第85話 ファルマス、呑まれる

「昨夜はご苦労だった、ヘレナ」


「はい。ファルマス様」


 アーサー、ラッシュ両名を歓迎する宴を終えて、ヘレナが後宮に戻り一夜が明けた。

 本日も普段通りに後宮の新兵たちに訓練を加え、新たに様々な才能を発揮した三期生たちの指導も行いつつ、ヘレナ自身も普段通りの鍛錬を行っている。

 やはり、昨夜あまり深酒をしなかったのが良かったのだろう。

 その代わりに今、ファルマスとヘレナの前にはそれぞれ、琥珀色の酒が注がれたグラスが置かれているが。

 ちなみにこちらは、とても飲みやすいというのに度数は高い、いつぞやにヘレナが飲み干したレイルノート家御用達の高級酒である。マリエルに言って用意させたものだ。


「しかし、昨日の武闘会は良い盛り上がりだった」


「はい。私の弟子たちの力を、存分に見せることができたと思っております」


「うむ。八大将軍からも、何人か軍に欲しいと言っていた。もっとも、『碧鰐将』の馬鹿はアンジェリカを軍に欲しいなどとたわ言を抜かしておったがな」


 ははっ、とファルマスが笑いつつ、酒杯を傾ける。

 さすがに現皇帝の妹御であるアンジェリカを、軍に入隊させることなどあるまい。少なくとも、皇族の仕事はそういうものではないのだから。

 だがアンジェリカ以外の面々については、実際の軍に入隊させてみるのも一つの手段だろうか、とも思えてくる。貴族令嬢であるため実家の許諾は必要になるだろうけれど、それ以上に、実際の戦場に身を置くことで得るものは多い。事実、一期生は後宮の戦を経験してから、一気に成長したようにすら感じるからだ。

 そのあたりも、また彼女らに提案してみるべきだろう。


「ファルマス様にご満足いただけたようでしたら幸いです。まさか私も、アンジェリカが優勝するとは思いませんでしたが」


「まったくだ。まさか、あやつが優勝することになるとは思わなんだ」


「皇族は将軍になれないと、そう伺いましたが」


「うむ……別段、そのような取り決めがあるわけではないが……」


 ファルマスが眉を寄せ、手元のグラスに残っていた酒を一気に呷る。

 飲みやすい酒であるため、まるで水のように飲めてしまうのがこの酒の良い点であり悪い点だ。そのせいで、ヘレナは翌日に嘔吐するほどまで呑まれてしまったのだから。

 ヘレナはファルマスの空いたグラスに、新しい酒を注ぐ。


「あくまで、皇族は立法権の象徴だ。軍事力を共にするべきではない」


「はぁ……」


「皇族が軍事力を持ってしまえば、悪辣な皇帝の下であれば暴政となるだろう。ゆえに、皇帝はあくまで軍部に命令を行うという形で動かすことしかできぬ」


「……」


 よく分からない。

 そうは答えることなく、ヘレナは頷く。ヘレナがただ黙って頷いているだけで、なんとなく分かっているような空気を出すのだ。完全に詐欺である。

 しかし、そんなヘレナとの付き合いも長くなってきたファルマスだ。ヘレナが難しいことを最初から理解しようとしないことも、当然分かっているはずである。


「うむ……まぁ、良い。しかし、昨日の武闘会に出場した者たちは、後宮に入るまでは何の武も嗜んでいなかったのだろう?」


「そうですね。全員、全くの素人でした」


「あれで、元は何もしていなかったとはな……そなたの指導が、どれほど凄まじいか分かるというものだ」


「ありがとうございます」


 はぁ、と溜息を吐くファルマス。

 それと共に、グラスを口に運ぶ。やはり、飲みやすい酒はファルマスも好むのだろう。


「ファルマス様は、誰の戦いが印象に残りましたか?」


「ああ……そうだな。やはり、最後にそなたとシャルロッテが戦ったのが、最も印象に残っているな。まさかあのシャルロッテが、あれほど戦える存在になっているとは思わなんだ。以前に、ノルドルンドが雇ったならず者から守ってもらったが、まさかヘレナと互角に戦えるようになっているとは」


「彼女には、才能がありましたから」


「あとはやはり、エカテリーナだな。全ての動きを先読みするあの動きは、凄まじい。マリエルの棒術も凄まじい上に、クラリッサという令嬢の防御力も凄まじかった。後宮だけで、そなたの親衛隊がいるのではないかと思えたほどだ」


「ははは……」


 僅かに、額に浮かんだ汗を拭う。

 ちょっと将来的に将軍になったら、今後宮にいる者たちを雇いたいと考えていたのは否めない。

 将軍はヘレナで、副官に冷静沈着なアレクシア。補佐官に軍略に明るいエカテリーナと、多対一でも戦えるマリエル、加えて将軍の資質を見せているクラリッサなど、是非側に置いておきたい人物はいるのだ。


「しかし、現在の軍部は……」


 ファルマスがぶつぶつと、そう愚痴を零しながら酒を飲む。

 ヘレナはほとんどグラスに手をつけることなく、空いたファルマスのグラスに注ぎ足すのみである。ファルマスは珍しいことに饒舌で、そしてヘレナも聞き役に徹していた。普段は素っ頓狂な返答をするばかりのヘレナであるというのに。

 気分良く酒が回っている。そしてヘレナの用意した高級酒二本の、その中身の九割方がファルマスによって飲まれた。

 目も半分閉じており、呂律も次第に回らなくなってきて。

 その結果。


「むにゃ……ぐぅ……」


 ファルマスがそのまま、テーブルの上で潰れる。

 最初から、これがヘレナの目的だ。そのために、わざわざマリエルに高級酒を用意させたのだから。


「姉様、準備は万端ですわ」


「ああ」


「用意できたわよ、姉さん」


「うむ」


 それと共に、ヘレナの部屋へと入ってくるのは二人の女。

 一人はアルベラ、そしてもう一人はリリス――二人の共通点は、どちらも片手に人を抱えていることだろう。

 アルベラが抱えているのはアーサーで、リリスが抱えているのはラッシュ。

 どちらも、これから鍛え直してやるべき存在だ。


「ご苦労。アルベラ、リリス」


「なかなか苦労しましたわ。結局、最後は鳩尾に入れて気絶させました」


「うちは簡単だったわよ。ちょっと強い薬を飲ませただけ」


「うむ。では、始めるか」


 ヘレナは手早く、ファルマスの手足を縛る。

 そして、既にアーサーとラッシュは手足を縛られている状態で転がされる。

 これで、準備はできた。


「さぁ……」


 にやり、とヘレナは笑みを浮かべる。

 これから、三人の心を折らなければならない。そのために、最も簡単な手段がこれだ。


 これから暫く、三人には。

 屈辱を受けてもらうとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る