第114話 ヘレナの懸念

「……わたしが、皇家直属の侍女……ですか?」


「ああ。先も申した通りだ。分かったならば退がってよいぞ」


「……」


 アレクシアが、衝撃を隠そうともせずにファルマスへと重ねて問う。

 だけれどファルマスは、その程度のことは分かっているだろうとばかりに、ヘレナの正面のソファへと腰を下ろした。全く残念極まりないが、ヘレナにも何が起こっているのかよく分かっていない。

 アレクシアが、皇家直属の侍女になる。つまり、後宮の女官ではなくなるということだ。


「女官にも、色々と引き継ぎなどあるだろう。すぐとは言わぬ。今月中には参内できるよう準備を整えておけ、女官長」


「は、はっ……陛下。御心のままに」


「では、以上だな。皇家直属といえ、先達は大勢いる。その者たちに教えを乞うように」


「あ、あの、ファルマス様!」


 そこで思わず、ヘレナは声を上げた。

 アレクシアは、この後宮においてヘレナの唯一と言っていいだろう友だ。他の面々が弟子だったり信者だったりする中で、たった一人、ヘレナに自然体で接してくれる相手だ。

 そんなアレクシアを失うわけには――。


「どうした、ヘレナ」


「何故……そのように唐突に、アレクシアが皇家直属に……?」


「決まっておろう。そなたが皇后になる日も近い。そなたが皇族の一人として戴冠したとき、侍女はその者にするよう申したであろう」


「……」


 そういえば、言った気がする。

 皇后になるのはもう決定してしまったし、できれば今仕えてくれているアレクシアを、皇后になった後にも側に置いてくれまいかと。

 アレクシア自身からも、「後宮が解体されてからの就職口はお願いします」みたいな風に頼まれていたし。


 だが、あまりにも性急すぎはしないか。


「それほどお急ぎになられずとも……」


「不服か? ヘレナ」


「い、いえ、そういうわけでは……」


「多少強引な手を使いはしたが、シャルロッテは今、そなたの専属女官だ。加えて、シャルロッテの侍女であるエステルにも、後宮での女官として雇い入れるように働きかけておる。そなたの世話役、二人では足りぬか?」


「……」


 言えない。むしろ、世話役なんていりませんなどと。

 後宮に入るまで、軍人として自分の身の回りの世話は全部自分でしてきたのだ。後宮でアレクシアに色々と無理やり世話をされたせいで麻痺している部分はあるが、本来ヘレナは生きることに他者の世話など必要としない。

 せいぜい、欲しいときにお茶を淹れてほしいなー、とか思うくらいのものだ。


「……承知いたしました、陛下」


「アレクシア!?」


「うむ。いつから参内できる?」


「はい。わたしの仕事について、シャルロッテに改めて引き継ぎを行ってからになりますので、七日ほどいただければと」


「良かろう。その旨、専属侍女長に報せておく」


「ありがとうございます」


 これがファルマスの決定である以上、逆らうことはできない。

 そして、これはヘレナが望んだことだ。皇后という立場になっても、アレクシアには側にいて欲しいと。

 だけれど。

 まさかこんな風に、唐突に別離を言い渡されるなど思いもしなかった。


「それでは、御前を失礼いたします」


 すっ、とアレクシア、イザベルが頭を下げて退室する。

 そんなアレクシアの眼差しは、僅かに寂しそう――。


「ふぅ……残り七日で、どのように教育をいたしましょうか」


 ――なことなど全くなく、むしろシャルロッテにどう引き継ぎをすべきかと燃えさかっていた。とりあえず、心中でシャルロッテの無事を祈るヘレナだった。

 潰さないといいのだが。


「……ファルマス様」


「うむ。どうした、ヘレナ」


「アレクシアが私の……皇后の直属の侍女になるという件、ありがとうございます」


「ああ。そなたも、知った相手の方が気安く接することができるだろう。こう言っては何だが、皇家直属の侍女たちは最低でも伯爵位以上の娘と決まっておる。無駄に気位の高い相手ばかりでは、そなたの身も休まるまい」


「そう、なのですか……」


 それは、随分と狭い門だ。

 少なくとも伯爵位以上の娘しかなれないという事実は、初めて知った。やはり、皇族に仕える者はそれなりの身分が求められるのだろう。

 だが、アレクシアの出自であるベルガルザード家は武の名門であるものの、その爵位はあくまで子爵だ。兄であるバルトロメイが現在の『青熊将』であるということを加味しても、皇族に仕えるに相応しい身分とは言えないだろう。


「ああ、あやつの――アレクシアの爵位が低いことは問題ない。そのあたりは、余がねじ込んだ」


「それは……大丈夫なのですか?」


 ヘレナの脳裏に思い浮かぶのは、無駄に気位だけは高い貴族出身の軍人と、その下につくことになった平民の新兵の姿だ。

 貴族出身というのは大抵の場合、自分の血脈を誇る。そして貴族の出自であるがゆえに、自分を選ばれた者であると考えるのが常だ。そんな風に、己の血脈だけを誇って新兵を虐めていた者も、何人も見てきた。

 特にそれが女の世界ともなれば、顕著だろう。

 侯爵家出身の侍女や伯爵家出身の侍女が寄って集って、アレクシアを虐める可能性もある。たかが子爵の、しかも側室の娘であるというのに、皇后に贔屓されている、と。


「今回の人事について、アレクシアがそなたの侍女であったことは伏せている」


「……そうなのですか?」


「調べたら分かることかもしれぬが、下手な先入観を与えぬようにな。あくまでアレクシアは、余の信頼する八大将軍が一人、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードの妹として雇い入れることになっている」


「ははぁ……」


 なるほど、確かにそれは上手い手かもしれない。

 皇后の贔屓という形ならば嫉妬も受けようが、皇帝であるファルマスの信頼する将軍の血縁を皇家直属の侍女にするのであれば、それほど不自然なことではないだろう。皇族と将軍に繋がりを作るための、あくまでも人柱として雇われたとなれば同情もされるかもしれない。

 そこからヘレナに仕えさせるにあたっても、元軍人の皇后に対して現将軍の妹が仕える――これは、極めて自然な流れだ。


「さすがはファルマス様です。お心遣い、感謝いたします」


「そう言ってくれて何よりだ、ヘレナ」


「ええ。少し、アレクシアが虐められるのではないかと心配してしまったのですが……」


 ははは、と少しだけ照れ笑いを浮かべる。

 そんな風にヘレナが心配しなくても、ちゃんとファルマスは全てのことを考えた上で、判断してくれているのだ。そこに、ヘレナが口を挟む必要などどこにもない。

 どれだけ頭の回転が速いのかと、感心してしまう。


 だが、そんなヘレナの言葉に対して、ファルマスが僅かに首を傾げた。


「あー……ヘレナよ」


「はい、ファルマス様」


「余は、何度もこの部屋に足を運んでおる。そして、よくそなたから女官の……アレクシアの話は、聞かせてもらっている」


「はい」


 ヘレナも同じく、首を傾げる。

 確かに、特に話題がないときなどアレクシアの話もたまにしている。女官としては頼れる相手であるし、この後宮で唯一気を許せる相手でもあるからだ。

 言ってみれば、友人の話をする程度の感覚でファルマスにも話しているわけだが――。


「その、な。そなたから聞いた話しか、余は知らぬが……」


「はい……?」


「……虐められるような女か?」


「……」


 ファルマスの言葉に。

 ああ、虐めとか受けたら百倍返ししそうだなー、とか。そんな失礼な考えが浮かんでしまった。

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