第58話 シャルロッテvsエカテリーナ&タニア 2
随分と出鼻は挫かれた気がするけれど、ひとまず戦いは始まった。
際どい衣装に身を包んだシャルロッテを前に、タニアはひとまずエカテリーナの後方に配置して様子を見る。
「さて、では始めますの」
「ええとー……シャルロッテさん、一体どうしちゃったんですかー?」
「あら、何かおかしなことがありましたの?」
「いえー……おかしなことだらけなのですがー」
エカテリーナを困惑させている、当の本人に自覚は全くないらしい。
ひとまず、シャルロッテの思惑がどうあれ、既にヘレナから「はじめ!」の言葉は与えられた。つまり、ここからは真剣勝負の場である。
それにしては随分と余裕そうに思えるエカテリーナとシャルロッテだが、それはタニアに比べて経験の差があるからだろう。
「さてー……ではタニア、いきますよー!」
「は、はいっ!」
「フォーメーションAですー!」
「はいっ!」
エカテリーナの指示と共に、タニアは地を蹴って駆ける。
誰が誰を相手にするのか、という情報はヘレナから与えられていなかった。その上で、エカテリーナは幾つかの作戦をタニアに命じたのである。
エカテリーナの頭の中には、全てのデータが眠っているはずだ。だが、そのデータ全てを網羅しているほどにタニアは頭が良くない。だからこそ、タニアは事前に何度も打ち合わせた動き方で行動するのみだ。
相手が誰であれど。
エカテリーナの持つ情報の山に、勝てるはずがないのだから。
「タニア、三に左、どーん」
「はいっ!」
棒を抱えて、シャルロッテまで駆ける。
決してタニアは、棒術が得意というわけではない。マリエルを前に戦えば、数秒と保たないだろう。相手が近接武器の扱いが致命的なフランソワであればまだしも、超近距離を間合いとしたシャルロッテを相手にして、仮に棒であったところでまともに戦える気はしない。
それでも、タニアは臆することなく駆ける。
そこに存在するのは、エカテリーナへの圧倒的なまでの信頼。
いち、にい、さん、とタニアは数を数え。
それから、一気に左へと回避し、真後ろへ向けて棒を振るう。
「――っ!」
ひゅんっ、と風を切る音と共に、タニアの右側を一陣の風が薙ぐ。
それは離れた間合いから、一気に距離を詰めてきたシャルロッテの拳だ。
緊急の回避をしたタニアの動きが読めなかったのか、右拳を突き出しながら、タニアに背中を向けているような状態。そして、その背中へ向けて振るわれるのはタニアの棒である。
一瞬の攻防――それが、タニアへと傾いたのは明白。
「くっ……!」
だが、そう簡単に棒での一撃を受けるほどシャルロッテも甘くない。
即座に態勢を取り戻し、そのまま右の前腕で棒の一撃を受ける。棒を振るった側のタニアにすら痺れが走るほど、凄まじい勢いでその棒は右腕に当たった。
少なくとも、多少のダメージは与えただろう。これを、ヘレナが『一撃当たった』とカウントするかどうかは微妙な線ではあるけれど。
「はいー。二に下、右、えーい」
「はいっ!」
いち、にい、と数えて一気に膝をつく。
その瞬間に、タニアの頭の上をひゅんっ、とシャルロッテの裏拳が過ぎる。その風の余韻を感じながら右に向かえば、それはシャルロッテの背中だ。
その背中目掛けて、思い切り棒を突き出す。
不恰好な突きであり、ろくな威力もそこにはない。だけれど、背中から来た攻撃に対して、即座に反応できるほど人間というのは便利に出来ていないのだ。
タニアの棒が、シャルロッテの脇腹を掠める。
しかし、それは体に当たることなく、その衣装を僅かに引っ掛ける程度で終わった。
「はいー。一に左、ちょっと待って下ー。やー」
「はいっ!」
いち、と数えて左に避ける。
それから一の半分ほどの時間をもって、思い切り体を屈める。
タニアの右側をシャルロッテの足が過ぎてゆくと共に、それが軌道を変えてタニアの頭上を通過してゆく。それと共に、タニアの棒がシャルロッテの背中を捉えた。
それでも、まるで薄皮一枚の位置に察知している何かがあるかのように、シャルロッテには紙一重で当たってくれない。
だが、この攻防の連続――まるで、自分が格闘の天才であるかのような錯覚さえ覚えてくる。
それくらいに、ヘレナに言わせるところの『格闘の天才』シャルロッテを凌駕しているのだ。
「くっ……どういう、ことですの……!」
「は、ぁ……!」
ギリギリの攻防に、思わず大きく息を吐く。
タニアは、あくまでエカテリーナの指示に従っているだけだ。全て、あらゆる情報からシャルロッテの動きを予測する、エカテリーナの指示に。
数を言われれば、その数を数える。
方向を言われれば、その方向に避ける。
攻撃を指示されれば、その指示に従う。
ちなみに攻撃の指示は『どーん』が後ろを攻撃、『えーい』が前に突き出し、『やー』が横一線に振り抜きである。あと、恐らく使い所は限られるだろうけれど、『いやーん』は体ごとぶつかれの合図である。できればこの戦闘中、その合図だけはやめてほしいと切に願っている。
「……」
シャルロッテが、心を落ち着けている。
恐らく、一度リセットしてからもう一度臨みたい、と思っているのだろう。
きっとシャルロッテも、どんな理屈か分かっていないはずだ。何がどうなれば、こんな風に一方的に避けられて背後をとられるのか。
まさか、思うまい。
日々の訓練、日々の模擬戦、その全てを網羅したデータ。
その結果が――まるで未来予知であるかのように、シャルロッテの動き全てを網羅しているなどとは。
「三に右、下、左ー」
「はいっ!」
いち、にい、さん、と数える。
右に避けた瞬間に、左側をシャルロッテの拳が過ぎてゆく。即座に頭を屈めた瞬間に、軌道を変えたそれが裏拳となって通過してゆく。最後に思い切り左に飛ぶと共に、回し蹴りを行われた風がぬるくタニアの髪を揺らした。
タニア一人であれば、恐らく最初の一撃だけで沈むような、鋭い拳。
それが全て、まるでエカテリーナの掌の上であるかのように。
「一に右ー、いやーん」
「ええっ!」
その指示だけはやめてほしかったのに!
そう叫びたい気持ちを堪えて、いち、と数えてタニアは右へ。
シャルロッテの蹴りが自分の左側を掠めたその瞬間に、タニアは思い切り体ごとシャルロッテへとぶつかった。
「くっ――!」
「はいー」
そして――放たれる、風のような一撃。
それはタニアに気をとられ、一瞬だけでもその注意を外してしまったシャルロッテの失策。
シャルロッテの知覚からエカテリーナが外れた、その瞬間に。
エカテリーナは、矢を放っていたのだ。
「さー、とりあえずこれで一回、ですかねー」
「くっ……あなたたち、一体……!」
「あと二回ですねー。タニア、がんばりますよー」
「は、はいっ!」
恐らく致命傷は避けたのだろうけれど、肩を押さえるシャルロッテ。
完全に認識の外にありながら、矢の一撃をしっかり避けているシャルロッテには戦慄する。
だが、それ以上に――エカテリーナの存在は、異常だ。
どれほどの頭の回転があれば、これだけシャルロッテの動きを把握し、その上で的確な指示を出せるというのか。
「二に左、どーん」
「はいっ!」
フォーメーションA。
それは、タニアが前線で戦いながらも、全ての指示をエカテリーナが出し、全てを委ねるという作戦。
ゆえにタニアはエカテリーナの指示を何も疑うことなく、ひたすらに従うのだ。
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