第106話 『銀狼将』の狙い

 報告書に書かれていた内容は、極めてシンプルだ。

 時刻は、昨日の午後。ちょうどヘレナが、午後は基礎鍛錬でもやるかと部屋に引きこもり、腕立て伏せと腹筋と屈伸を繰り返していた時刻である。あのとき、外で走っていればこの凶行は止められたのかもしれない。


 後宮警備のために廊下を歩いていた銀狼騎士団の一員、ユーリが何者かに襲撃を受ける。ユーリの証言により、その相手がご令嬢――『月天姫』シャルロッテであると発覚。

 その後、立て続けに同じく銀狼騎士団の一員、マリカ、ステファニーがシャルロッテにより襲撃を受ける。三人とも、全治一週間程度の軽傷であると医師より診断。

 結局、現場に駆け付けた銀狼騎士団補佐官、ディアンナによってシャルロッテの凶行は止められた、と。

 書かれている内容は、ただそれだけのことだ。


「さて。親愛なるヘレナ様はシャルロッテ嬢の罪を、こう裁きました。禁錮五年が妥当であると」


「……」


「そしてシャルロッテ嬢の保護者に関しては、厳重注意と罰金が必要であると。ちなみに現在、シャルロッテ嬢の実家であるエインズワース伯爵家は、私財没収の上で爵位剥奪、国外追放の憂き目にあっております。現在の保護者は、彼女に武の指南を行った人物であると判断するのが妥当かと考えるのですが」


「……」


 いかがでしょう――そう告げるかのように、ティファニーがヘレナを見る。

 そんなティファニーの視線に、ヘレナは何も返すことができない。

 ティファニーの言っていることが、これ以上ないほどに正論であるからだ。


 少なくともシャルロッテに対しては、何らかの罰を加えなければなるまい。これを馴れ合いで済ませてしまえば、今後第二、第三の事件が起きる可能性もあるのだ。他にも、血の気の多い弟子は多いのだから。

 シャルロッテのやったことを聞けば、マリエルあたりが「その手がありましたわ!」などと言い出しかねない。

 そのためにも、シャルロッテには正当な罰を与える必要がある。

 そしてそれは、弟子を御することのできなかったヘレナも同じく。


「アレクシア」


「は」


「私の分と、ティファニーの分のお茶を淹れてくれ。少しばかり、長い話になりそうだ」


「承知いたしました」


「おや。私にもいただけるのですか。ありがとうございます」


 食べ終わった朝餉をテーブルの端に置いて、ヘレナは口元を拭う。

 ティファニーは確かに、銀狼騎士団でも武において優れた将軍だ。少なくとも、長身のメリアナや巨躯のディアンナが相手でも、五分に戦うことができる存在だろう。

 だけれど、それ以上に評価されているのは彼女の権謀術数だ。

 戦況を読み、最善の手を打つことができる傑物――戦において、ヘレナはティファニーのことをそう評価している。


「しかし、ディアンナから報告は聞きましたが……ヘレナ様は、良い弟子をお持ちですね」


「……ほう?」


「対峙したディアンナから、最近一等騎士に昇進したユーリ程度の実力はあると評価されていました。ユーリももう銀狼騎士団に入って四年になるのですが、シャルロッテ嬢は武を学んで僅か数か月だとか。それで一等騎士と同等の実力を持つことができるのは、確かに才能でしょう」


「ああ……そうだな。少なくとも、私もその程度の実力はあると考えている」


 騎士団は一般兵、二等騎士、一等騎士から構成される。

 入団試験において良い結果を出した者は、二等騎士から始まることもある。だけれど、ほとんどの者は一般兵から始めるものだと考えて良い。

 そしてその中でも、特筆して優れた者だけが一等騎士になることができるのだ。

 ユーリという者も、それだけ優れた結果を出した、優秀な騎士だったのだろう。


「特に、攻撃に対する反応がずば抜けて高いのだとか。第六感と言うのでしょうかね。どんな攻撃に対しても、無意識的に回避を行うことができていたと」


「そうだな。私の弟子でも、無手でシャルロッテに勝てる者はいない。得物を持った他の者を相手にしても、十全に戦える実力は持っているな」


「武闘会を拝見したときから、良い逸材だと思っていたのですよ。素晴らしい腕前だと、ね」


「ほう……」


 アレクシアの淹れてくれたお茶を一口、口に運んで笑みを浮かべるティファニー。

 彼女の狙いは、読めている。

 だが、それだけに厄介なのだ。どうすれば、その目論見を砕くことができるのかと。


「銀狼騎士団の仕事に、皇族の女性に対する護衛もあるのですよ。そして中には、武器を持つことのできない状況というのもありまして。そういった場合に戦えるよう、銀狼騎士団の者には全て、徒手格闘の訓練を施しているのですが」


「……」


「いやいや、しかしヘレナ様の裁可においては、シャルロッテ嬢は禁錮五年ですか。あれだけの才覚を持つ武人を、五年も拘束しておくなど勿体ないですね。素晴らしい徒手格闘の才をお持ちだと思うのですけれども」


「……」


「おや。これは奇遇なことが起こりましたね。禁錮刑は、国営の仕事に従事させることでの代替もできると聞いたことがあります。つまり五年の禁錮ということは、五年の騎士団入隊によって代替できるということ。おっと、これは偶然といえ、素晴らしいことになると思いませんか?


「……」


「徒手格闘に優れた者が、是非欲しいと思っています。我々とは、利害が一致しているのですよ。ヘレナ様」


「……」


 そう、これがティファニーの狙い。

 シャルロッテという武の才能を、銀狼騎士団は欲しがっているのだ。


「待遇は、二等騎士から始めてもいいでしょう」


「……」


「他のお弟子でも、入りたいという方がいれば問題ありませんよ。銀狼騎士団は、全員を歓迎しましょう」


「……」


「さて。いかがでしょう?」


 ヘレナは、考える。

 まだまだ、シャルロッテは強くなるだろう。そしてその才覚は、ヘレナが目覚めさせてやりたい。

 まだまだ、ヘレナは。

 シャルロッテを、鍛え足りていないのだ。


「……この件は、陛下に報告を?」


「いいえ、まだです。ファルマス陛下もお忙しい身。側室の一人が乱心したことまで、お耳に入れる必要はないと思いまして」


「分かった。ならば、私の方から陛下に伝えておこう」


「おや……でしたら、裁可は陛下のお考えに委ねるということでしょうか?」


「ここは後宮だ。私は後宮を任されているが、この後宮を支配するのは陛下ただ一人。ならば、側室の乱心といえど一つの事件だ。陛下にその裁可を任せるのが正しい判断だろう」


「なるほど」


 ゆえに、ヘレナは。

 そんなシャルロッテへの裁可を、ファルマスに任す。


「陛下から、良い返事があることを期待していますよ」


「……ああ」


 ファルマスが是と言うならば、それは仕方ない。

 だがファルマスが否と言うならば。


 その性根ごと、またヘレナがシャルロッテを鍛え直してやろう。

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