第29話 陛下との時間

「戻ったぞ、ヘレナ」


「お帰りなさいませ、ファルマス様」


 夜。

 ファルマスは宣言通り、離宮の方へと戻ってきた。

 基本的には、皇族の寝所しかない離宮である。ヘレナが入宮する前は、皇帝であるファルマス、皇太后ルクレツィア、皇妹アンジェリカの部屋しか存在せず、他の部屋については全く使われていないという勿体なさだった。軽く五十部屋くらいはあるというのに。

 ちなみに、そういう事情もあってヘレナとファルマスは、寝る部屋は別々である。ファルマス曰く、「誰かと共に寝るというのも慣れぬものであろう」とのことだったが、軍のテントで雑魚寝をしていたヘレナからすれば、全く共感できなかった。


「この二月ほど、お変わりはなかったですか?」


「ああ、帝都は大きく変わりない。宮廷の方も、今のところは平和だ。余がいなくとも宮廷が動く体制は作っているが、まだまだ改良の余地は多いな。それも、向こう五年もすれば落ち着くだろう」


「では五年ほどは、お忙しくされるのですね」


「午後はな。午前は以前と同じように……ああ、そういえばこの件は言っていなかったな」


 こほん、と咳払いをするファルマス。


「以前に後宮で、午前だけ訓練をしていただろう?」


「ええ。一期生から三期生まで訓練を施しておりました」


「実はエカテリーナから強い要望があり、午前だけ後宮の中庭に入ることを許可した。以前と同じように集まり、以前と同じように訓練を行えるようにしている。そなたも時間があれば、午前だけでも後宮に向かうといい」


「なんと! ありがとうございます!」


 ファルマスの言葉に、ヘレナは笑顔で答える。

 正直、ヘレナも気にはなっていたのだ。自分が訓練を施すことがなくなり、彼女らが自主訓練だけで大丈夫なのかと。

 それに訓練というのは、誰かと共に切磋琢磨することができる。自分一人では続けることができない苦行も、誰かと一緒に行うからこそ耐えられるということもあるのだ。

 そういう点では、要望を出したエカテリーナ、許可を出したファルマス双方に感謝すべきだろう。


「先日から、毎日行われている。余も時々は参加するようにしているが……カトレア、レティシア、ウルリカ、ケイティあたりは毎日来ているな。タニアとエカテリーナは、軍の方が非番の日に来ているようだ」


「なるほど。確かに二人は、紫蛇騎士団に所属していますからね」


「ああ。余も何度か手合わせをしたが……全員、随分と強くなったものよ。特にタニアなど、かつては素人だったと思えぬ槍捌きだ」


「……早く、戻ってやらねばならないですね」


 うん、とヘレナは頷く。

 国の事情で色々あり、現在はかつての『紫蛇将』アレクサンデルが紫蛇騎士団を率いている。だが本来、現在の『紫蛇将』はヘレナだ。

 新兵訓練ブートキャンプもひと段落したことだし、そろそろ顔を出してやるのもいいかもしれない。

 だがそんなヘレナの言葉に、ファルマスが僅かに眉を寄せた。


「……その件なのだがな」


「はい?」


「『紫蛇将』は、他の者に任命しようと考えている」


「なっ――!」


 思わず、ヘレナは立ち上がる。

 あまりにも予想外なことを告げられ、目を見開く他になかった。

 ヘレナが今まで、ずっとなりたかった将軍という立場。八大将軍の一人として、この国の武の頂点に、ようやく立つことができたというのに。

 何故、そのような――。


「落ち着け、ヘレナ」


「落ち着いていられません! 何故ですか!? 私は何の咎も犯していないはずです!」


「無論だ。そもそも、ヘレナは赤虎騎士団の副官をしていた時点で、次の八将と呼ばれていた。そなたの武を超える者は、現在の副官には存在しない」


「でしたら!」


「だが、少々事情があってのことだ。まずは座ってくれ」


「……」


 ファルマスに諭され、ヘレナはひとまずソファに腰掛ける。

 ようやく掴んだ、将軍の座――それが、ろくに指揮することもなく失われる。その喪失感に、体が震えた。

 何故、何故――。


「これは、余としても頭の痛い話なのだがな……」


「ええ……」


「そもそも宮廷と軍部は、完全に切り離されている。軍部は軍部で権力を持ち、国防の際には宮廷の方から軍部に要請を行い、出陣してもらう形だな。そして余の命令とはいえ、軍部は要請を断ることもできる」


「……そうなのですか?」


「そうだ。出陣するほどの必要性がないと軍部が判断したときには、断られることもある。また同じく、軍部の方が手一杯で動けないときも同様だ。例えば……そなたが禁軍を率い、リファール王国の軍を撃退したときがあっただろう?」


「ええ」


 ヘレナは頷く。

 後宮に入る前、最後に行った戦だ。脆弱な禁軍を先頭を駆けて率い、『暴風』と名高かったガゼット・ガリバルディを撃破したあの戦は、ヘレナもよく覚えている。


「あのときも、軍部に援軍を要請したのだ。だが、二正面作戦を行っている状態であったため、軍部の方からは断られた。騎士団の一つも派遣できぬ、とな」


「……むぅ」


「それについては、仕方のないことだ。元より軍部と宮廷は対等だ。悪辣な皇帝が自身の権力によって軍を動かさないよう、分立している」


「……それは、理解できましたが」


「ゆえに……皇族が八大将軍の一人として存在していることは政軍分立の違反である、という意見が出てな」


「なっ……!」


「そなたには皇族としての実権を与えぬことで、将軍として在籍してもらおうと考えていたが……軍部曰く、それにより政軍分立が揺らぐ危険もあり、また皇帝の一存で騎士団を動かすことができるようになってしまう、と言われた。この意見については、確かにその通りだ」


「……」


 順を追った説明に、ヘレナは何も言えない。

 そんなことを言い出したのは、恐らく軍の幹部――老将たちだろう。八大将軍を超えて存在する軍幹部は、頭が固いことでも有名だ。


「ゆえに、『紫蛇将』を退いてもらいたい」


「……納得、いきかねます」


「無論、ただ退けと言うわけではない。代わりの地位は用意してある。まぁ、以前に話したことではあるが……」


 ファルマスは再び咳払いをして。

 そして、にやりと笑みを浮かべた。


「来年から、帝都の郊外に建設した学院に生徒を募集する。そなたには、その学院長を任せたい」


「えっ……!」


 あまりにも予想外すぎる、そんな言葉に。

 ヘレナは再び、目を見開く他になかった。

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