステキー!」

「アニキ、かっこいいッスー!」


 最凶さいきょうの怪人、デスグリーンという“居心地いごこちさ”のかげで。

 栗山林太郎というひとりの男の存在は、あまりにも孤独こどくであった。


 林太郎のふところには、いつも二種類の手榴弾しゅりゅうだん常備じょうびされている。

 非殺傷ひさっしょう閃光手榴弾フラッシュボムと、殺傷力さっしょうりょくの高い通常の手榴弾である。


 林太郎はあのときとっさに、非殺傷フラッシュボムのピンを抜いた。


 もし桐華が怪人で林太郎がヒーローであったならば。

 あるいは林太郎が心のずいまで怪人であったならば。

 果たして栗山林太郎という男はどのような選択をしただろうか。


 怪人として生きる覚悟を決めたはずなのに。


 わがままなおのれの正義をつらぬき通すと。

 社会正義を敵に回してでも、自分自身の小さな平和を守るのだと。

 自分でそう選んだはずなのに。


 林太郎はまだ、人間であることをあきらめきれず、怪人にもなりきれずにいる。

 その中途半端ちゅうとはんぱな覚悟の挙句あげくが、これだ。


 こんな自分が、サメっちの兄貴分あにきぶんとして相応ふさわしいのだろうか。

 ふと、そんなことを考えてしまうのだ。



「……ッスゥー……ッスゥー……」



 怪我の修復しゅうふく相当そうとう体力を消耗しょうもうしているらしく、気づくとサメっちは小さな寝息ねいきを立てていた。

 林太郎はサメっちに布団ふとんをかけてやると、腹をくくって立ち上がった。


まかせとけサメっち、この極悪怪人デスグリーンが必ずふたりを救ってやるさ」


 その声は眠っているサメっちにはとどかない。

 だが林太郎は自分に言い聞かせるよう、力強ちからづよくそう言いはなった。


 サメっちの願いをかなえるべく、林太郎はみなとにこの場をたのみ、医務室をあとにする。


 向かうべき先は、すでに決まっていた。

 問題は“かれ”がこちらの要求に応じてくれるかどうかである。




 …………。




 一時間後、林太郎は調布ちょうふ植物園しょくぶつえんおとずれていた。


 大きなアーチをくぐると、むわっとした熱気と濃密のうみつな花のかおりに包まれる。

 ドーム型の温室おんしつには、冬だというのに色とりどりの花が咲き乱れていた。


 温室の中央にえられたテーブルには、すでにティーセットが用意されており、ひとりの男が着座ちゃくざしていた。

 真っ白な椅子に腰かけるさまは、まるではねを休めるちょうみたく、時間や重力といったこの世の摂理せつりから切りはなされているかのようだ。



 “その男”は、林太郎をひとめ見るやいなや、大げさに天をあおいでみせた。


 しかしそれが本意であるのか、それとも演技なのかはわからない。

 なぜならその男の顔は上半分がパピヨンマスクによってかくされており、表情はほとんど読み取れないからだ。


 サーカスのマジシャンを彷彿ほうふつさせる派手はで衣装いしょうをその痩身そうしんにまとった男は、林太郎に座るよううながした。


 そしてき通るような美しい声を響かせる。


祝福しゅくふくときたれり。おおいなるやみ邂逅かいこうせしおり太陽たいようはそのかくし、よるよるつか逢瀬おうせよろこびをうたうであろう」

「ザゾーマ様は『よくぞ来てくれた。まずは座って紅茶でも飲みながら話そう』とおっしゃっています」

「話そうって言うわりには、まるで会話する気がないように見受けられるんですが」


 アークドミニオン最高幹部のひとりにして毒をあやつる専門家・奇蟲きちゅう将軍ザゾーマの口元くちもとは、優雅ゆうが微笑ほほえんでいるように見えた。



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