第4話 後宮に入れたはずの娘が脳筋になって帰ってきた実家の話~マリエル編~ 前

 ガングレイヴ帝国の中でも、最大と言っていい規模を誇る商会――それが、アン・マロウ商会である。


 元々はアンジェラ・リヴィエール、マロウルート・リヴィエールの姉弟がその始祖とされる、ガングレイヴ帝国がまだ小国だった頃に後ろ盾となり援助をした商会だ。

 そのためガングレイヴ帝国が大陸に覇を唱えるようになって後に、帝国の御用達商会という立場となり、どんどんその商会の規模を拡大してきたのだ。現在はガングレイヴ帝国のみならず、諸外国でもアン・マロウの看板を見かけるほどに拡大している。

 そして、当代アン・マロウ商会長が宮廷に対して多大な献金を行ったため、その見返りとして男爵位を叙爵された。ゆえに現在、リヴィエール家は貴族家の一つとして並べられている。

 もっとも、そういった経緯があるせいで古参の貴族からは「爵位を金で買った家」と陰口を叩かれているけれど。


「会長、今月の収支でございます」


「うむ」


 そんなリヴィエール男爵ことアン・マロウ商会長――ケインゼム・リヴィエールは今日も、いつも通りに部下から渡された収支報告書に目を通していた。

 莫大な資金力を後ろ盾に、アン・マロウ商会で揃わないものはない、と言われるほどに広く様々な物品を取り扱っている。さらにアン・マロウ商会では物品のみならず、傭兵の仲介や人材派遣など、そのあたりの仕事も手広く行っている。帝国全土に根を張る奴隷商人の、その元締めもまたアン・マロウ商会だといえばその手広さが分かるだろう。

 ゆえに現在でも、ガングレイヴ帝国における商会の中では、不動の一位となっている。


「砂の国に派遣した者は?」


「あまり、色よい返事を貰うことはできなかったそうです。現状はまだ、帝国ともほとんど繋がっておりませんので」


「だが、陛下と向こうの第一王子が友誼を深めているという情報もある。引き続き、ダインスレフには使者を送れ。あそこの鉱石を帝国で販売できる権利が手に入れば、さらに事業を拡大できる」


「承知いたしました」


 ケインゼムは自分の秘書――アイリーンへとそう告げて、顎髭を撫でる。

 全体的に、収支としてはやや下がっている状態だ。だが、それは戦争が一段落したことで、軍事物資の方の利益が下がっただけに過ぎない。ここからは、まず食料品や日用品などの需要が上がっていき、次第に娯楽産業が上がってくるだろう。

 そのあたりの市場の動向を読むのも、また商会を牽引する者としての役割だ。


「うむ、では以上だな。他に何かあるか?」


「はい。本日は、全てのスケジュールをキャンセルしております」


「ああ、何せ、ようやく帰ってくるからな」


 ふっ、とケインゼムは笑みを浮かべる。

 今日は、一時的に後宮から娘が帰ってくる日なのだ。ガングレイヴ帝国皇帝、ファルマスより近々後宮を解体するという旨を、後宮に入っている側室たちの身内にだけ明かされた。そして、その上で選択を迫られている。

 皇帝の仲介する縁談を受け入れるか、それとも断るか。

 何せ後宮に入っていたということは、仮に事実関係がなかったとしても、対外的には傷物になったと判断される。つまり、清い体を求める貴族家との婚姻は、もう望めないということだ。

 そのため、後宮から出された側室に対する縁談は、皇帝が責任を持って仲介する――そういう話である。


「お帰りは、本日の夕刻になると伺っております」


「ああ。まぁ、久しぶりに会う娘だ。今夜くらいは、親子水入らずで過ごすことにしよう」


「承知いたしました。では、私はこれで失礼いたします」


「うむ。アイリーンものんびり休んでくれ」


 現在、ケインゼムがいるのはアン・マロウ商会本部――つまるところ、ケインゼムの屋敷だ。

 基本的には報告など、全てこの屋敷までやってくる。だが今日だけは、全ての報告を明日に回すように、全ての組織に伝えてあるのだ。それは全て、今日がケインゼムの娘――マリエルが帰ってくる日であるために。

 そしてケインゼムの妻――マリエルの母であるミュセルは、既に亡くなっている。


「ふぅ……」


 ミュセルが亡くなったのは、まだマリエルが物心も付いていない頃だ。

 当時はまだケインゼムが父、マロウルートから受け継いだ商会の地盤も強くなく、各地に奔走していた。そのために、ケインゼムがミュセルの訃報を聞いたのも、取引先でのことだった。そして、なかなかまとまらなかった取引のせいで、帰ることができたのはミュセルが亡くなって七日後――既に、彼女が埋葬されていたときだった。

 どれほど、子供たちには金に汚い人間に見えただろう。

 だけれど、ケインゼムはアン・マロウ商会長という立場だったし、その立場には従業員を背負っている。そのため、少しでも商会を安定させなければと必死だったのだ。


「しかし、娘を皇后にすることができなかったのは残念だったな」


 まだ明るい外を見ながら、ケインゼムは小さく呟く。

 元々男爵家であるリヴィエール家に、娘を後宮に入れる義務はなかった。そのため、本来ならば回避することのできた後宮入りだった。

 だが、ここで問題になったのが、親交のあった貴族からの後押しだ。

 彼らは後宮での力関係が、宮廷での力関係にもまた繋がるということをよく分かっていたし、当時の相国ノルドルンド侯爵から既得権益を少しでも奪おうとしていた。その槍玉に上がったのが、下級貴族でありながら財力ではどこにも負けないリヴィエール家だったのである。

 そのために、ケインゼムは愛娘を後宮に入れざるを得なかった。

 勿論、この後宮入りに対しても、「金に加えて娘まで差し出して権力が欲しいのか」と陰口を叩かれたけれど。


「まぁ、もうそろそろ帰ってくるだろうし……」


 よいしょ、とケインゼムが重い腰を椅子から持ち上げて、擦る。

 既に四十にもなったし、体の節々が痛むのは毎日のことだ。それほど不摂生をしているつもりはないけれど、やはり机での仕事が多いからだろう。

 少しくらいは運動するべきかもしれない――そう思っていた矢先。

 ばんっ、と強くそんな執務室の扉が開かれた。


「むっ!?」


「会長! 申し訳ありません! 大変です!」


「どうした!?」


「何者かが、侵入しました! 門番の兵士が、既に倒されております!」


「何だと!?」


 リヴィエール家は、帝国でも一番の金持ちだと言っていい。

 その分、こうしてその金を狙う者が侵入してくることもある。そのために、ケインゼムは少なくない金を払って、腕利きの者に屋敷の警備を任せているのだ。

 そんな門番の兵士が、既に倒されている。その侵入者は、かなりの腕だと考えていいだろう。

 かんかんかん、と屋敷に備えてある鐘が鳴り響く。

 これは侵入者が現れたとき、警備の者全員に分かるように備え付けられたものだ。つまり、既に侵入者は屋敷の中に――。


「むっ……!」


 そんなケインゼムが、窓から外を見下ろす。

 そこは玄関から屋敷まで続く道――その向こうにある門では、確かに二人の兵士が倒れている。

 そして、見える位置で兵士に囲まれながら、棒を振るっている女が一人。


「……え?」


 しかし、意味が分からないことに。

 そんな風に兵士に囲まれながら棒を振るっていたのは。


 ケインゼムの愛娘――マリエル・リヴィエールだった。

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