第30話 朝
「やっと……朝が……来た……」
ぜぇ、ぜぇと。
荒い息を抑えながら、マリエルはようやく昇ってくれた太陽の日差しに目を細める。
アンジェリカと二人で一晩を過ごすことになったマリエルは、前半を眠らせてもらった。ろくに眠れておらず、疲労感の強かったマリエルの体はすぐに眠りに入り、アンジェリカに揺すられて起こされるまで全く目覚めなかった。
随分と、そんなアンジェリカが憔悴していたのが不思議だったが、その場でアンジェリカはすぐに眠り、マリエルが代わりに寝ずの番をすることになったのである。
一言で言うと、大変だった。
そもそも、一人でじっと朝まで待ち続けるのは神経をすり減らす行為である。いつどこで、誰に襲われるのかも分からない状況というのは、さすがに長く耐えられるものではない。
だというのに――矢継ぎ早に、敵が襲いかかってくるのだ。『山賊国』の残党――そうヘレナは言っていたけれど、実際のところヘレナの変装である、その格好をした敵が。
襲撃に対して的確に対処することができれば、そのまま去ってゆく。
一言も何も発しなかったが、そんな行動をする『山賊国』の残党などいるまい。どう考えてもヘレナの変装だ。
それが夜中から今まで、十回ほど襲撃された。そのうち一度は、追い払ったはずなのに背後から現れてハリセンを頭に食らったのだ。その後、指だけで『一』と示されたことによって、自分が一度死んだのだと理解した。
これを他の面々に――フランソワとクラリッサ組、そして独立して行動しているシャルロッテの全員にもやっているのならば、どれだけヘレナは体力があるのだろう。
「ふぅ……でも、もう、大丈夫ですわ……」
夜という、警戒しなければならない時間は終わった。
アンジェリカはまだ眠っているが、既に朝は訪れたのだ。起こしても問題ないだろう。
そしてお互いに情報を交換して、今後夜に備えてどうするべきか話し合いをしなければならない。
「アンジュ、アンジュ!」
「んん……」
「起きなさいな。もう、朝ですわ」
「あー……」
本来は王族であり、野宿などしたことがないだろうアンジェリカ。
勿論、それはマリエルとて同じだ。大商会アン・マロウの会長リヴィエール家に生まれたマリエルは、昔から金に苦労をしたことなど一度もない。どこかに出かけるのならば専用の馬車で、宿泊するのであれば最高級のホテルで、というのは昔から当然のことだ。
それが、野宿という劣悪な環境だというのに熟睡できたのは、ひとえに疲れが溜まっていたのが原因だろう。それはアンジェリカも同じなのか、寝起きのとろんとした目でありながら、ゆっくりと体を起こす。
「ふぁ……あー、寝足りないわ……」
「それはあたくしも同じよ。昨夜……あたくしが眠っている間、襲撃がありましたのね」
「軽く十回くらいは襲われたんじゃないかなぁ……一回死んだ」
「……あたくしも、同じですわ」
不思議な現象だった。
前からやってきたヘレナを、間違いなくマリエルは撃退した。だが、その直後に後ろから再びヘレナが現れて、ハリセンで頭を叩かれたのである。
まるでヘレナが二人いるような、そんな襲撃だった。
「んで、今日はどうするのよ、マリー」
「今後は、別行動をしなければなりませんからね……あたくしは、食べられるものを探してから出発しますわ」
「まぁ、別行動しろって言われてるしね……じゃあ、わたくしは先に出発するわ」
「ええ、ご武運を」
「お互い、生きてまた会えたらいいわね」
とはいえ、アンジェリカもまだ起きたばかりだ。すぐには立ち上がらない。
マリエルも同じく出発する気力がなく、腰を下ろしたままで蛇肉を齧った。既に干し肉にしてあるそれは、臭みもなく塩だけの味付けでも十分美味い。
蛇肉を食みながら、考える。
昨夜の襲撃は、間違いなくヘレナの変装だろう。
だが、解せないのはそんなヘレナが、一言も声を発しなかったことだ。
ただ指だけで『一』と示されたのは、クラリッサから聞いた『三度死亡したら終わり』の一度目という意味だろう。だが、既に変装の意味もないくらいに全員がヘレナだと気付いている。
だというのに一言も言葉を発することなく、ただ手だけで示した、その理由――。
「アンジュ」
「……ん?」
「あたくしが眠っている間、襲撃があったと言いましたわね」
「ええ。ヘレナ様が襲ってきたわよ」
「……お姉様の、声を聞いた?」
「声は、聞いてないわね。一言も何も言わなかったから」
「……」
もしかして、自分はとんだ思い違いをしているのだろうか――そう、マリエルは疲労感に溢れている頭を回転させる。
変装をしているから、ヘレナだと決めつけていただけなのではないか。もしかすると、ヘレナではない他の誰かが、ヘレナのふりをして襲ってきたのではなかろうか。
思い出す。
背格好は、本当にヘレナのものだっただろうか。動きは、本当にヘレナのものだっただろうか。
いや。
あのとき見えた、ハリセンを持っている腕――その肌色は、本当にヘレナのものだったのか――。
「……そういえば」
「ええ」
「ヘレナ様にしては……なんだか、小さかったかも」
「……」
「別人、ってこと……?」
「ええ……」
それならば、納得がいく。
マリエルに夜通し襲いかかってきたのは、ヘレナではない他の誰かだ。それも、ヘレナに協力している相手ということになる。
つまり――純粋に、ヘレナ側は増員したということだ。ヘレナ一人という形ではなく、他の軍人を加えて。
にやりと、マリエルは笑みを浮かべた。
「恐らく、銀狼騎士団が変装していると思われますわ」
「……だから小さかったんだ。あそこの将軍、小さいもんね」
「あたくしに襲いかかってきた相手は、小さいとは思いませんでしたが……」
「じゃあ、わたくしに襲いかかってきた奴と、マリーに襲いかかってきた奴は、別人ってこと?」
「恐らく、そうでしょう。さすがはお姉様……ここでも欺いてきますか」
それは純粋な賞賛であり。
慕うヘレナに対しての、純粋な賛辞である。
「ですが、これからの方向性が見えましたわ」
「どういうこと?」
「あたくしの相手が……誰なのかは分かりませんわ。ですが……良い機会ということです」
「いや、だからどういう……」
「ええ――」
マリエルは、笑う。
自分の可能性。自分の強さ。それを量る機会ができたことに。
「お姉様が相手でないのならば、自信を持って挑むことができますわ。あたくしの力が、軍人に及ぶものか……それを、確かめましょう」
「ふぁ……」
一方その頃、シャルロッテも同じく朝を迎えた。
何故か登っていた木の上ではなく、地面で。しっかり結んでいたはずだけれど、落ちてしまったらしい。だが、体に特に痛みがあるわけではない。どうやら上手く落ちてくれたようだ。
「……まぁ、仕方ありませんの。今後は気をつけますの」
何をどう気をつけるのかは分からないけれど。
ちなみにシャルロッテは、自室の寝台から二日に一度は落ちる程度に寝相が悪い。
「さて……では、出発いたしますの」
シャルロッテは荷物をまとめて、とりあえず踏み出す。
目標である一本杉とは、逆方向に。
シャルロッテは知らない。
夜中に木の上から落ちてきたシャルロッテを受け止め、ゆっくりと地面に寝かせてマントをかけ、その上で周囲を徘徊している獣がシャルロッテに襲いかかってこないように撃退している自分の侍女――エステルが、姿を見せずとも守っているということを。
そしてエステルが、ヘレナから与えられた指示――『夜中に襲撃して寝かせるな』というそれを完全に無視している、ということを。
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