第54話 クラリッサvsアンジェリカ 3
ヘレナの弟子たちの中で、アンジェリカしか持たないメリット――それは、『後宮にいる必要がない』ことだ。
既に後宮と呼ぶべきなのか将来的な皇后近衛兵訓練施設という呼ぶべきなのか分からない場所だが、一応対外的には後宮とされる場所である。女の欲望渦巻く魔窟だったはずのそこは、現在いい汗が飛び交う場所に変わってしまっている現実はあるが、一応後宮なのだ。
そして、後宮にいる女は外に出ることを禁じられている。ヘレナが五人を伴って森への
そしてアンジェリカは、普段は宮廷に住む皇族の娘である。後宮にいなければならないという制約もないし、自由に出入りすることのできる数少ない人間なのだ。午前は勝手に後宮に入って一緒に訓練をしたりしているが、午後や夜は基本的に一人である。
フライパンでの石打ちも、退屈な夜に一人で訓練していたものだ。
普通に投げるよりも遥かに早く、威力の高いそれは、アンジェリカにとって秘密兵器だったと言っていい。いつか、アンジェリカの持つ武器を知っている誰かと真剣勝負を行わなければならない機会があったとき、驚かせてやろうと思っていたのだ。今日この日まで、ひたすら誰かに見せたい欲求を抑えながら頑張ったのである。
そのおかげで、クラリッサを驚かせることはできた。もっとも、石打ちが決定打にならなかったのは残念だったが。
「はぁぁぁぁっ!!」
「くっ……!」
アンジェリカはそんな日々を過ごしているうちに、いかにしてフライパンを武器に用いるかを真剣に考えた。
投擲武器が
その結果、アンジェリカの考えたフライパンの用い方――それが、『離れれば石打ち、防げば盾、振れば鈍器』である。
そもそも熱に耐えるだけの硬度を持つフライパンであるため、その強さはお墨付きだ。強いて難点を述べるならば無駄に重たいことだが、そんなものヘレナの
そしてアンジェリカは、もう一つ罠を用意した。
それは、アンジェリカの持つ特性――『投擲』、それを囮にしたことだ。
共に訓練をしている面々は、アンジェリカが投擲する以外に何もできないと思っている。遠距離攻撃を主体としているがゆえに、近付かれたら何もできないと思っているのだ。事実、アンジェリカには投擲以外に特に才能らしいものは見つからず、徒手格闘にも棒術にも剣術にも才能を見出すことができなかった。
その結果、アンジェリカは普段の訓練の際に、『クリスティーヌを囮にして後ろから投擲をするのが役目』という自分の役割を、彼女らに植えつけたのである。近接戦闘は全くできない、と。
だが本来、考えるべきだろう。
フライパンというのは、調理器具だ。そして、そんな調理器具を武器に使うということは、大体の人間が『鈍器として殴る』という使い方しか思いつかないものだ。
それを、敢えて示さずに。
ただ、遠距離から石を打つだけの武器――そう、クラリッサに植え付けたのだ。
「ぐ、あ……!」
フライパンが、思い切りクラリッサを打つ。
武器は、あくまで『刃がついていないもの』に限定されているため、厳密にはこのフライパンを使用するのもルール上は問題がない。そして、自分が相手の武器で打たれて怪我をしたからといって、それで相手を責めるような者は後宮の面々にはいるまい。
骨の一本や二本折れたところで、何も問題などないのだ。
クラリッサの体がふらりと揺れて、肩を押さえているのが分かる。
手に伝わってきた衝撃は、骨を砕くには十分な代物だろう。ふらつき、若干の距離をとろうとするクラリッサは、最早戦うことなどできない。
「わたくしの勝利よ!」
「……いいえ」
「――っ!」
だが。
クラリッサは、まるで酔っているかのように足元をふらつかせながら、しかし鋭い眼差しでアンジェリカを見据えた。
間違いなく骨は砕いたはずだ。事実、クラリッサの押さえている左腕――その肩から先が、だらりと垂れ下がっている。そこに、もう力を込めることはできないだろう。
だというのに。
クラリッサは、戸惑うアンジェリカを嘲笑うかのように。
「いい一撃を、もらってしまいました……ですが」
「ちょっ……!」
「ふんっ!」
その、力なく垂れ下がった左腕を思い切り、持ち上げた。
骨を砕いたはずの一撃。だというのに、その衝撃は骨まで伝わっていないかのように。
がこんっ、と何かが嵌るような音と共に。
クラリッサが痛みに顔をしかめながら、左腕を回した。
「いたた……」
「な、なんで!? わたくし、骨を折ったはずなのに!」
「折れてはいませんよ。まぁ、衝撃が強かったので、ちょっと肩は抜けてしまいましたけど」
「な、んで……!」
「私は……ヘレナ様から、直々のメニューで鍛えられました。そして、それは今でも続けています」
クラリッサが、袖を捲る。
長袖の訓練着――その下にある、その腕は。
アンジェリカの足ほどの太さほどもある、筋骨隆々。
「
「うりゃあああああっ!」
「ふっ!」
口上を待つ必要はない――そう思いながら、アンジェリカは石を投げつける。
クラリッサはそれを避ける素振りもなく、肩からアンジェリカへと体当たりを仕掛けてくる。そして、そんな石はクラリッサの肩に当たったというのに、何の痛痒もないかのように突き進んできた。
石という、凶器になりえる代物を肩に喰らいながら。
「私の武器は――この体なのですから!」
「――っ!」
それは、まるで鋼のような一撃。
フライパンという硬度に優れたそれを、まるで問題にしないかのように。
盾として自分の目の前にフライパンをかざしたアンジェリカを、そのまま吹き飛ばした。
「きゃああああああっ!!」
盾で己を守っているにも関わらず、その盾ごと吹き飛ばす衝撃。
アンジェリカの細い足ではそれに耐えることができず、重力を失った体は闘技場の端まで吹き飛び、そのまま場外へと落下する。
咄嗟に己の頭を防ぐことはできたものの、身体中を打った痛みに喘ぐ。
「う、あ……」
「私の、勝ちです……!」
脛に石を受けながらにして、簡単には膝をつかない足。
フライパンの一撃を受けても、肩が抜けるまでに止める腕。
石を受けながらも、その突進を止めない鋼の筋肉。
クラリッサ・アーネマンという戦士の強みは。
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