第11話 皇帝陛下の許可
「ファルマス様。私は、禁軍への軍事指導を行いたいと考えております」
「うむ。良かろう」
「へ……?」
その日の夜。
ヘレナが離宮に住むことになって初めて、宮廷から離宮の自室へと帰ってきたファルマスが、至極あっさりとそう許可を出した。
あまりにもあっさり言われたために、ヘレナの方が逆に思考停止したほどである。
「……あ、そ、その、ファルマス様」
「うむ」
「禁軍の将軍……ええと、クリスティーヌには、改めて正式な要請書を出してもらうつもりではあるのですが……」
「ふむ……まぁ、確かにそういう書類も、ないよりはある方がいいだろう。だが、別段余の許可を得る必要などない。ヘレナが勝手に始めてくれていいぞ」
ファルマスはそう、面倒くさそうに告げて。
それから、大きく溜息を吐いた。
「大体、後宮もそうだったが……離宮の在り方も変えねばならんとは思っていたのだ」
「……そうなのですか?」
「当然であろう。離宮に入った女は里帰りも許されないなど、あってはなるまい。このような悪法は、余の代で改善していかねばならん。公務以外で外出を禁じるなど、かごの鳥を飼っているようなものだろう」
「……」
理解のある皇帝である。
ヘレナ自身、「皇族の女は離宮から出ることができません」と言われたとき、皇后を返上したいと考えたほどだ。
たいした理由もなく、ただ『危険だから』という理由だけで外出を禁じられるなど、それこそ息が詰まる。
だからこそ、ヘレナは後宮にいた頃も好き勝手に振る舞っていたわけだが――。
「ふぅ……しかし余も、離宮へやってきたそなたと会うのに、これほど時間がかかるとは思わなんだわ」
「……まぁ、確かにそうですね」
「まったく、執務が溜まっているとアントンに拘束されてな……さすがに、長い休暇を取り過ぎた」
「……お疲れ様です」
三日ほど前から離宮にいるヘレナだが、今日までファルマスの訪れはなかった。
やはり皇帝だし、忙しいのだろうとは思っていた。しかし、それ以上にヘレナは疑問に思ったことがある。
もしもヘレナではなく、別の皇后がこうして離宮に来た場合、どうしていたのだろう。
ヘレナのようによく知っている侍女がいるわけでなく、ヘレナのようにアンジェリカと鍛練仲間というわけでもなく、誰一人知り合いもいない空間。そして、そこに入った者は徹底的に外出を禁じられる。加えて、皇帝は忙しい身だからなかなか来ない。
それこそまさに、息が詰まるとファルマスが評するのが当然の待遇だ。
「だが、アンジェリカからの提案はまだしも……今後、そなたが軍から招聘されることは多いだろう。余としては、まだ時間はかかるだろうが、『紫蛇将』には復帰してもらうつもりだ」
「そう言っていただけると、ありがたいです」
「ああ……そうだな、今後軍から招聘があった場合、それを公務ということにして良い。無論、招聘がなくともそなたが、軍の様子を見に行きたいなどの場合も、公務という扱いで良かろう」
「……それは、よろしいのですか?」
思わぬ言葉に、ヘレナは目を見開く。
紫蛇将に復帰できるということも嬉しいけれど、同時にそれはヘレナに対して、『自由な行動を許す』と宣言しているようなものだ。何せヘレナが外出したい案件は全て軍関係であり、その軍関係のこと全てを公務扱いにできるのだから。
しかし、そんなヘレナに対してくくっ、とファルマスが笑みを浮かべた。
「構わぬ。余人に何かを言われた場合は、余が許可したと伝えよ」
「……では仮に、一月の
「確かにあれは、禁軍の弱卒には必要かもしれぬな。その場合、余に事前に伝えてくれ。特に書面などに残す必要はない」
おぉ、と思わず感嘆の声が漏れそうになる。
なんと懐の広い皇帝だろう。
「そなたは、歴代の皇后の中でも、非常に特殊な部類に入る」
「……特殊な部類、ですか?」
「ああ。基本的に皇后というのは、大貴族の娘か、もしくは他国から嫁いできた要人がなるものだ。余の母も、かつては公爵家の生まれだ。そなたの実家の家格が低いとは言わぬが……本来、外出を禁じるのはそういう者に、自由を与えぬためでもある」
「……」
特殊な部類と認定されたことを、喜ぶべきなのかどうかは分からない。
だけれど、確かに他国から来た姫君が皇后になった場合など、下手に自由を許せば本国に帰るかもしれないし、それでなくとも国の情報を流されるかもしれない。
だからこそ、かごの鳥として囲う――。
「だが余は今後、そなたに皇后としての任務を与えないつもりだ」
「……どういうことですか?」
「そう急くな。現状、皇后の責務というのは存在しない。余が出ることのできぬ式典、余が向かうことのできぬ訪問、余が出席できぬ会合……そういったものに、代理で向かうのが皇后という役職だ。皇后そのものが持つ権力というのは現状、存在しない」
「……ふむ」
「だが、そなたは『紫蛇将』であり、軍における卓越した手腕の持ち主だ。であらば、下手に宮廷における政治に関わらせるのは、百害あって一利ない。ゆえ、宮廷における政治の面を余が担当し、軍事の面をそなたが支えていく形にするのが良かろう。それは禁軍のみならず、警察機構も含まれる」
「……」
どうしよう。
何を言っているのかさっぱり分からない。
ヘレナがそう、神妙な面持ちで眉を寄せていると、ファルマスが僅かに微笑みを浮かべた。
「そなた、分かっておらぬな?」
「……いえ、そのようなことは」
「隠さずとも良い。そなたとも付き合いが長くなったからな……なんとなく分かったぞ。そなたが神妙そうな顔をしているときは、大抵分かっておらぬ」
「うっ……」
はははっ、とファルマスが快活に笑った。
だけれど実際、その通りなので何の反論もできない。
「まぁ、細かいことは考えずとも良い。余に、そなたに負担を強いるつもりがないということだけ覚えておけば良かろう」
「は、はぁ……ありがとうございます」
「本来、戦場で咲くべきそなたという野の花を摘んだのは、余の責だ。であらば花瓶の中でもせめて自由を与えるべきが、余にできる唯一のことであろうよ」
「……」
ファルマスがそう、詩的に言ってくれる言葉も。
やっぱり、ヘレナにはその意味がよく分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます