第128話 紫蛇騎士団へ

「やっているか」


「はっ! 将軍!」


 ドラフト会議を終えて、ヘレナはまず帝都の東にある紫蛇騎士団の駐屯所へと顔を出した。

 帝都の四つの門には、それぞれ八大騎士団の駐屯所が二つずつ設けられている。それは四方を守護するためであり、いざ他国からの侵略などあったときに、最も近い門にいる騎士団が派遣されるためだ。そして帝都の南門を守る赤虎騎士団と青熊騎士団のように、有事の際には併設されている騎士団同士が連携する必要がある。

 そして、紫蛇騎士団と共に駐屯所を併設されているのは、金犀騎士団だ。帝都の東――大国ダインスレフが侵略してくる可能性はほとんどないだろうし、北東に位置するガルランド王国とも友好的な関係を築けている状態であるため、こちらに侵略する敵国も存在しない状況ではあるが。

 それでも、いくら北方も南方も戦時より落ち着いている状況であるとはいえ、騎士団は常に鍛えておかねばならない。そして、将軍というのは常に己の騎士団の状況を把握しておかねばならないのだ。

 現在は後宮にいる身であるとはいえ、昼間は騎士団に顔を出さねばならない。


「うむ……うむうむ」


 もっとも、受付の兵士に「将軍!」と呼ばれただけで、にやけてしまうのだが。改めて、自分が将軍になったのだと実感する。

 そんなヘレナの姿を見て、受付の兵士が首を傾げていた。おっと、と緩む口元を押さえて、毅然とした態度で言う。


「執務室に行く。副官、ならびに補佐官はいるか?」


「はい。お三方ともに駐屯所におられます」


「では、全員執務室に来るよう伝えてくれ」


「承知いたしました」


 ちなみに、ヘレナがこの紫蛇騎士団の駐屯所に来るのは二度目だ。

 一度目は、前任のアレクサンデル・ロイエンタールから引き継ぎを行ったときである。そのときには、駐屯所のある程度の案内、それに将軍が処理するべき書類などについて教わっただけだ。

 そして折悪く、そのときには副官、補佐官ともにどこかへ赴いていたらしく、不在だったのだ。アレクサンデルから、「後日また顔合わせの機会を設けましょう」とは言われていたが、今日いるのなら構わないだろう。

 そして執務室に到着し、『将軍執務室』と掲げられた看板に口元を緩めて、扉を開いて入る。

 ちゃんと清掃の者が毎日掃除をしているため、整えられた執務室だ。だが、問題はそんな執務机――そこに、何十枚もの書類が積まれていることだろうか。

 本来、毎日出仕して確認しなければならない書類の数々である。


「……二日ほど来ていないだけで、こんなにも溜まるか」


 アレクサンデル曰く、これでも少ない方らしいが。

 将軍の中には、書類仕事に忙殺される者もいるのだとか。中には、副官と補佐官が全く書類に触れる仕事をしないため、全て処理している将軍もいるという。アレクサンデル曰く、「うちは、補佐官がほとんどの書類を捌けるよう教育しておりますので」とのことだった。書類仕事が苦手なヘレナには、大助かりの事実である。

 ひとまず椅子に座り、書類に目を通す。ここにあるのは、補佐官が確認を済ませてから、将軍の確認が必要なものだけだ。三日に一度来る程度で問題ない、とはアレクサンデルから言われたことだが。


「ふむ……」


 ヘレナは積まれている書類の上から、一つずつ確認を始める。

 そして、『補佐官が処理することのできない書類』というのは基本的に厄介なものが多いため、無駄に一枚一枚時間がかかるのが難点だ。

 早速一枚目にあった、『騎士団で採用している装備の新基準に対する耐性の難点』がまとめられた書類を見て、眉を寄せる。どう処理すればいいのかさっぱり分からない。

 うぅん、と暫く唸っていると、扉の叩かれる音がする。


「む……」


「失礼いたします、将軍。副官のカイン・リトワルドです」


「入れ」


 告げると共に扉が開き、そこから入ってくるのは三人の男だった。

 中央にいるのは、長い金髪を後ろで束ねた若い男。ヘレナから見て左手が、やや年のいった壮年の小男。右手は三人の中でも一際身長の高い、筋骨隆々の男だった。

 分かりやすく言うならチビ、チャラ男、マッチョである。


「お呼びとのことで、伺いました」


「ああ」


 中央の男――金髪のチャラ男が言ってくる。声からして、この男が副官のカイン・リトワルドなのだろう。

 同じく、左右の二人もヘレナに向けて頭を下げてくる。


「補佐官、グエン・ラスフォーンと申します」


「同じく補佐官、ベンサム・ドリューと申します」


 小男の方がグエン、筋肉の方がベンサム。

 そんな風に失礼な覚え方をしながら、ヘレナは頷いた。


「諸君らとは初めて顔を合わすが、このたび『紫蛇将』に任命されたヘレナ・レイルノートだ。まだ将軍になったばかりで至らぬことも多いと思うが、よろしく頼む」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。赤虎騎士団とはまたやり方が異なるかもしれませんが、もし疑問に思う点などございましたら、何でも言ってください」


「ああ」


 カインの言葉に、ヘレナは頷く。

 どうやら、将軍が替わったことに対する反発はないようだ。もっとも、この三人も腹の中ではどう考えているか分からないが。

 中にはベテランの副官と補佐官たちが、彼らを飛び越えて将軍になった者に対して、反抗する場合もある。本来、将軍が退役した場合はそのまま副官が将軍になるのが慣例でもあるため、自分の地位を奪われたと考える者も少なくないのだ。

 しかしこの三人は、どこかキラキラとした眼差しでヘレナを見ていた。


「このたびは、我らの方からご挨拶が遅れましたこと、大変申し訳ありません。本来ならばこのように将軍にお呼び出しをいただかずとも、我らの方から挨拶に伺うべきでした」


「それは別に構わない。私が後宮にいる将軍という、特殊な身だ。そのようなことで、諸君らを叱責するような真似はしない」


「ありがとうございます。それで、将軍閣下――」


 すっ、とカインが目を細める。

 それと共に、軽く周囲を窺う。誰か天井裏に潜んでいる者はいないか、扉に耳を傾けている者はいないか。

 恐らく、何か大切な話がある――そうヘレナも判断し、腕を組んだ。


「アレクサンデル前将軍閣下より、我らのことをどう聞いておられますか?」


「……どう、とは?」


「例えば、他の騎士団がやっていない仕事をしている、とかです」


「いや……それは、聞いていないな。私が聞いた仕事内容は、赤虎騎士団と変わらないものだったが……」


「承知いたしました。では、前将軍閣下はお伝えする必要がないと判断されたのだと思います」


「ほう」


 既に引き継ぎは終わり、現在の『紫蛇将』はヘレナである。そのヘレナに対して、紫蛇騎士団の仕事内容を教える必要がないとは、どういうことだ。

 そこにふつふつと怒りを感じて、ヘレナも目を細めた。


「では、言ってみろ。この騎士団で行っている、特殊な仕事を」


「はい。勿論です。誰に何を憚る必要もございません」


 すっ、とカインが頭を下げ。

 その後、懐から何か小さな木彫りの置物を取り出した。

 その仕草は、後ろにいるグエン、ベンサムも同じく。

 手に持っているのは、小さな人形のような――。


「紫蛇騎士団の裏任務は、この『1/10スケール、ヘレナ様像』の作成でございます」


「……」


「作成後は、レージー商会が買い取ってくださるので、そちらを騎士団の運営資金にあてて……」


「……もう、いい」


 それは恐ろしく細部まで完璧に作られた、ヘレナの木彫り像。

 その無駄に高すぎる再現度、そしてアレクサンデルが完全に騎士団を私物化していた事実に、ヘレナは頭を抱えた。

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